講評

小説部門

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宮城 一春

(みやぎ かずはる)

1961年沖縄県那覇市生まれ。編集者、ライター、沖縄本書評家。幾つかの沖縄県内の出版社、印刷会社出版部勤務を経て現在に至る。沖縄関連のコラム・書評・論説などを新聞・書籍で発表している。

講評

小説部門

多岐にわたる主題で描かれた作品群

 私にとって初めての選考。編集者や書評家としての視線ではなく、純粋に小説を楽しんでみるという読み方を心がけた。選考にあたっては、名前はもちろんのこと、性別や年齢も明記されていないので、どんな方が書いているのかを想像しながら読み進めていくのも私にとっては新鮮であった。書かれている主題も沖縄らしさを身にまとった基地問題や米軍関連、あの世との交流を描いたもの、そして実生活に題材を採ったと思われる作品、ファンタジーなどで、多岐にわたるものであった。これまでの沖縄の書き手たちに見られた気負いなどが感じられず、ごく自然に書き綴ったような内容が印象的であった。

 そのような作品群の中、一席に推したのが『二十年の眠りと涙を一粒』。書き始めからラストまでの展開が良く、文章も上手いと感じた。さらには、主人公や周りの登場人物たちの書き分けもしっかりしていると同時に、伏線がしっかり張られていて、それが秀逸なラストへとつながっていく描き方が見事であった。そして若い女性ならではの視点もあり、それが東京と沖縄の対比となって、主人公の心情の変化を醸し出していた。もっといろいろな主題に挑戦し、書き続けて欲しいと思える作者の登場であるように思った。

 次に印象に残ったのが、『最後の三日間』。主人公の葛藤と、弟たちの心情の相違、周りの人々との心情の違いがよく描かれており、誰もが直面する親の死、それと幼いころからの苦労の描写のバランスが良かった。ありふれた事象ではあるが、時が解決していくということが見事に描かれている作品であった。

 私が一番悩んだのが歴史小説の分野。今回佳作に選ばれた『サハチの海』は、文章、スーリーともに秀逸で、読ませる力を持っているが、歴史認識や現代的な視点から見てはいないかが気になる作品であった。もう一編の『碧海』は、惜しくも選に洩れたが、緊迫感のある内容で、文章も歴史小説らしさを強調した硬質観が良かった。しかし、ストーリー展開や、登場人物の内面がきちんと描かれていないように感じた。誤字もあり、達筆なだけに残念であった。

 そして、印象に残った作品として『今を、生きる』、『あの頃』、『そば 宮圀』の三編を挙げたい。

 最後になったが、誤字脱字の多さや文章の展開、事実誤認など、推敲をしていないのではと感じさせる作品が多かった。他にも、殴り書きのような筆跡も気になるなど、応募する際には、十分気をつけて欲しいと感じる作品が多かった。

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田場 美津子

(たば みつこ)

1947年沖縄県浦添市出身。琉球大学短大部法政学科卒。第5回新沖縄文学賞佳作、第4回海燕新人文学賞、第22回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。著書『仮眠室』-福武書店刊、『さとうきび畑』-出版舎Mugen刊。

講評

小説部門

一発で伝わる創作のスキルを

 応募作には番号が付され、作者名など全くわからない。小説そのものを見極めるような選び方は、公平で無私な手段だと感じいり、重責をはたそうと分担の17作を熟読した。表現したい想いのこもった作品ばかりで、題材も多彩でおもしろかった。だが、全作とも共通して、表記法や推敲回数など、書く技術と読ませる技量の不足が目についた。ともあれ、選ぶために、タイトルとチェック点が一目でわかる一覧表をつくった。

 「スクラップ―あるベトナム帰還兵の手記」を最初に読んだ時、その表に、(リアリティあり、話の流れスムーズ、表現の長所16ヵ所・短所5ヵ所、推敲不足7ヵ所、誤字・脱字ともに5ヵ所づつ)とチェックした。(難しい漢字や古い漢字は米兵の手記らしくない。生理という言葉の使い方が奇妙)とも注記し、一次選考3作のうちのひとつに選んだ。

 他の二委員からの推薦7作があり、二次選考の対象は合計して10作。そこから受賞候補作が絞られる手筈だった。ゆえにまた、「スクラップ―あるベトナム帰還兵の手記」を再読した。そして、一読目と異なり、傷そのものがこの作品の主人公ではないか、と読みとった。戦場でうけた傷が、肉体だけでなく、精神までもスクラップにしていくプロセスが描かれている。なぜ兵士たちが米国に帰還後も壊れたままなのか、その答えを見せられたようで、一席に推した。

 しかし、「ベトナム戦は書き古された感がある」と、他の委員の賛同は得られなかった。ベトナム以外の戦場でも、カールのような負傷兵は存在するだろうから、書き古された感、ではない戦地のほうが得だったかもしれない。「活字になれば違う印象かも」と、別の委員が呟いたように、再読を勧めたい当作。だが、ほとんどの読者は同じ小説を何度も読むことはないだろう。一発で伝わる創作のスキルを、私も修得したいものだ。

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大野 隆之

(おおの たかゆき)

沖縄国際大学教授。「大城立裕「カクテル・パーティー」を読み直す」」『沖縄文化』2012-07、「大城立裕と仏教(特集 現代作家と宗教(仏教編))」 『国文学 解釈と鑑賞』2009-02など。2010年第32回沖縄文化協会賞、仲原善忠賞受賞。

講評

小説部門

多様な作品

 十年目を記念する小説部門には、今年も多様な作品が寄せられた。

 佳作「サハチの海」は本賞としては珍しい歴史ものである。尚巴志という、これまであまり文芸に取り上げらなかった英雄の少年時代をテンポよく描いている。ただ主人公が少年時代ということもあり、やや受動的になる場面が多かったことが、やや残念である。また将来三山統一を成し遂げるほどの人物の大物感を暗示するエピソードが、もうひとつふたつ必要な気がした。筆力は高く今後も期待できる作者である。

 もうひとつの佳作「最後の三日間」は、父の死後納骨までの三日間に生じる数十年の愛憎を非常に細やかな筆致で描いた。ただこの作品の中心となる故人と妻は、占領下、復帰後という激動の時代を生きてきたはずなのだが、単純な愛憎の問題だけがとりあげられ、また故人が離島出身であるというモチーフを持ちながらそれは生かされることなく、単なる日本中どこでもある不倫の物語になってしまったのが残念である。

 その他一次選考を突破しながら惜しくも賞に届かなかった作品として、占領下コザにタイムスリップする「今を、生きる」、復帰直後、やんばるの人々の生活を描いた「二度目の位牌」、同じく復帰前後金剛石林山付近にくらす子どもたちを描いた「あの頃」、沖縄出身の若者と偶然出会った東京の若者との奇妙な友情を描いた「海の夜」がある。これらは内容的にほんのわずかな差しかない。その一方「今を、生きる」や「あの頃」については、タイトルがあまりにも抽象的であるという点を指摘しておきたい。たくさんの作品を読む選考委員にとって、このようなタイトルは全く印象に残らないのである。

 昨年に引き続き高校生以下に与えられる奨励賞を出せたのは非常に喜ばしい。「花の降る谷」はファンタジーである。しかしこの作品のようにしっかりした作品ならば、ファンタジーでもかまわないのである。是非来年以降、この作品を基準として若い世代に挑戦して欲しいと思う。他に奨励賞の候補に挙がった作品はSFの「テレパシー」である。この作者もかなりの筆力をもっていたが、後半息切れしてしまったようである。次回作に期待したい。

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シナリオ・戯曲部門

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富田 めぐみ

(とみた めぐみ)

1973年沖縄県八重瀬町出身。琉球芸能の魅力を伝えるため、老若男女に親しみやすく楽しい舞台創りが真骨頂の演出家。そのかたわら、公演のコーディネーターや司会、ラジオパーソナリティー、女優として映画出演などマルチに活躍。琉球芸能大使館代表。沖縄県振興審議会委員。国立劇場おきなわ公演事業委員。

講評

シナリオ・戯曲部門

多様な価値観、多彩な登場人物

 まずは応募者全員の挑戦に敬意を表し、そして入選二作の作者にお祝いを申し上げます。

 「終わらざる夏」は米軍統治下の宮古島が舞台。宮古民政府長が贈った犬を横流したことで巻き起こる騒動劇。行方不明になった犬とそっくりの犬を身代わりにしようとするが、飼い主は犬を戦時中に亡くなった息子だと信じている。仏壇を介して犬が息子になるシーンは実際の舞台でどう表現されるだろうとくすぐられるし、戦中戦後の生活や母親の胸の内を、かなりのページを割いて描写しているのは好感が持てる。ゆったりとした展開は島のスピード感か。ただ、肝心のクライマックスが充分に描かれていないのが残念。犬を失うことで息子を二度失う母親の嘆きはすぐに諦めに代わり、見せ場である犬のすり替えは台詞での回想となる。結びとなる犬(息子)との会話は、逆に言葉を絞り込んだほうが伝わるだろう。物語全体の流れの中で、何を書き、何を書かないかを洗いなおすと、きっとよい作品になる。

 「走れ、リアカー」は、近未来の沖縄の物語。返還された広大な基地跡は、土壌汚染と危険物で立ち入り禁止。勝手に住み着いたホームレス達の物語は、実際に起こりうるかもしれないと感じさせる秀逸の設定。伝説の全共闘闘志たちの回想や状況説明の台詞が続くが、どこまで語り、どこまで観客の想像力に委ねるかが課題。エピローグを映像にしたのはスマートだけど、最後まで泥臭く、汗と血にまみれた人々の姿を描ききるのも手だろう。今の沖縄で上演する意義を感じる作品なので、練り直してぜひ舞台化して欲しい。

 応募作全体に「いい人」「素直な人」「すぐ諦める人」が多いのが気になった。滅茶苦茶な登場人物や破綻した物語を推奨する訳ではないが、予定調和ばかりでは退屈。多様な価値観を持つ、多彩な登場人物達が交わることで生まれるドラマがあるはずだ。

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真喜屋 力

(まきや つとむ)

沖縄県那覇市生まれ。『パイナップルツアーズ』('92)に映画監督でデビュー。日本映画監督協会新人賞を受賞。監督・脚本家。桜坂劇場の立ち上げに関わり、プログラムディレクターを務める。現在フリーにて活動。

講評

シナリオ・戯曲部門

良いアイディアで終らない努力を

 今年のシナリオ・戯曲部門は、応募作が5本と少なめでした。また基本的には舞台で上演するための戯曲のみの応募。昨今、沖縄で作られる映像作品は増えているが、それに対して脚本家が少ないという現状を考えると、こういう場から作家が生まれたり、作家自身が売込みをかけて行く足がかりに利用してもらえるような賞にしたいと思います。

 さて応募作品を読んでみての総評ですが、今年は全体的に構成の甘い作品が多かったこと、それと登場人物の平板な感じが目立った年になりました。『走れ、リアカー』『終わらざる夏』の二作品が、かろうじて入選したのは、その発想のおもしろさからです。どちらも構成の甘さが、残念な結果をもたらしています。

 これは入選作品以外にも言えることですが、前半から中盤まで物語の方向性が見えないまま進行し、やっとドラマが動き出したら、見せ場を描けないまま(セリフの説明だけはある)終了してしまうという、食い足りない作品ばかりであったといえるでしょう。結果、説明が多いわりには、印象の薄い寂しい物語になってしまいました。入選の二作品に関しては、せっかくアイディアが良いので、他者のアドバイスを聞きながら、再度書き直してみるべきだと感じました。

 あと登場人物の平板さについては、深みのある人間像を具体的に表現できていないということでしょう。いろんな境遇の人は次から次と出てくるのですが、全員が同じ価値観で動いているため、緊張感が生まれてこないのです。悪い意味で安心して観てしまう。おもしろい物語には魅力的な敵役がいるものです。作家の価値観とは異質な人々の考え方、立場を踏まえたうえで、主人公たちにぶつけていくような懐の広い作品のほうが、結果的には作家の届けたいテーマも、強い印象で浮き上がってくるはずです。

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随筆部門

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新城 和博

(しんじょう かずひろ)

1963年沖縄県那覇市出まれ。沖縄県産本編集者。著書に『うっちん党宣言』『ぼくの沖縄〈復帰後〉史』(ボーダーインク)ほか、共著多数。

講評

随筆部門

講評

 今年は審査員が二人となり、お互いの考えをどうすり寄せることができるかということを意識して審査に臨んだ。結果7つの作品を二人揃って評価し、その中から賞を選出することになった。

 ここ数年選考に際して、「随筆」と「短編小説」に違いがあるのだろうかという疑問を持っていた。しかしたまたま読み始めた『短編小説礼賛』(阿部昭著・岩波新書)の中で「短編と随筆の区分に関してはあまりこだわらない、国や人によって作品のジャンルわけは異なってくる」という意味合いのことが述べられていて腑に落ちた。要は良い随筆には、良い短編小説と同様に「物語」を感じさせるのである。

 一席として「貴婦人の鉢」はまさにそのような作品である。義母からもらった一鉢の蘭がもたらした心の揺れを、丹念に綴った小さな物語。不注意から枯れさせてしまった蘭の姿に動揺する「私」を救う義母のメールの言葉は僕の心にもすっと入ってきた。全体としてのまとまりもよく、今回一番印象的な作品だった。二席「黄色の辞典」は、恩師の先生の信念に満ちた半生を描いた感動作。恩師が作者にかける言葉の一つ一つが活き活きとしていて彼の人となりを見事に描いている。最後に出てくる「黄色の辞典」の存在は、恩師の信念を継ぐことを決意した筆者の心の象徴として鮮やかである。

 蘭の花と黄色い辞典。両方ともこの存在によって物語が深くなっている。その分他の作品より印象的であった。

 佳作「木っ端役人」は思わず同情したくなる筆者のシチュエーションに惹かれた。文書がもう少し整っていたらどうだろうか。「さよならは地層のように」は現代若者の孤独感をうまく描いていた。これはいくつかのシーンを足して短編小説として書き直してもおもしろいかもしれない。「白いピアノ」は、老舗デパートの思い出である。やがて消えゆく街の記憶として留めておきたい一作。個人的にはとても好みだった。「背中と手」は母が語る幼き我が子への思いだけかと思いきや「ママ、背中かいかいして」という一言で逆転する子どもから母への思いに感動した。

 選にもれた作品のなかに戦前の沖縄を描いた作品がいくつかあって心惹かれたが、構成がまとまってなくて推すことが出来なかったのが残念であった。

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トーマ・ヒロコ

(とーま・ひろこ)

1982年沖縄県浦添市生まれ。詩人。「詩誌1999」同人。2009年詩集「ひとりカレンダー」(ボーダーインク)で第32回山之口貘賞受賞。詩やコラムの執筆のほか、ポエトリーリーディングにも取り組んでいる。

講評

随筆部門

随筆とは何か?

 応募総数は前回と同じだったが、無題の作品がぐっと減ったことに驚き嬉しく思った。今後も題にも注力して応募してほしい。
 今回も小説のような作品がいくつかあり、随筆とは何か?と選考委員も考えさせられた。随筆らしさのある作品を上位に選んだ。

 一席「貴婦人の鉢」
 まだ結婚する前の彼の母親との、緊張や遠慮がある微妙な関係性を描いたところが魅力的であり、お互いを思い合う温かさがにじみ出た作品。素直で謙虚な文体が共感を誘う。

 二席「黄色の辞典」
 書き出しと書き終わりに統一感があり、恩師との交流や恩師の力強さが、流れよく描かれている。

 佳作「木っ端役人」
 一読しただけで、これは!とビビビときた作品。家庭を犠牲にして働いているのに報われない理不尽さを描いている。端々の描写も効いている。随筆よりも小説寄りに感じられた。

 佳作「さよならは地層のように」
 バイトを辞めて行く人々を見送る「置いて行かれた」感、「自分はこのままでいいのか」という葛藤がよく描かれている。

 佳作「白いピアノ」
 2014年9月に閉店したばかりの三越の思い出。今、このタイミングで描くことに意義のある作品。記憶が鮮明なうちに書き残しておくべき題材である。

 佳作「背中と手」
 長男に語りかける形式の作品。我が子が気付かせてくれることを書きとめる、作品化するというのは母親(父親もそうだが)の特権である。

 選外では、「おきなわ文学賞によせて」は、ネタがないことをネタにするというのは、珍しいことではないが、〆切が迫ってくる中での焦り、逡巡している様がよく描かれている。育児を描いて応募して良いのですよ、とこの場を借りてお伝えしたい。「唇に愛を」もユーモラスで良かった。「社会福祉士になって」「I LOVE オバア」「沖縄の風」も注目作であった。

 

 ブログやSNSが一般化し、誰もがエッセイストのような現在、ブログ止まりの作品も見受けられた。本を読み活字に触れ、脱ブログの随筆を目指してもらいたい。

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詩部門

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仲村渠 芳江

(なかんだかり よしえ)

大阪文学学校通教部研究科退籍。第一回おきなわ文学賞詩部門一席受賞、第三十回山之口貘賞受賞。十年目のおきなわ文学賞詩部門への期待は『おいしいをずっと。あたらしいをもっと。』* でしょうか。(*吉●家コピー)

講評

詩部門

自己読解の厳しさを

 上手いでもなく巧いでもなく美味い、そう感ずる詩行には「驚き」がある。驚きは世界を新たにする。料理に例えれば*「これまで食べたことがない味」「初めて経験する食感」「想像したこともない食材の組み合わせ」「普通では真似できない盛り付け」などであろうか。とはいえ、創ることは難しい。応募作品の中には煌めく一行・一連がありながら散漫な作品が(受賞作も含めて)いくつもあった。ひと通り書き上げたあとの自己読解の厳しさが必要であろう。その視点を一つ挙げるので参考にしていただきたい。一、慣用句や使い古された比喩は言葉の悦びや驚きを生まない。それを使わない表現を思考する。

 さて、選考。応募数は六十三編、選者の元へは作者名・性別・年齢・住所を伏せた作品の複写が届く。選考会は其々に選んだ十二編を持ち寄り全体の構成・リズムや語感・言葉の使い方・種々の技巧や洞察力などを念頭に話し合うが、同じ作品を推すこともあり最終テーブルに載った作品は順不同「〇階から下りる」「ノック ノック カムヒア」「噂」「無力な女と遊ぶ男(オスプレイ)」「キャンディー」「鳩」「おじいちゃんのくちぐせ」「九月七日の月とカタバミ」「夏死」「ある日常」「小さく揺れて」「走る」「がらんとした槽」「雨降り風吹きゃ花は散るのか」「一週間」の十五編。選外だが私が心惹かれた作品は「楽園」「かんから」「こもりうた」の三編、底力を感じた作品は「朱色の海」「零(こわ)れしもの」「とんぼ」「黄砂舞え」の四編。「プレゼントちょうだい」「完成してちょうだい」「いややややややややややややややや」「ナプキン」の四編は子どもの言葉を教師が捉えたと思われる作品でその伸びやかさに温かいものを感じた。
(*料理コンテストポスターより)

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宮城 隆尋

(みやぎ たかひろ)

1980年那覇市生まれ。1999年、詩集「盲目」(98年、私家版)で第22回山之口貘賞を受賞。ほか沖縄タイムス芸術選賞奨励賞など受賞。詩集に「ゆいまーるツアー」(2009年、土曜美術社出版販売)など。

講評

詩部門

地を這う視点

 二席「雨降り風吹きゃ花は散るのか」。吉原は沖縄の戦後を象徴する場所でもある。「兵(つわもの)どもが夢の跡」を、その地に暮らす者の視点で描いたエネルギッシュな作品。冒頭から映像が目に浮かぶような店舗名の羅列、七五調のたたみかけるリズムで読み手を引き込む。地を這うような庶民の視点は、歓楽街を生き抜いた者たちのしたたかさを体現するようだ。一方で〈肝苦さん〉などシマクトゥバを漢字表記した語句はルビが必要で、不親切さもあった。エネルギーには満ちているが、矛先を見失っているようで危なっかしくもあり(それが今の時代性を象徴しているとも受け取れるが)、一席には至らなかった。

 佳作の「ノック ノック カムヒア」。人間関係や常識、規範、社会そのものとのずれ、違和感を題材にした作品と読んだ。改行や読点の使い方に意識的で〈36.8度の雨〉〈惰性のルビ〉などの表現に独創性を感じる。〈たいらさん〉とは何者か。恐らく自己の中にある規範意識、または社会への順応を志向する自己なのかもしれないが、なぜ〈たいらさん〉なのか。読み手にイメージさせる材料が少なく、独善的な表現にとどまる恐れがある。

 「キャンディー」。昭和30年代を生きた少年の感覚をそのまま体感させる物語に引き込まれる。世替わりを生きた者が、さまざまな矛盾が潜在化した現在の沖縄を見る不能感が、ガジュマルと観葉植物の対比に表される。ただ最終連は蛇足ではないか。無理に結論づけようとせずとも、直前の2行で美しくまとまっている。

 「鳩」。水浴びをする鳩が広げた波紋が人々の頬をなでる。沖縄戦を生きた老人の戦後を想像させ、飛び立てない鳩は現在の沖縄を生きる人々の不能感を映す。ただ〈それでも〉という情緒的な語を重ねる中盤、鳩の持つイメージの二重性を深める表現に期待するが〈羽の色〉の言及にとどまる。ここに一ひねりあれば対比が深まり、さらに入り込めた。

 「おじいちゃんのくちぐせ」。島の言葉の味わい、おじいちゃんの人柄、段階を踏んで盛り上がる構成とリズム、たどたどしいひらがな、カタカナ。題名と最終行は残念だが、貴重な題材を逃さず詩にしたことがすでに優れている。

 「ある日常」。〈祖母は洗濯物を干す〉という一行が、ネット上で机上の空論を戦わせる人々を一刀両断。痛快だ。祖母は沖縄戦を生きた70代以上の世代に違いない。

 「がらんとした槽」。窓の外という日常のきわめて近くに死を意識していると読める。薄氷を踏むような息苦しさがあるが本来、死とはこれほど身近にあるものなのかもしれない。

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琉歌部門

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新垣 俊道

(あらかき としみち)

沖縄県立芸術大学非常勤講師、沖縄伝統組踊「子の会」会長、沖縄県立芸術大学大学院舞台芸術専攻修了、国立劇場おきなわ第一期組踊研修修了、国立劇場おきなわなど県内外の伝統芸能公演に多く出演する。

講評

琉歌部門

若い世代の入選作品、大きな影響と刺激を与える。今後も期待!

 今年度より琉歌部門の選考委員を務めさせていただいている。今年度は38人の応募があり、一首ずつ何度も読み返し選別した。作品を読み込むほど、作者の熱意や思想が伝わり評価することの難しさと責任を痛感させられた。

 一席には神里千代子氏の2首が選ばれた。2首とも教訓歌で、度重なる困難もあっただろう、長い人生で経験した喜怒哀楽が伝わってくる。様々な人生経験からか、精神的にもゆとりを感じられる。自然と自身を照らし合わせ、残りの人生をどう生きて行くか、人としてのあるがままの姿を飾らない言い回しでよく表現されている。悟りを感じさせてくれる作品である。

 二席には上原仁吉氏の2首。1首目の作品は、植物の成長の様子と人として大切なものは何かを比喩的に教訓歌として表現されている。出だしと締めに「根本」という言葉でまとめられており、センスの良さが伺われる。2首目は、穏やかな波や岩場に打ちつける強い波の様子が作者の心境と見事に共有されている。しばし、波を眺めている姿が想像でき哀愁がひしひしと伝わってくる作品である。

 佳作には4名が選ばれた。金城美代子氏は2首選ばれ、1首目は昨今の国際状況からか、誠実さの重要性を説き平和の願いが込められている。2首目は、白菊と露が朝日を受けて美しく光り輝く様子が表現している。玉城倭子氏は1首選ばれ、孫の初歩きに喜び興じる家族の温かさが直に伝わる作品である。仲村美保氏は2首選ばれ、1首目は四季折々の美しさを讃えながら、それに感謝する想いがうまく表現されている。2首目は、日常の朝の様子と登校する子供達だろうか、爽やかな光景が目に浮かぶ。高校生とは思えない良い作品である。仲村美南氏は1首選ばれ、大輪を咲かせた向日葵と真夏の太陽を題材にした作品である。締めに「宝石(たま)」と表現されており、若い感覚と大胆さが面白い。

 今年度は幅広い年齢層の方の作品が選ばれ大変喜ばしい。特に高校生2人が入賞したことは、年配の方をはじめ若い世代にも大きな影響と刺激を与えたことと思う。近年、伝統芸能において若手の台頭が目覚ましい。琉歌は伝統芸能の根本である。実演と琉歌を読む、それは両輪でなくてはならない。これを機に、ぜひ若い方にも多く応募をしてほしいし、幅広い年齢層が刺激し合える場になってほしいものだ。

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勝連 繁雄

(かつれん しげお)

詩人・琉球古典音楽 野村流保存会会長。沖縄芸能協会副会長。第25回山之口貘賞受賞。沖縄タイムス芸術選賞琉球古典音楽部門大賞受賞・同賞文学部門(詩)大賞受賞。沖縄タイムス琉歌欄選者。著書『風の神話』(詩集)・『琉球古典音楽の思想』(芸能関係)など。

講評

琉歌部門

詩心を愛おしむように

 作品の内容は基地への抗議、戦世の話、沖縄の自然賛歌、しまくとぅば奨励、芸能や人情賛美、老いの想い、恋心、人生訓など多岐にわたっているのはいいが、どうも作者の個性や感受性がこちらの心に触れてくるものが希薄である。言い換えれば作者の人生が伝わらない常套語の連なりになっている。

 というわけで、応募者の数も余り多くなくほぼ例年通り、作品のレベルもいつもとあまり変わらないな、と自分一人家で選考をしているときはやや失望気味にため息をついたものだ。だが、選考会でもう一人の選考委員と(今回から選考委員は二人)検討を重ねているうちに少しほっとする気持ちになった。そして、選考結果が出た後、作者の名前と年齢が明かされた時、(よかった!よかった!)と思える作品にも出会った。

 一席(神里千代子)の作品は人生経験の豊かな人がたどり着いた穏やかな心境が詠まれ良い余韻を残している。二席(上原仁吉)の作品は確かな人生訓(教訓歌)が見事に刻まれていて立派なものに仕上がっている。佳作の金城美代子も教訓歌として口ずさみたくなる作品と、白菊の清らかな美しさを詠んだ作品がなかなか良い。同じく佳作の玉城倭子は孫の初めての一歩を見つめている幸せ気分の場面を詠んで読者の心に共感させるものがある。同じく佳作の仲村美保と仲村美南は高校生の姉妹だということがわかった。二人に共通して云えることは心が素直でとらわれのない表現で琉歌を詠んでいるということだ。それだからだと思うが、なんとも新鮮な作品になっているし、新しい琉歌の息吹を感じる。選者として今回の大きな喜びである。

 詩心はとらわれのない心から生まれる。それを愛おしむように掬い上げてきた言葉が人の心を打つ。飾り立てたり、大げさにしても、言葉は人の心を引きつけない。そのことを知るためにも沢山の名歌(琉歌)を読み、人生を心で生きて来た先人達の表現の知恵を学ぶことが大事である。

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短歌部門

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銘苅 真弓

(めかる まゆみ)

1940年東京都世田谷区出まれ。2001年「花ゆうな」短歌会入会。2003年日本歌人クラブ会員。2004年「未来」短歌会入会。2005年第26回琉球歌壇賞受賞。2010年第44回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。

講評

短歌部門

講評

 初めての選考委員として多様な素材の作品に出会えたことは嬉しい。ただ五首詠と言うのは意外に難しい。文法や仮名遣いの誤り、単純な文字の重複などのある一首、二首が混じり、一席を見送らざるを得なかった。

 二席 紅型の製作工程を歌として上手く纏めている。特に四首目の水に溶ける糊を嵐に散った鳳凰木の花弁に例えた比喩が美しい。華のある一連である。

 佳作一 介護施設に入居の母親を詠んだ作品で、選考委員二人が選んだ。三首目、五首目の完全介護や骨折によって身体機能が喪われてゆく状態が詠まれていて共感を呼ぶ。見ているしかない作者の無念さが伝わる。

 佳作二 この作品も二人が選んでいる。眼の不自由な人の詠まれたもので、三首目、四首目で作者独自の世界が詠われていて魅かれた。前向きな生き方にも好感を持った。

 佳作三 失恋の一連である。ちょっと甘いが乙女心が素直に詠まれていると思う。一、二、三首目は読んですぐ分かる歌で、五首の中では四首目が特に良く、「夜の手」という比喩が効いていてこの歌を成功させている。

 佳作四 若い選考委員の推した作品である。歌に独自性も飛躍もあり、若い人の歌らしく魅力があるのだが、フレーズや作り方に既視感あり損をしている。二首目、特に四首目に出て来るモルヒネから作者は重篤な患者かも知れないが、歌は軽く明るい。五首目は比喩に独自性があり、詩のある一首である。

 佳作五 最近少なくなった仕事の歌を入れたいということで佳作とした。子牛の出産前後がそつなく纏められている。四首目の青葉の風が生れた命の輝きを一層輝かす。

 奨励賞 自分の思いを自分の言葉で詠っているのが良い。一首目の音にひかれて行くと、“そこにはやさしい音達がいた”という表現がよく、一首を優れた歌にしています。

 中学生及び小学生の応募作品を読ませて頂き、指導の難しさを実感致しました。先生方の努力に感謝申し上げます。次回に期待します。

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屋良 健一郎

(やら けんいちろう)

1983年沖縄県沖縄市出まれ。2004年竹柏会「心の花」入会、佐佐木幸綱に師事。2005年第1回「おきなわ文学賞」短歌部門一席。名桜大学国際学群准教授。

講評

短歌部門

五首という難しさ

 今年から短歌部門の選考委員を銘苅真弓と屋良が務めることとなり、それまでの三名体制から二名での審査となった。第十回目となる今回の応募数は九〇編、これは第五回と同数の多さである。うち、小学生の作品が二九編であった。

 二名の選考委員は、選考会の前に応募作に目を通し、良いと感じる作品を八編ほど選んでおく。選考会当日は、互いが選んだ作品をひとつひとつ議論していく。「おきなわ文学賞」は五首での応募(小学生は三首)である。五首という少ない歌数(一般的な短歌の新人賞は三〇首での応募)のため、一首でも傷のある歌(たとえば、助詞・助動詞の誤用、活用形の誤り、誤字脱字などがある歌)が含まれていると、そこが目立ってしまう。他の四首が良くても、一首の傷を埋めるのは難しい。また、とても印象的な一首があったとしても、他の四首が平凡だと、やはりその作品を推すのは難しい。今回、一首単位で見ると優れた歌がいくつもあったが、五首の連作として評価すべきというのが選考委員の姿勢であり、連作としての構成(作品の並べ方や五首通して読んだ時の印象など)や全体的な完成度に留意して選考が進んだ。その結果、連作としては突出した作品がなく、残念ながら、一席なし、という結果とすべきというのが二人の共通の意見であった。

 一方、若手の作品と思われるものに詩的な表現が見られたのは特筆すべきことである(当然、作者名や年齢・性別を知らずに審査をするわけだが、作風から年齢が推測できる)。「波音に溶けて友は黄金(おうごん)となる」「ぷっくりと張り輝ける黄身(きみ)のよな連休」、「静かに泳ぐ本の海原(うなばら)」、「言葉の殴り合いの果てベッドは燃えて」、佳作となった作品(五十嵐裕唯)の「夜の手が」の歌など、印象的な比喩が少なくなかった。眼前の出来事をそのまま詠むのではなく、このようなひと工夫、比喩への挑戦を今後の応募作には期待したい。なお、佳作の作品(安里琉太)は「ハーモニカ」「モルヒネ」の歌など、前衛短歌やニューウェーブ短歌の素養を感じさせ、これまでの沖縄の作者にはあまり見られなかったタイプ。今後どのような歌を詠んでいくのか、注目したい。

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俳句部門

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野ざらし延男

(のざらしのぶお)

1941年生まれ。石川市山城出身(現・うるま市)。天荒俳句会代表。元高校教師。【句集】『地球の自転』『眼脈』『天蛇ーー宮古島』ほか【編著】『沖縄俳句総集』『秀句鑑賞ーータイムス俳壇10年』【高校生句集】『眼光』(中央高校)・『脈』(宮古高校)ほか多数。【受賞歴】沖縄タイムス出版文化賞『沖縄俳句総集』・日本詩歌文学館奨励賞『脈』・沖縄タイムス芸術選賞大賞(文学・俳句)・沖縄タイムス教育賞(「国語教育」俳句指導実践)ほか。

講評

俳句部門

句の世界の広がり

 「おきなわ文学賞」の第一〇回の節目に当たり全部門の見直しが行われたもようである。
 「俳句部門」の選考委員は昨年までの三人制から二人制になり、三浦加代子氏と野ざらし延男が引き続き選考を担当した。
 「俳句部門」の応募規定。五句一組み(小学生以下は三句一組み)。審査は五句一組みの総合評価。「俳句部門」の応募状況。「一般の部」五十六人、「小学生の部」二十二人、計七十八人。選考経過。一次審査。二人の選考委員が無記名の応募原稿から作品番号で八人を選出。二次審査。選出が重なった五作品について評価点をつける。三次審査。評価点の上位作品について協議し、入賞を決定した。

 

 入賞作品講評

【一席】
◇地球に帆洗濯物の白きこと
 「洗濯物」の「白」に着目し、「地球に帆」と飛躍させた喩法が句の世界を広げている。「帆」は未知の世界への航海へとつながり、希望の象徴ともとれる。

◇胎盤の奥に繋がる三・一一
 「三・一一」は東日本大震災の日。原発事故も同時に発生。未曾有の被災をうけた。原発から放出された放射能によって被爆した母と胎児をテーマにした句であろう。新しい命の誕生した胎盤奥に繋がっているのは被爆の管か。告発されているのは何(誰)か。

【二席】
◇白薊島のあばらのよじれけり
 薊はとげを体中につけた植物。「白」はあばら骨の「白」につながり、「よじれ」でその苦痛は倍加する。島の苦闘を表現した作品。

◇家中の吸盤押してゐる極暑
 「吸盤」に微妙な質感を感受し、酷暑をうまく表現した作品。

【佳作】
◇マネキンの目の透きとほる立夏かな
 透き通るマネキンの目に立夏の気配を感知した。感覚の冴えた作品。

【佳作】
◇陽炎や記憶を失くす人ばかり
 高齢者の認知症による記憶喪失が多くなっている。戦争体験者の記憶の風化とも関連する。「陽炎」は記憶喪失の暗喩であろう。

【佳作】
◇雲柱打ち立て竜呼ぶ返還地
 返還地に希望を抱かせる作品。地上に立つ鉄柱ではなく、天空に聳える雲を「雲柱」と詩的に表現した。「竜呼ぶ」で壮大なビジョンを暗示している。スケールの大きな句。

【奨励賞】(小学生の部)
◇秋の声川に足入れ化石ほる
「川に足入れ」「ほる」は現在、「化石」は古代、現在と古代を結びつけているのが「秋の声」。「化石ほる」には歴史を探究するという意味も含まれている。構成が巧みな句。

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三浦 加代子

(みうら かよこ)

『ウエーブ』主宰・『人』県支社長・県俳人協会副会長・著書『光と音と直感』・『草蝉』・『なまこ歳時記』にぬふぁ星図書館・河東碧梧桐研究所所長。論文「碧梧桐を通して見た沖縄」・「自然と人間」

講評

俳句部門

俳句のかたち

 七十八名の応募作品の中から、一般の部八名、小学生の部三名の作品を選び、次に選者二人の推薦作品に順位をつけ一次通過作品とした。更に五作品に絞って順位を決めた。五句とも破綻がない句を一席にした。小学生の部は選者二人が一致して推薦した作品が奨励賞。

 講評。

 一席。日常生活の断片に潜む閉塞感が句の原点か。「胎内の奥に繋がる三・一一」。震災の悲惨な記憶を蔵している胎内。「地球に帆洗濯物の白きこと」。洗濯物を地球の帆と捉えたダイナミックな発想。「白き風遺影の枠を四角とす」。死者を封じこめる為の四角の黒枠。「白き風」が死者を昇華する。

 二席。意識を現象化させ体感として引き寄せた連想の面白さがある。「白薊島のあばらのよじれけり」。戰場となった島の悲惨な歴史と痛みが肋の捩れか。「家中の吸盤押している極暑」。暑さを凌ぐ物を作動させるスイッチなど か。それとも鉄の暴風の残滓の吸毒か。

 佳作。「案山子立つ天動説の真ん中に」。鳥追いの案山子なればこそ大仰な「天動説」が面白い。社会的現象を見据える目がとらえた存在から滲みだす権威社会の不条理。

 佳作。「退廃の幻視を誘う猛暑かな」。猛暑が誘う幻視の形がイスラムの暑さと重なる。意識が先行を主とした実在の希薄さが句の特徴。

 佳作。「首もたげ銀河押し上げて発芽」。発芽のスローモーションビデオの感がしたが、「銀河押し上げ」の過剰ともいえる気迫が地球生命体の億年の時間を考えさせる。

 奨励賞。学校生活の体験の強さが強み。季語の斡旋の工夫が文芸である。「秋の声川に足入れ化石ほる」。「秋の声」が川のせせらぎや風のざわめきまで感じさせてより体験をリアルにしている。

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伝統舞台(組踊・沖縄芝居)戯曲部門

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大城 立裕

(おおしろ たつひろ)

1925年、沖縄県出まれ。上海の東亜同文書院大学中退。元県立博物館長。公職のかたわら小説、戯曲、エッセイを書き、「カクテル・パ―ティ―」で第57回芥川賞(1967)。著書に『小説琉球処分』『日の果てから』(平林たい子賞)『般若心経入門』ほか多数。紫綬褒章(1992)、勲四等旭日章(1996)。創作組踊を23本書き、そのうち『聞得大君誕生』は、国立劇場おきなわ創立10周年記念に、坂東玉三郎主演で上演。

講評

伝統舞台(組踊・沖縄芝居)戯曲部門

力作と不満と

 組踊、沖縄芝居ともに、若い世代による受け止め方が見られて、興味深かった。
 一般論をまず述べたい。

 組踊、沖縄芝居のいずれも、様式の伝統を持っていて、それが民衆によって、意識的に、あるいは無意識に支持されているが、題材に歴史、民俗が扱われることが多いので、それが仇をなすことがある。歴史、民俗ともに常識を説明することになりがちで、作者独自の解釈、物語の独自世界が見えなくなる。それでは、創作の意味がない。

 組踊は、詞章、音楽(太鼓、鉦をふくめて)の構成、調和を計算して成り立つもので、そのためによほどの想像力を必要とする。とくに、要所々々にはさまれる地謡の琉歌は、風景描写と心理描写のほか、それを挟む前後のリズムをかねて作る。入選した作品たちに、その完成度の高さを見たい。

 沖縄芝居は、人情やスペクタクルのいずれでもよいが、文体に制限がないために、思いつきの通俗、とくに、在来の低俗な作品を手本に、世間話的な題材に流れやすい危険がある。

 落選作品については、以上を反省の料にしてもらいたい。

 組踊「太鼓の縁」(西岡敏)の主人公は、ヤマト渡りの念仏僧である。僧の悲劇をめぐる人情が主軸だが、ユーモアもうまく織り交ぜ、組踊としての格調を生んでいる。薩摩入りの挟みも、ドラマの構成をなしている。見終わって泣かせるものになっていよう。

 「あだ花」(屋良美枝子)は、沖縄芝居の時代人情劇である。人物構成がありふれている割には、人物の書き分けがよく、口説、地謡、民謡、また間の者的な掛け合いの挿入など、よく計算されている。

 佳作のうち、ひとつだけ採り上げたい。「我瀬之子」(伊良波賢弥)は、「大川敵討」の悪役・谷茶の按司を主人公にしたような、あるいは「マクベス」にも似た着想が面白いので、全編に日本語になっている台詞(詞章)を組踊に書き改め、現段階でよく出来ている地謡のレベルまで磨き上げた上で、再度挑戦することを勧めたい。

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幸喜 良秀

(こうき りょうしゅう)

1938年沖縄県沖縄市旧美里村生まれ。琉球大学国文科卒。演出家。中学教師の傍ら演劇集団「創造」を結成し演出活動を続ける。1987年沖縄芝居実験劇場を結成。沖縄の身体表現に拘り、伝統芸能の継承と新しい沖縄芝居の創造に力を入れる。また元国立劇場おきなわの芸術監督時代には芸能人の後継者育成に務めた。

講評

伝統舞台(組踊・沖縄芝居)戯曲部門

舞台化への期待

 伝統舞台戯曲部門の応募作は 組踊7、沖縄芝居7編であったが、とりわけ組踊の応募作は総じて完成度も高く、中にはすぐ舞台化したいと思うものもあり伝統芸能の継承発展に確かな希望を持つことができて嬉しかった。

 1席の「太鼓の縁」と佳作の「重陽の月」は群を抜いており、組踊り脚本の体をしっかり整えており内容も構成も詞章もよく練り上げられている。濃密な詩劇で豊かに想像をかき立てる表現力に強く心を打たれのである。「太鼓の縁」は17世紀初めの薩摩侵攻を時代背景に展開する。日本から渡来してきた念仏層・恵中と下級士族・虎千代とのヒューマンな物語。登場人物の設定に成功している。ラストシーンは涙と希望で高揚する。

 佳作の「重陽の月」は15世紀の尚泰久王時代。王女の悲恋物語。世間に流布してきた伝説や歴史物語から離れ、新しいフィクションのヒロインを登場させ愛の三角関係、葛藤や苦悩、はかなさを美しく歌い上げている。詞章の表現もよく音曲の使い方が緊張感を高めている。最期の虎千代と龍魁の悲劇的場面の仕掛けは見事である。二人を失った王女真乙樽が、重陽の月に照されながら「散山節」で人生のはかなさを踊る終幕は印象的だ。

 佳作「我瀬之子」はこれまでの仇討物語の作劇術を踏まえながら、登場人物の造形に新しさがあり、これからの精進に期待したい。また、選には漏れたが「張子人魚」は児童のための組踊りとして可能性があり期待が出来る。「東海御願」は題材が良いので、今後さらに磨きをかけてみてはどうかと思う。

 次に沖縄芝居について述べたい。2席の「あだ花」は伝統的な涙あり笑いありの時代人情劇だ。極貧だが親孝行者のカマテと将来を誓い合っている村の娘オミトは幸せである。村へ首里からやって来た里之子・金松がオミトへ横恋慕をすることから劇は展開する。何時かどこかで見たような芝居展開だが理屈抜きに面白のだ。例えば歌劇の歌謡で進められる場面や芝居口調の台詞で展開される場面が上手い。懐かしい沖縄芝居の再現を高く評価したい。舞台化すれば多くの芝居ファンの涙を誘うに違いない。

 佳作の「風の島の王様」は児童劇の脚本として教育現場で取り上げられ舞台化されることを望みたい。プロ劇団による上演や児童生徒による上演などいろいろな方法があってよい。沖縄芝居の可能性を広げる実験劇になる。選には漏れたが「へちまの花よ」は沖縄戦後史を描いた社会劇だが劇展開が平板になったことが惜しまれる。

 応募作14編の組踊・沖縄芝居を読んでいて劇場に居るような臨場感を味わうことができて楽しかった。特筆されることは伝統芸能を学んだ沖縄県立芸術大学卒業生の精進と活躍だ。伝統文化の継承発展は偏に若者たちの肩にかかっていることをますます実感した。

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