選考委員・講評

一般文芸部門小説、シナリオ・戯曲、随筆、詩、短歌、俳句

小説部門

中村 喬次(なかむら きょうじ)

1939年奄美大島生まれ。南海日日新聞社記者をへて琉球新報社記者へ。宮古、八重山支局長。文化部デスク、出版部長。2000年退転。新報カルチャーセンター講師を務める。小説「スク鳴り」で第22回九州芸術祭文学賞受賞。南海日日新聞に小説「雪乞いらぷそ」連載。「ちんだみ随想」連載中。著書「南島遡行」(海風社)、「琉球弧 あまくま語り」(南方新社)、「唄う舟大工」(南日本新聞社)

講評

一般文芸部門 小説選考講評

聞き書き方式”が奏功

豊作の年もあれば、不作の年もある。今年の小説部門は後者となった。一席なしがそのことを端的に物語っている。昨年粒ぞろいだったから、その分、低調さが目立った。例年だと、事務局から送られてくる応募作から少なくとも3点は二次選考に推薦していたが、今年は1点に止まった。こういうときは、あとの選考委員2氏頼みである。T氏からは2点、M氏からは5点の推薦作が回ってきて、ほっとする。それでも一席はでなかった。
沖縄の文学状況が、傾向として、沖縄戦や基地をテーマとした作品が多くなるのは、これは当然のことである。戦時と戦後を問わず、その悲惨さ、政治的不条理といった事柄が執拗に繰り返されて、本土とは異質な相貌をあらわにしてみせる。戦後生まれの作家たちも、両親や祖父母の”伝承遺産”としてこれを扱う。そのときはもちろん、直接体験者とは別の語法、ある種の文学的処方が施されるはずで、また、それでなくては作品のリアリティを獲得することは困難だろう。
「自転車」もそんな一編。 出身地が県外であるため、地元から「やまとんちゅ」と呼ばれる独身の男が、同じ安アパートの独居老女の依頼で、戦時中の避難壕を探ねるというのが話の発端。老女はフィリピンから日本軍に連行されてきた慰安婦で年は80ぐらい。17歳のとき駐留日本軍兵士が家に押し入り、妹と二人、家の外に連れ出されてレイプされ、自分ひとり車で連れ去られた。最初、慶良間に連れて行かれ、多い日には二十人もの守備兵の相手をさせられる。
米軍上陸直前、他の慰安婦と一緒に本島へ移され、そこから彼女らの逃避行が始まる。書きようによっては、ガマにおける日本兵の脅しや戦場の修羅場をいくらでも劇的に描写できるところ。あえてそういう手法をとらず、感情排した聞き書き風な叙述で処理したのは賢明だった。

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田場 美津子(たば みつこ)

1947年沖縄県浦添市出身。琉球大学短大部法政科卒。第5回新沖縄文学賞佳作、第4回海燕新人文学賞、第22回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。
著書『仮眠室』-福武書店刊、『さとうきび畑』-出版舎Mugen刊。

講評

一般文芸部門 小説 講評

「さよなら命に優しい島」

二席『さなぎの夢といつかの足音』

 小学生のころに子ども食堂で知りあった穂香とハルが、中学生になって喜美江と出会う。さなぎの時期ともいえる三人は、通う学校や生活の場を親の都合で変えられる、はかない存在。だが、子どもだって一度きりの人生だから必死で、不登校をしてでも生き抜こうとする。健気な彼女たちに寄りそう、カエルやさなぎやオオゴマダラの小さな命たちや、ホウライカガミなども物語にマッチしている。それなのに、他所へ飛び去ってしまう喜美江は北海道で鳴くコオロギみたいに、(環境に影響を与えない外来生物)のようだとも連想される。十代の柔らかい感受性の機微を、瑞々しく描写した真っ直ぐな小説に、命が愛おしく抱擁されるような読後感を持った。ここは命に優しい島のはずだから。
 選考委員が一致して、作品のリアル感を損なってしまう、末尾の数行を疑問視した。その他、時系列や視点の乱れ、指示代名詞の多用なども指摘された。応募して数カ月後の今なら、段落を変えたほうがいい文脈に、作者自身が気づいていることだろう。
最終選考にあがった六作はどれも意義深いテーマで、内容での甲乙が私にはつけ難かった。そのため、字面や禁則処理など、表記面で甲乙をつけた。感服した文章表現に丸印を付しながら読み、その数の最多作が二席に選出される結果となった。次回はきっと一席の作品が、読めるにちがいないと期待している。女性の応募者が今回は少数で、最終の選考にも皆無だったことは、同性として淋しかった。
 一次選考で印象に残った作品の感心した点や気づいた点などを記し、今後も書き続けてとのエールを送る。「悲恋」構成を工夫して書いた努力。「海をめざしたカタツムリ」物語にまとめた根気強さ。「小和下家の崩壊」仏壇の一族と時代背景エピソードを関連づけて。「勝連のドン・キホーテ」歴史上の人物の現在紀行は秀逸。「リユウグウの使い」行くを来ると誤用する神はウチナーンチュ?「屈辱に耐えたある男の生涯」国の誤った法律にたいする告発作。「感謝」予知夢の効果的な活用。
本文六行目の( )内は「さなぎの夢といつかの足音」からの引用である。

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宮城 一春(みやぎ かずはる)

1961年沖縄県那覇市生まれ。編集者、ライター、沖縄本書評家。幾つかの沖縄県内の出版社、印刷会社出版部勤務を経て現在に至る。沖縄関連のコラム・書評・論説などを新聞・書籍で発表している。

講評

一般文芸部門 小説 選評

今年の小説部門の応募は三十作品。その中から、私の担当した第一次選考作品は十一作。
 今年の特徴はSF的なものやスピリチュアル的な作品が多かった。それとは逆に、沖縄戦を描いた作品がほとんどなかったことに驚かされた。沖縄戦という題材が、身近なものではなくなったのか、それとも、関心がなくなったのか、いずれにしても、沖縄戦を描いた作品は、激減していくだろうと推察する。
 また作者の考えを一方的に述べているだけの作品も多かった。改めて、小説とは何? どのような世界を描けばいい? と考えた上で、作品の世界を構築して欲しい。
 今回の作品の中で、一番読み応えがあり、引きこまれたのが『子ども部屋』。
 ある日突然、家の中が意識を持ったように膨張を始めるという、これまでにない内容の小説。独特の感性を持っており、高く評価した。
サスペンス・SF的な内容が、これまでの文学賞の範疇を越えているようにも感じた。
具体的には、登場人物の「部屋が人に与える影響があり、生活している人が部屋の型に合わせていく。部屋が住人の内面に影響を与える」や、「自分の部屋と物質的なもの(コレクション等)とが、同化している」や「住んでいる人間の内面が現れるのが部屋だ」という部屋に対する三者三様の考え方が面白かった。その、それぞれの部屋に対する気持ちが、膨張し、成長を続ける子ども部屋とリンク試合、不思議な空間を醸し出していく。
それが、ラストへとつながり、主人公の妄想だったのか、現実だったのか、読む人の解釈が分かれるのも面白い小説といえる。
ただ、文章をもっと練るべきという指摘が、選考委員の中から挙がったことも事実。内容と文章を、さらに練り上げていくことが、作者には求められていくことだろう。
 他に惜しくも選には洩れたが、『自転車』が印象に残った。戦争関連の内容だが、戦後の視点で描かれているところに独自性を感じる。普段はたどたどしい口調で話す老婆が、戦争のこととなると饒舌になるところが気になるが、それを鑑みても、良質な作品といえる。最後の十字架とロサリオの説明があやふやで、読んでいて悩んでしまうところに、選に洩れた理由であるが、そこを練り直して、さらなる作品へ仕上げて欲しいと思う。
 今回は、一席となる作品がなかったことは残念であった。来年度に期待したい。

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シナリオ・戯曲部門

砂川 敦志(すながわ あつし)

1974年、沖縄県出身。東放学園放送専門学校・放送芸術科を卒業後、深作健太、篠原哲雄、金子修介、崔洋一の作品に助監督として参加。
舞台「赤い丘」の演出と脚本、短編映画「うんじゅぬ花道」を山城知佳子と共同で監督・脚本を担当する。

講評

一般文芸部門 シナリオ/戯曲部門選考講評

一席『フォークロア』
「円盤」という日常的に姿を表す「謎の物体」。この得体の知れない円盤が決めた「生贄という制度・慣習」に従順な中学生たちは淡々と「生贄の選抜」を始める。
この作品の登場人物達の思考は、私にも日常的に吹き出る感情の一つではないかと思えた。
例えば、海外で起こる悲惨な出来事や状況に関してのニュース。その場では関心を寄せるが、直後「今日のお天気」の心配をする。そんな「瞬間」が生活の中にある。そして「自分でなくて良かった」と安心する。
過酷な世界中の情報を映像で観たり聴いたりしても「自分の生活」が最優先である。だからこそ、この沖縄に居て新聞やニュースを見過ごし、感心をずらして楽になろうとする私にとって、この作品の言葉が心に刺ささる。
「やっぱあれかな・・・慣れてる からかな?それか、慣れてる ふりをしてるからかな?」
「謎の物体に抗おうとする中学生」を通して、今の沖縄や世界中で頻繁に行われる権力側の「強行」や「隠蔽」「ごまかし」を現実的に実感させるSF作品であった。

佳作『首里城は僕らのもの』
「首里城の爆破予告」と首里城にある秘宝を探すドロボウ達のドタバタコメディ。シンボル化してしまい庶民から遠い存在になっていく観光地を自分達の遊び場として、取り戻して行く登場人物達の遊技的な芝居。
作者が高尚な観光地にある歴史的イメージを一度壊す事で単純明解、面白いと思う事に突き進んでいく作品。
首里城を舞台に物語を考える時、やはりその歴史的な背景を考慮しようとする作品は多いと思われるが、この作品には全く無い。しかしながら「固定する沖縄のイメージ」を壊したい、或いは壊すことで何か新たに見えてくる事があるとするなら、冒頭に主人公が語る
「ユネスコって、たーやが?なんでキャッチボールしたらダメになったば?」
何かの取り決めによって今迄の生きていた場所が突如として変容してしまう事への困惑。 知らぬまに「有名な観光地」になった、幼い時に遊んだ場所が跡形もなくなっていく。そんな些細で個人的な「大切な過去」がこの作品の根幹だと思う。
ただ、この手のドタバタ喜劇によく登場する「理解力の乏しい」人々がもっと正常な言動で物語が進むともっと面白くなったのでは?と感じた。
幼児のような「言い間違え」や「勘違い」ができる大人達ばかり登場すると物語がすぐさま「なんでもありの」の状況を産み出してしまう。
そうなると展開に何が起こっても驚きが乏しくなっていく。
とはいえ、読んでいて、つい声を出して笑ってしまった。快作である。

佳作『王の器』
尚円王の物語。この作品では計算高い「金丸」が登場する。
島に育った若者がなぜ、急速に学問を学べたのか?また、どんな手を使って短期間のうちに出世できたのか?また、なぜ戦争する事なく王座につけたのか?という謎が詳細に描かれている。
金丸(のちの尚円王)が他魯毎(南山王国の国王)の息子であったとの着想で物語は進む。
この作品では、金丸が王になって行く様に腑に落ちることが多く、史実と創作が上手く重なり合う事でより人物像をリアルに感じる。
金丸が「農民から王になった」と、当時からすると「神がかった奇跡の人物」ではなく「嘘」と「策略」時には欲望の達成なら親族も裏切る、ある意味人間味ある人物として登場する。志魯・布里の乱や阿摩和利と護佐丸への情報操作、そして「二童敵討ち」。のちに尚徳王への反乱・虐殺と、周囲の人々を巻き込み、誘導し王となっていく。
「平和の島・沖縄」は多くの武士や民衆の血が流れた戦国時代を経ての沖縄であったのだと、あらためて考えさせられた。とにも、かくにも壮大な歴史ドラマ。こんな映像が見たい!と素直に思えた。

 

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富田 めぐみ(とみた めぐみ)

八重瀬町出身。地域の祭祀を司るノロの家に生まれる。琉球芸能の魅力を伝えるため、老若男女に親しみやすく楽しい舞台作品を創作。琉球芸能大使館代表。沖縄県文化芸術振興審議会委員。国立劇場おきなわ公演事業委員。

講評

一般武芸部門 シナリオ・戯曲部門

「最も偉大なことは、メタファー(隠喩・暗喩)の達人であること」と古代の哲学者アリストテレスは言った。一席の「Folklore(フォークロア)」は、誰もがイメージできるものになぞらえて、沖縄を描いている。得体の知れない「円盤」が空に浮かび、「選抜」というシステムが課せられ誰かが姿を消す、理不尽な日々がいつの間にか日常となった沖縄。先生はプロジェクターで一方的に指示を出すだけで生徒の意見は届かないこと、生徒達で話し合って「選抜」の犠牲者を決めなくてはならないこと、何故「選抜」から逃れられないのか誰にもわからないこと・・・ただの一言も触れていないが、基地問題を抱える沖縄が鮮やかに浮かび上がり、権力者に抗うことのできない構図もはっきりと示される。恋や友情といった日常の出来事のように「選抜」を語る少女たちは、現実を直視することを避け、諦めているが、ある少女の行動によって「おかしい」と疑念を抱き、「黙っていられない、知らんふりしたくない」と踏み出した一歩に希望を感じる。メタファーに富んだ物語だからこそ伝えらえられる現実がある、刺さる問いかけがある。
二席の「逃亡者は果てを好む」は、「平和」「国家」「政治」などを人物として設定した会話劇。まっすぐな台詞の数々は、確かにその通りだが、やや理屈っぽく聞こえる懸念がある。観る人の心に届く演劇・映像としてどう立ちあがらせるかの熟考、終盤の再考が必要。
佳作の「ピカッと」は、ピカッと光るプリンターで自分のイメージを相手の脳にプリントできるという奇天烈な設定。マトリョーシカのような劇中劇や、現実と虚構の交錯など、複雑な構成だが読み物としては既に面白い。長台詞の推敲などは必要だが、縦横無尽な感覚を温存したままで舞台化を目指して欲しい。
今年は、実験作が多かったように感じた。一部、旧作や他賞への応募作を十分な練り直しをせず再応募した作品や、原作に頼る作品もあったが、多くは独自の表現を模索する作品だった。筋立てや、キャラクター設定にもチャレンジ精神が溢れ、入選は逃したものの、練り上げれば秀作になる可能性を感じる作品もあった。書くことで何かできるという気概を評価したい。かつて圧政に苦しんだ人々も、世界のそれぞれの場所で、本を、芝居を、映画を創って喜怒哀楽を表現してきた。物語の力で声をあげ、尊厳を保ち、生き延びてきた。大きな力に決して屈しない沖縄を感じた選考だった。

 

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随筆部門

嘉手川 学(かでかわ まなぶ)

沖縄県那覇市生まれ。オキナワふうどライター。泡盛新聞編集委員。沖縄のタウン誌の草分け「月刊おきなわJOHO」の創刊メンバーとして参画。歴史や文化、カルチャー、音楽など、幅広い沖縄ネタを扱う。
「月刊おきなわJOHO」では食べ物コーナーを20年近く担当。沖縄の食堂と沖縄そばと島豆腐と泡盛をこよなく愛す。
編著・著書に「沖縄チャンプルー事典」(山と渓谷社)、「嘉手川学のすばナビデラックス」「嘉手川学の古食堂味巡り」(東洋企画)、共書に「沖縄大衆食堂」、「笑う沖縄ごはん」(双葉社)、「沖縄食堂」(生活情報センター)など。

講評

随筆部門

今年の随筆部門は文章の内容が若いという印象でした。昨年に比べても明るい話題や自分の身に周りに起きた日常をうまく捉えた作品が多かったような気がします。昨年はどちらかというと戦争のつらい過去を乗り越えていった話や、戦後の思い出話などが多く、それが応募者の年齢を引き上げていたのかな、と思います。
一席になった成田すずさんの「女童(みやらび)さんと私」は、まず、文章が上手で流れに起承転結があって読みやすいのがよかったです。「私」が教え子である「女童さん」たちとの会話の中で、彼女たちの現在と過去を知り、なぜ「女童」なのかを知ることで、今を生きる大切さを知り、心の動きを感動的に結んでいます。
二席の比嘉恵子さんの「母とつないだ手」は、5人姉弟のちょうど真ん中の三女だった筆者は、子どものころは他の姉弟に比べて母の愛情は薄いのではないかと感じていました。ところがある出来事によって母の思いを知り、心配した母と帰りにつないだ手の温もりを50年経った今でも忘れないと、母親の我が子に対する深い愛情が感じられる随筆でした。
佳作の宮城翔さんの「想像力を無限大に」は13歳とは思えないほど文章が上手で、ハンディを感じさせないみずみずしい感性で、まるで風景が見えるような随筆でした。「水色の小紋」「ニワトリ観察記」「ヘルメット」はそれぞれの心象風景が見え、自分の気持ちをうまく表現していると思いました。また、奨励賞の大城梨音さんの「大家族」は、応募者の中で最年少らしい素直な文章なので選びました。
今回、選出されませんでしたが、個人的に好きだったのが、作品番号4番の「脂(ラード)の粕」です。いわゆるアンダカシーと母親との思い出の随筆で、50代半ば以上のアンダカシーを経験したことのある世代には懐かしくもあり少しセンチな気分になる話でした。そして、最も印象に残ったのが作品番号24番の「ヴィヴィの瞳」です。行ったことのない北イタリアの風景が見えて、随筆というよりも小説や短編映画を見ている気分になりました。もう少しエピソードや登場人物、季節感を加筆すれば小説にもなるのではないかと思い、次回は随筆ではなく小説を読んでみたいと思いました。
今年の応募作品は35作品。若々しい文章が多くそのうち半数の17作品が残り、何度も読み返してところ僅差で7作品が入賞となりました。今年も読んでいて楽しい審査でした。

 

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トーマ・ヒロコ(とーま・ひろこ)

1982年沖縄県浦添市生まれ。詩人。「詩誌1999」同人。2009年詩集「ひとりカレンダー」(ボーダーインク)で第32回山之口貘賞受賞。詩やコラムの執筆のほか、ポエトリーリーディングにも取り組んでいる。

講評

随筆部門

今年は35作品の応募があった。応募作を読みながら、「もしや今年は20代、30代の応募者はいないのではないか。どうすれば、この世代の応募者を増やすことができるのだろうか」という焦りに似た思いを抱き、選考に臨んだ。ふたを開けてみれば、一席と佳作は30代による作品だった。今年は生徒からの応募があったことが喜ばしい。佳作と奨励賞に生徒による作品が選ばれた。最も多いのは60~70代からの応募。他の世代の方もその世代ならではの「今、この時だからこそ書けること」と向き合い、トライしてほしい。
一席「女童(みやらび)さんと私」。なぜシニアのコーラスサークルなのに名前は「みやらび」なのか?という疑問が、戦時中の話を織り交ぜながら明らかになる。メンバーのいきいきした姿と、筆者の素直で優しい視点が伝わって来るさわやかな作品。
二席「母とつないだ手」。いつも冷たいと思っていた母の愛を初めて感じたエピソード。1人で乗ったバスの中での不安な様子にハラハラさせられ、母親の声がした場面が鮮やかである。読みやすく、読ませる力がある作品。
佳作「想像力を無限大に」。まさか筆者が13歳だとは思わなかった。見えないことに対して不平等と思ったこと、努力すること、想像力のこと、見える人へのお願いと内容が充実している。すっきりした文体も良い。
佳作「水色の小紋」。兄弟たちがお金を出し合って筆者の成人式用に用意した着物。結局成人式に行かなかった後悔と、時を経てその着物に袖を通し、その後ずっと着ていることが、丁寧に淀みのない文章で描かれている。
佳作「ニワトリ観察記」。どこかユーモラスに読者を引き込む力がある。卵を温める習性のないブロイラーが、チャーンを見て卵を温めるようになったという発見は驚きを与える。
佳作「ヘルメット」。貧しいY君とそのお母さんへの尊敬が感じられる。Y君の普段の体育着と、修学旅行での白いポロシャツの対比も効いている。〈もし今、神様が現れて~〉のくだりもユニークな視点。とにかく読みごたえがあった。
奨励賞「大家族」。寄宿舎に入るまでの慌ただしさ、入ってからの寂しさとそれを克服したことがよく伝わってくる。寄宿舎の中の様子や〈大家族〉との関わりが丁寧に描かれている。
受賞には至らなかったが、「胡蝶蘭」「給料袋」「いちばん」「月の砂漠」「ザワワざわざわ」も力作であった。

 

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詩部門

西原 裕美(にしはら ゆみ)

19 93年生まれ、浦添市出身。詩人。「詩誌1999」同人。
処女詩集「私でないもの」で2013年第36回山之口貘賞受賞。

講評

詩部門

なぜ詩という表現方法を選ぶのか

詩の表現がスローガンや文章の域を脱して「詩であること」、「詩だからこそ表現できるもの」と感じられる作品に出会えたと思う。

一席『仲西へーい』 安里佳也
 やるせなさ、切迫感を感じさせる一方で、コミカルでもある。沖縄の様々な問題を映し出しているが、それはただの訴えに留まらず、詩の表現として成り立っている。注釈があれば、より良いと思われる。

二席『地元にピース』 菅谷聡
 ラップのようなリズムで沖縄の抱える問題を皮肉っぽく表現している。しかし、リズムを刻みながらも軽々しい表現ではなく、読み手を逃さない。『地元』の様々な状態や歴史を読者に見せる力のある作品。

佳作『背中』 真壁真治
 「行進がある」という言葉がリズムを刻みながら、その行進は時代が変わってもあり続け、参加する人は年を取り、子どもを産み、世代は代わっていく。変わらない行進と変化していく世代との対比は、それを詩として成り立たせている。

佳作『吃った夜に、とろとろと詩を煮詰める』 偉功吉助
 詩を多く読み、書いてきた人の作品だろうと思わせる。重厚さがありつつも、読み手を試すような掴みにくさがある。技巧をこらしているという意味では、一席や二席に値する作品だろう。しかし、それ以上のものが欲しいと思われた。

佳作『リフォーム』 安藤うらか
 年を重ねていく中で、自分を繕いながら生きていく過程を、温かく、柔らかく表現しているように感じさせる。しかし、それだけではなく、年を重ねてきたからこそのユーモアや深みもある作品。

佳作『雪雷花」 関谷朋子
 みずみずしい感性で、息の詰まりそうな空虚感を感じさせる作品。誰かへの執着心を感じさせるのに、その執着心が一瞬で消えてしまいそうな感じもする。アンバランスな感情をそのまま突き付けられたような、気持ちを揺さぶられる作品だった。

佳作『子宮におはよう』 東浜実乃梨
 作品の空気感を生み出す言葉のチョイスや余白の使い方が美しい。一席にこの作品を推したかった。大事なフレーズで、漢字のミスだと思われるところがあり、非常に残念だったが佳作とさせてもらった。

奨励賞『魚釣り』 島當伸一郎
 作品を読み上げたときのリズムが魅力的。音が溢れている印象を受けた。オノマトペが豊かに使われている。魚釣りの楽しさや、溢れる音の世界に読者を引き込むような作品。

その他最終選考に残った作品は、「名器による死のCUNT」「赤花」「月桃の白い花たち」「明ける、年」であった。

 

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仲村渠 芳江(なかんだかり よしえ)

大阪文学学校通教部研究科退籍。第一回おきなわ文学賞詩部門一席受賞、第三十回山之口貘賞受賞。おきなわ文学賞詩部門への期待は『おいしいをずっと。あたらしいをもっと。』* でしょうか。(*吉●家コピー)

講評

詩部門

詩行を立たせるための方法をどうするか

ご応募いただいた作品は五十二編、書き手の年齢層は十代から七十代、そのなかに盲学校中等部から寄せられた二編が含まれていたことを選考後に知り心嬉しく思った。 おきなわ文学賞では昨年から点字での応募も可として門戸を開いている。「不自由」が表現することへのバリアにならないよう広く認知されることを願う。

選考結果は以下のとおり(敬称略)
一席・沖縄県知事賞「仲西へーい」 安里圭也
二席・沖縄県文化振興会理事長賞「地元にピース」 菅谷聡
佳作・「背中」 真壁真治
  「吃った夜にとろとろ詩を煮詰める」 偉功喜助
  「リフォーム」 安藤うらか
  「雪雷花」 関谷朋子
  「子宮におはよう」 東浜実乃梨
奨励賞・「魚釣り」 島當伸一郎 (中学生)

ほか、最終選考の卓に乗らなかったが「うちな~んちゅ」「風花」「土竜の嘆き」「流星」「埋没」「あの日」「乙女たちが見つめるもの」「ヒューマンライク」「僕はまだ火の海を知らない」作品にも魅力を感じたことを伝えたい。力作が並んだ年であった。

そして、これまでにない特徴もあった。
一、フォントを拡大したり記号を用いたりした絵画的・音楽的な表現や、比喩技巧の優れた作品など文学賞の未来を確信する作品が数編あったこと。
二、作品の四分の一の表現対象が社会状勢〈日米安保・地位協定のもたらす沖縄への犠牲等〉であったこと。
三、性にまつわる作品〈暴力・中絶・流産など〉が数編あり表現領域の広がりが見られたこと。

どの作品にも思いがある。大事なことは、思い(テーマ・きっかけ)を、詩行として立たせるための方法をどうするかということ。(私たちが一編の詩を読むときの喜びはどこにあるだろうか)
一席作品は、少女と伝説の妖怪(マジムン)仲西へーい(珍しく姓を持つ妖怪)を組み合わせる方法で詩行を立ち上げた。話し言葉を効果的に選択し、離婚した母の人生・働かない彼氏の人生・中学で家出をした少女の人生に妖怪をクロスさせる(この新鮮さ)。人を連れ去ると伝えられてきた妖怪は熟練のカウンセラーのようで少女に再生の力を与える(伝説を覆す面白さ)。書き手は直接的に語らない。語らないことで思いは際立ち広がりを見せる。
詩行を立たせるためのひとつの方法を私はこの作品に学んだ。

最後に漢字変換の際の注意を促したい。間違いが受賞作にもあり、議論のうえ作品の魅力がそれを上回るだろうとしたが、書き上げた後のチェックも欲しい。

 

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短歌部門

佐藤 モニカ(さとう モニカ)

歌人・小説家
竹柏会「心の花」所属
2010年「サマータイム」で第21回歌壇賞次席
2011年「マジックアワー」で第22回歌壇賞受賞
2014年 小説「ミツコさん」で第39回新沖縄文学賞受賞
2015年 小説「カーディガン」で第45回九州芸術祭文学賞最優秀賞受賞
2016年 第50回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞
2017年 詩集『サントス港』で第40回山之口貘賞受賞
2018年 歌集『夏の領域』で第62回現代歌人協会賞および第24回日本歌人クラブ新人賞受賞
現代歌人協会会員・日本歌人クラブ会員

講評

短歌部門

「自身の感性をいかして」

応募数は二十五点。残念ながら、今年は一席はなしという結果になった。こういったコンクールでは一首一首の精度の高さはもちろんのこと、連作としての完成度が問われる。この歌はいいけれど、こちらの歌に傷があるなどという、悩ましい状況に度々陥る。それらを乗り越えて、毎回受賞が決まる。この一首、自信作だったのになぁという方は、ぜひ連作全体を眺めてみてほしい。
二席島みえこ氏は点訳という珍しい仕事を歌に詠み、いきいきとした職業詠に仕上げた。これらは私も初めて知る世界であり、大変興味深い内容であった。島氏のこの作品の素晴らしい点は、自身の感性をいかし、一首一首を詩的に仕上げている点である。昨年同様、本年もまた、応募作品には説明に偏りがちなものが多かったのであるが、そんな中でこの作品は光っていた。読者を信頼するというのも作歌では大切なことであろう。
〈かろやかに「海を見に行く」と書いたひと 凸点(とつてん)文字に潮の香寄する〉〈凸点で一行のみの日記書く水面に指をさしこむように〉
一首目「文字の重たき」や五首目「点字学ぶに心整う」あたりは再考の余地がまだありそうだ。
佳作は四作品選んだ。
金城光子氏は、亡き夫との思い出を、掛け時計を通して歌っている。
ところどころリズムが崩れる点やセンチメンタルに偏りすぎるところは注意したい。しかし、〈ゆくりなく捩ぢ捲き時計の鳴り渡り独り居の吾を鼓舞するように〉の一首はとても素敵だ。こうやって、前向きに歌に詠むことで、自身を支えておられるのだろう。「独り居の吾を鼓舞するように」と読みながら、読者もまた力が湧いてくる。
前城清子氏はお盆について詠む。〈それぞれに運ぶ歩幅は違へども二度と辿れぬ貴重な八十路〉に作者の感慨が詠まれており、心に響く。なお、「貴重な」の念押しは不要であろう。なくとも読者の心を十分に打つのだから。
与儀典子氏はひめゆりの少女たちを詠む。〈追憶を聞き取りゆくに九十二歳(くじふに)の母の目尻を涙のつたふ〉体験を聴くことの大切さが伝わる連作。せっかくなので、作者独自の切り口がもう少し欲しかった気がする。
金城三二氏はサイパンについて詠む。どうしてもこれを詠みたい、詠むのだという強い気持ちがじわじわと伝わってくる。自身の大切なテーマとして今後もぜひ詠みつづけてほしい〈戦世が無ければ今も楽園と繰り返し語る母のサイパン〉

 

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永吉 京子(ながよし きょうこ)

1988年比嘉美智子に師事。
1995年「花ゆうな短歌会」結成に加わる。
1996年「未来」入会、近藤芳美に師事。
2005年桜井登世子に師事。
2009年歌集『若葉萌ゆ』刊。
2016年日本歌人クラブ九州ブロック沖縄県幹事。
現代歌人協会会員。

講評

短歌部門

 今回は一席がなくて残念である。二席の島えみこ作品は二人の選考委員が一致して上位に推した。点訳ボランティアという仕事の歌として詠んでも新鮮で、作者の思いがストレートに伝わる。二首目、目の不自由な人が「点字書」を読むときの指先の動きに音を感じ、三首目の下の句「凸点文字に潮の香寄する」という繊細な感覚、四首目の「水面に指を指しこむように」の比喩も美しい。一首目と五首目が単に説明になっているのが惜しい。一席に推せなかった理由である。
  佳作の金城光子作品は五首とも纏まっており、連作で訴える力を発揮した。五首目から詠むと「ゆくりなく」の言葉が生きた。二首目はオノマトペを用いずに「鈍き音する古時計」の音を読者に委ねた方が想像が膨らむ。表記に少し難があった。
 前城清子作品は一首目・二首目・五首目がよかった。特に五首目の「運ぶ歩幅は違えども」に老いを達観している八十歳になったばかりの作者の日常がしのばれた。「貴重な」は言わなくてもいい。また、三首目の「ミンヌクー」を知っている人も少なくなったこの頃である。さらに、実際に作る人は幾人か・・。
 与儀典子作品、実は最後まで心に残った作品である。タイトルがあり「ひめゆり」、作者の実体験かと思っていたら五首目にきて母親やその世代の方たちを詠まれたものとわかった。原稿用紙の使い方がきれいで表記も正しく、誤字も無しのお手本のような作品。ただ、これまでに多くの方が詠んできた素材なのでインパクトが薄く既視感は否めない。然しながら、風化が危ぶまれている戦争体験を「次世代への継承」ということを考えると貴重な作品といえよう。
 金城三二作品は内容が深く力のある歌が揃っている。だが、表記に問題があり、誤字も見られたため上位にはなれなかった。
 短歌は(原稿)用紙の上からマスを空けずに書く。二行にまたがる場合もやはり上から続けて書くこと、これが基本である。一字(一マス)空けには、それなりの意味があると短歌では考えられている。

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俳句部門

井波 未来(いは みらい)

県『人』副支社長・県俳人協会理事・県俳句協会理事・「第15回俳句in沖縄実行委員長」・著書・句集『禅宣言』・句集『心音』・アンソロジー「がんじゅう俳句でえびる」・共著「沖縄子ども俳句歳時記」。論文「超高齢化社会における生涯学習と図書館」・「超高齢者の生涯学習としての俳句創作と風土」。

講評

俳句部門

民意

月桃や殯の島に頭垂る
 日本の古代に行われていた葬儀儀礼である殯は、死者の「死」を確認する本葬までの長い期間であるが、島の置かれた現状を「殯の島」と言い放ったところが強烈である。戦死者への深い畏敬の思いがある。
  星流る反基地の士の遺す海
 地上戦同様、海上においても凄惨な戦争であった。海は反基地の兵士の遺した「遺産」。沖縄の海は稚魚を育てる。「海を作る海である」と専門家は言う。その海に降るまばゆいばかりの星が浮かんだ。

二席
  暗雲より足出し地摑む民意
 沖縄の民意が問われた知事選挙であった。作者は手ではなく、足で摑み取ると詠む。島にしかと立ち根を張る。作者の五句には、「民意」「ゆずり葉」「節に皺に決意」「懊悩の証」「擬態脱ぎ捨て波になる」という強い『平和を願う』テーマがあった。

  言の葉の魂ゆずり葉となる教室
 「楪」は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉する。その様子を親が子を育て、家が代々続いていくことに見立てて、正月の飾りや庭木に使われる。言の葉の魂は「言霊」であろう。「教室」には、平和への希求がある。

佳作
  竜渕に潜み黙認耕作地
  積乱雲うんとあかるい嘘の後
  石ころと語るひと日の終戦日
  静寂や珊瑚の産卵夢繋ぐ
  蜜豆やぷるんと揺れる銀河系
 自然界に触れた心情と深層が詠まれている。

竜は中国では「霖旱」を支配する神獣と考えられている。雨と日照りを自在に操る神獣で「春分に天に昇り、秋分に淵に潜む」と言われている。近年、日本列島における災害は、竜(神獣)によるものなのか・・・考えさせられた。

 

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金城 けい(きんじょう けい)

1991年 東京原爆忌俳句大会奨励賞受賞。
1993年 炎天寺青葉まつり記念俳句大会特選受賞。
1995年 沖縄タイムス芸術選賞文学部門(俳句)奨励賞受賞。
     NHKラジオ番組「ラジオ深夜便」の「ナイトエッセー」コーナーで
     「戦後50年・沖縄のくらし」を語る。
1997年 NHK「BS俳句王国」出演。
2015年 第1回世界俳句協会俳句コンテスト 第1位受賞。

著書 句集「回転ドア」「水の階段」「悲喜の器」
   詩集「サガリバナ幻想」「陽炎の記憶」

沖縄タイムス「タイムス俳壇」選者(1997年~2014年)

講評

俳句部門

一席  下地武志
慟哭を掻き抱く夏のレクイエム
月桃や殯(もがり)の島に頭(こうべ)垂る
 一句目、戦争で亡くなった方々を思うと胸が張り裂ける思いがする。そういった天国の死者の魂を思うにつけ、鎮魂歌に託すしかない生者の口惜しさが胸に迫ってくる。二句目。月桃の季節になると凄惨な沖縄戦を思い出す。紅色の月桃の花が俯く姿を見て作者は「殯」の言葉を拾う。それは、死者に対する敬愛・陳謝の意を表(ひょう)していると思われ、作者も又、頭を垂れているのである。
 他の三句、「碧眼の兵」「迷彩の壁と雲の峰」は、対象化が生きて居り、「星流る・・・」は急逝してしまった翁長前知事に対する思いを淡々と述べている。

二席  伊志嶺圭子
暗雲より足出し地摑む民意
言の葉の魂ゆずり葉となる教室
 一句目、暗い世の続く沖縄、民の声に微動だにせぬ政府、やっとここに来て、翁長前知事を先頭に言いたいことを臆せずに言えるようになった。産土(うぶすな)を守る強い民意をこれからも表明していこうという作者の思いが伝わり、共感し、「地に足の着いた」県民の戦いは、まだまだ続くであろうことを示唆している。二句目、「言魂」という言葉がある。戦争体験者の方から話を聴き、戦争を知らない若い世代の人達が「ゆずり葉」となって伝えて行くと言う。「言魂」をしっかり受け止める若者の姿。決意を優しく美しい言葉で表現している。

佳作
「(蓑虫の…)」(葦岑和子)―沖縄の基地の占める大きさを巧みに表現している。
「積乱雲…」(関谷朋子)-”嘘の後“との取り合わせに新鮮で意外性があり、おもしろい。
「石ころ…」(仲嶺正子)-沖縄の土着の風俗が垣間見えた作品となっている。
「咲き狂う…」(新屋敷多知子)-“夾竹桃”との狂演が光っている。
「蜜豆や…」(赤嶺佑基)-“銀河系”とのぶつかり合いに意外性(飛躍)があり、「ぷるん」が生きている。

 応募作品を改めて読んで思ったことは、言葉が練られてなかったり、詩的表現に乏しかったり、着眼点はいいもののそのままで写し取る等々、口惜しいと思う作品が多かった。小学生の皆さんも未来へ向かって頑張って欲しい。

 

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しまくとぅば文芸部門琉歌、学校演劇戯曲

琉歌部門

新垣 俊道(あらかき としみち)

沖縄県立芸術大学非常勤講師、沖縄伝統組踊「子の会」会長、沖縄県立芸術大学大学院舞台芸術専攻修了、国立劇場おきなわ第一期組踊研修修了、国立劇場おきなわなど県内外の伝統芸能公演に多く出演する。

講評

琉歌部門

 今年度の選考会はしまくとぅば普及センターと連携し、しまくとぅばの普及・継承の促進を目的に「しまくとぅば文芸部門 琉歌部門」の名称で実施された。その効果もあり、前回と比べ応募数が増えたことは大変喜ばしかった。応募者が増えたその他の要因としては、応募料が無料ということも影響したものと思われる。

  本選考会では恩納村や南城市などの選考会とは異なり、テーマは特に設けていない。そのため、応募者は自由な発想で作品を創造しており今回も様々なテーマの作品が集まった。
 一席には神里千代子さんの作品が選ばれた。昨年度の一席に続き二年連続の快挙である。数多ある星の中で、ひときわ光輝く星を我が母とし偲ぶ心情が詠まれている。在りし日の母との思い出が蘇り、詫びしさが伝わってくる作品である。
 二席には西原幸子さんの作品が選ばれた。齢を重ねても愛しい御方の面影が忘れられず、朝夕と心が惑わされてしまう思いが表現されている。幾つになっても好きな人を思う気持ちは、時代が変われども世代を超えても変わらないという普遍性を感じた。
 佳作には5名が選ばれた。前原武光さんは仲風形式の作品が選ばれた。仲風形式の作品は前原さんの作品のみで選考会では注目を浴びた。蝉の短い命と我が身を置き換えて表現され、さらにその思いを仲風形式で詠まれており風流さを感じさせてくれた。第一句の長音をもう一工夫することで、さらに秀作になったと思う。多和田吉雄さんの作品は、朝の生命力溢れる自然の美しさや色彩感が表現され、同時に四季が変わる度に果報をもたらすという予祝の願いが込められている。仲田正弘さんの作品は、「雨も上がったし、ちょっとこの辺りを散歩でもしようか!」という何気ない日常の様子をうまく表現している。雨が上がった後の清々しさが情景として浮かび上がってくる。町田政子さんの作品は「10・10空襲」が主題で砲弾を「敵の暴弾(たまあらし)」、那覇全体を「那覇の四町」とうまく言い回しながら那覇全体が火の海に包まれた無残な姿を表現している。宮城朝喜さんの作品は「島の言葉」、つまり「しまくとぅば」がテーマで、沖縄県が取り組んでいる「しまくとぅば」普及運動がますます勢いづいて欲しいと願う思いが込められている。

 応募作品全体を見ると思いが強すぎてしまう、または思いをうまく昇華できていない作品があったほか、字数が足りないものや逆に字数が多い琉歌も見受けられた。また、多くの琉歌で使用されている言い回しや表現を借用しているものもあり、リズムは良いが独創性が薄い作品もあった。その中でも受賞した作品はリズム良く言い回しながら、うまく比喩的な表現がなされ全体を通して安定した琉歌であった。
  今後の課題は他の琉歌選考会でも同じだが、やはり若い世代の応募であろう。ウチナーグチを話せない世代による琉歌の創造はハードルが高い。しかし、このような環境な中でも県立芸大生など芸能に携わる者から一作品でも秀作の琉歌が生まれてくることを期待している。

 

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宮城 鷹夫(みやぎ たかお)

1923年、沖縄県佐敷町(現南城市)出身。ジャーナリスト、沖縄県文化協会顧問。
長く文化活動に関わり、沖縄県文化協会、沖縄県南部連合文化協会などの設立にかかわり文化運動を推進。沖縄県文化功労賞(2001年)、文部科学大臣賞(2004年)。

講評

琉歌部門

時代の流れ、親しまれる琉歌

 やっと、おきなわ文学賞「しまくとうば文芸琉歌部門」の選考を終えた。「やっと」と言ったのは、あまりにも秀作が多く、しかも幅広く詠まれていたからである。応募作は46点(45人)、昨年の3倍以上の歌が集まったので、作品について「賛成」「異論」「保留」などの意見と、さまざまな形の論議が交わされ、ずいぶんと時間がかかった。

 その結果、「群星と母の思い」を詠んだ神里千代子さんに沖縄県知事賞、「見ちゃるまさり世」を詠んだ西原幸子さんに「しまくとぅば普及センター長賞」あげることに決めた。
 神里さんの歌には、天の星空に母への思いを求める「孝心」が込められている。琉歌で詠む風景は、言ってみれば自然の一点にすぎないが、そこに人の心を映し取ったとき、もはや単なる空間ではない。ふっと手を合わせて拝みたくなるではないか。
 西原さんの歌は、現在沖縄の万人の願いを見事に表現している。琉歌は「人情」「自然」「男女、親子の愛」だけでなく、きわめて政治的な問題もある。沖縄の民意が政策的に否定されると、嵐の声も響いてくる。「ああ、静かなふるさと」が欲しい。子や孫のためにも、静かなる世を祈り待ちたいものよ。
 そのほか、佳作5点を決めた。琉歌は当然「8886調」(386とは言わない)が基本だが、二揚「仲風節」(7586調)の歌謡もある。佳作に順位はないものの「鳴くなアササ」「畑花」「雨上がり」「敵の暴弾」「若夏」など、面白い歌と思った。

 ここ数年、琉歌が多く詠まれるようになった。その根底に「芸と遊びこそ沖縄の歴史的文化」の意味が込められているからだろう。最近の歌集や恩納ナベ、よしや(俗にチル)を持ち出すまでもなく、200年ほど前の『琉歌百控乾柔節控』には優れた三線歌が多く出ている。戦前まで盛んであった。「野遊び」(モーアシビ)などでも、恋や人情を三線に乗せて歌ったではないか。俗に「歌三線」という。琉歌は三線と一体であることを申し添えておこう。

 

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波照間 永吉(はてるま えいきち)

石垣市出身。
琉球大学法文学部国語国文学科卒業。沖縄県立芸術大学付属研究所所長を経て、現在沖縄県立芸術大学名誉教授。
琉球文学・文化学を専門分野として、琉球弧の祭祀や文学に関する論文を多数著す。
鎌倉芳太郎資料集の編纂で知られ、著書に『琉球の歴史と文学―おもろさうしの世界―』などがある。

講評

しまくとぅば文芸部門【琉歌】

 琉歌はしまくとぅばによる文学としては、王侯貴族から無名の庶民までが自らの喜怒哀楽を表現するものとして、もっとも親しんだものであった。今回のおきなわ文学賞で「しまくとぅば文芸部門」に琉歌の部門が建てられたことは、しまくとぅばの復活に力になるに違いない。このような主催者の思いに応え、多くの方々が応募してくれたことに感謝したい。
 さて、今回の一席の歌「群れ星の中の 光る星とまいて 母と思て詫びる 心さびしや」は、母の情愛を思い、その姿を天空に求め偲ぶ心を歌うものである。作者には「詫び」なければならないことがあった。この一語がこの作品に奥行きを与えている。多くの人が経験する親への思いを表現して、すぐれた琉歌である。二席の「このきやなてまでも 里前面影の 我肝あまがしゆさ 朝も夕も」は、恋歌琉歌の典型的な作品と言って良いだろう。若い日の命燃やした恋が、老年の今になっても忘れられないのである。これまた、多くの人の共感する思いに違いない。下二句に今ひとつの工夫があると良かったと思う。
 佳作には5作品が選ばれた。そのうちの「鳴くなアササー どく泣くな 我身も命さだめ 知らぬあもの」は、応募作の中で唯一の仲風作品で、琉歌表現の面白さを知らせるものである。上句の鳴きしきる蝉への呼びかけと、下句の「我もまた、自らの命の行く末を知らないのだから」という表白が見事に対応していて、真実味を増している。また、「思びらじに降たる 敵の暴弾 火の海になたる 那覇の四町」は、「十・十空襲」を歌っていて優れている。沖縄戦を歌う作品は他にもあったが、第一句の「思びらじに降たる」によって類型から免れていて評価できる。「雨上がい日和 涼風ん吹ちゆい 近所細道ゆ 巡てぃんだな」は、ユニークな作品世界を描き出した。涼風の吹く雨上がりの小道をゆったりと歩むのどかな時間が思い描かれ、秀逸である。「咲きゅる花畑 朝太陽よ受けて 四季変わる如に 世果報お迎へ」は、朝の太陽を受けて花畑に咲きそろう花に、豊饒の世の到来を思い描く、作者の穏やかな心中が推察されるのどかな歌になっている。「微風る若夏や 和々と涼さ 浜風に乗ら 島ぬ言葉」は、しまくとぅばをモチーフにした作品である。若夏の島に吹く涼やかな浜風に乗せてしまくとぅばが流れてくる。このような、懐かしくも穏やかで平和な沖縄の未来を共に願いたいと思う、良い歌である。
 このように並べてみると、何れの作品共に味わい深く、そこには優劣の差のほとんど無いことがお分かりいただけるだろう。選者一同、今回の応募作品の豊かさを喜びながら、その選考の難しさを感じたことであった。

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学校演劇戯曲部門

大城 貞俊(おおしろ さだとし)

1949年沖縄県大宜味村生まれ。
元琉球大学教授、詩人、作家。
受賞歴に沖縄タイムス芸術選奨(評論)奨励賞、具志川市文学賞、沖縄市戯曲大賞、文の京文芸賞、九州芸術祭文学賞佳作、山之口貘賞、新風舎出版賞優秀賞、沖縄タイムス芸術選奨(小説)大賞、やまなし文学賞佳作、さきがけ文学賞など。

講評

しまくとぅば文芸部門【学校演劇】

応募作から多くのことを学ぶ

 

 今年、おきなわ文学賞に新設された「学校演劇戯曲部門」の選考委員に携わる機会を得た。新設であるだけに応募作品の多寡に気をもんだが十五編の応募があり、それも意欲的な作品が多く、しまくとぅばの奥ゆかしさ、伝統文化を表象する言葉の力など応募者諸氏から学ぶことが多かった。

  選考評は入選者六作品を中心に記すが、一席には「輝け青春」(津波盛廣)、二席には「命の千人針」(仲村元惟)を三人の選考委員全会一致で決定した。

 第一席の「輝け青春」はまさに題名が示すように青春が弾けた作品である。S高校女子空手部を巡る物語だが、沖縄の伝統文化としての「しまくとぅば」と「空手」を組み合わせた発想も心憎い。ワルの男子学生を改悛させる単純な物語だが、身近な題材で楽しんで演じられるのではないか。時間配分や構成にも無理がなく学校演劇部門として相応しい作品である。
 第二席の「命の千人針」は学校を離れても十分に舞台化が図られる熟達した完成度を有している。戦争、兄妹愛、親子愛と多様なテーマをバランスよく整理した技量は高く評価したい。何よりも完成度の高いしまくとぅばの使用に高い評価を得た。
 佳作は「田場大工」「北極星の如し輝ちゅん」「ヒルサキツキミソウ」「しまくとぅばの森へ」が選ばれた。「田場大工」は軽快なテンポで展開される物語で心地よく、よくまとまった作品である。「北極星の如し輝ちゅん」は高校生の食習慣をテーマにしたもので、現在、過去、現在とメリハリのある舞台構成も分かりやすい。「ヒルサキツキミソウ」は、重いテーマをよくしまくとうばで舞台化することを思いついたものだ。その挑戦する姿勢を高く評価したい。「しまくとぅばの森へ」は、作者のしまくとぅばを愛する思いが伝わる作品だがたくさんのことを詰めすぎた。しまくとぅばを多角的な視点で捉えようとしたのだろうが、舞台化すると目安としての40分には収まらないだろう。このことが惜しまれた。
 入選作ではないが「群星の思い」もユーモアのセンスも秀でていて強く好感を持った作品だった。他の応募者も含めて今後とも精進を重ねて欲しい。

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下山 久(しもやま ひさし)

「国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ」総合プロデューサー・芸術監督、エーシーオー沖縄(芸術文化協同機構)代表。
文化庁芸術祭優秀賞受賞作「島口説」をはじめ沖縄発信のオリジナル作品を次々発表。地元沖縄の芸能をとりいれた意欲的な作品づくりをおこなっている。海外アーティストとの国際共同制作作品も多く、国内外の芸術団体とのネットワークを築いている。
公益財団法人舞台芸術財団演劇人会議理事。アシテジ日本センター理事。日本児童演劇協会理事。第17回アシテジデンマーク世界大会作品選考アドバイザー、第19回アシテジ南アフリカ世界大会作品選考アドバイザー等を務める。第63回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

講評

しまくとぅば文芸部門 【学校演劇】【戯曲部門】

おきなわ文学賞 しまくとぅば文芸部門 学校演劇戯曲部門へ沢山の応募があり、感動しております。学校演劇戯曲部門の作品は、どれも「しまくとぅば」や「おきなわ」に対する愛情が溢れる作品ばかりでした。

応募作の「田場大工」は主人公が魅力的です。「北極星ぬ如し輝ちゅん!」はファンタジーの形式で食の大切さを伝えようとした挑戦作です。「しまくぅとばの森へ」は主人公を取り巻く登場人物がより丁寧に描かれ、観客に主人公の成長を見守りたいと思わせる作品で好感がもてました。「ヒルサキツキミソウ」は戦争の不条理を子どもたちへ伝えようとした力作です。「命の千人針」は、戦争に翻弄されながらも兄弟の絆の大切さを描き、ウチナー芝居の脚本として完成度が高い作品です。
沢山の優れた作品の中で「輝け青春」は、ケンカしながらも明るく成長していく高校生の姿がテンポよく描かれ、子どもたちが演じる舞台作品としてもっとも適切なのではないかと選ばれました。

これを機会に、沖縄の宝である「しまくとぅば」が多くの若い人々に受け継がれ、こころ豊かな社会になっていく事を願います。

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波照間 永吉(はてるま えいきち)

石垣市出身。
琉球大学法文学部国語国文学科卒業。沖縄県立芸術大学付属研究所所長を経て、現在沖縄県立芸術大学名誉教授。
琉球文学・文化学を専門分野として、琉球弧の祭祀や文学に関する論文を多数著す。
鎌倉芳太郎資料集の編纂で知られ、著書に『琉球の歴史と文学―おもろさうしの世界―』などがある。

講評

しまくとぅば文芸部門【学校演劇】

 しまくとぅばの普及にはさまざまな方法があろう。中学校や高等学校などの「学校演劇」もその重要な役割を担う筈である。池に投げ込まれた石から波紋が起こり伝わっていくように、演劇を通じてしまくとぅばの世界を物語的に追体験した若者達が、石となって波紋を起こし、しまくとぅば復活に大きなうねりを生じさせて欲しい。このことを願って「学校演劇部門」は創設された。多くの作品が寄せられたことに感謝したい。

 第一席には津波盛廣氏の「輝け青春」が選ばれた。長さと言い、内容と言い、学校演劇の作品としてはもっとも相応しく、高く評価される。しまくとぅば表現も適切であり、しまくとぅばの普及をめざす上でも力になる作品であり、その総合力が評価された。第二席には仲村元惟氏の「命の千人針」が選ばれた。応募作品の中では、しまくとぅばの表現としては最も格調が高く、安定したものであった。内容としては、沖縄戦と兄妹愛を軸とするもので、特別に新しさを感じさせるものではないが、ヲナリ神信仰という沖縄の民俗文化へ生徒達の関心を拓いていくのに力となるだろう。
 佳作には4作品が選ばれた。名嘉山兼宏氏の「田場大工」は、伝説的な名工を主人公とした作品である。テンポの良さが印象に残った。ただ、伝説的人物である故に、作品としての独創性を如何に発揮するかが課題となろう。真栄田環氏の「北極星ぬ如し輝ちゅん」は、学校が舞台の作品で、現在の生徒達を取り巻く食の問題を扱っている。現代と近世の二つの時間が錯綜して面白い展開をみせているが、時代考証などに難がある。「ヒルサキツキミソウ」は、集団自決の問題を扱った作品であるが、独自の文学世界を構築している。現代と沖縄戦の時代を往還する物語で、霊や霊能者が登場するところなども沖縄的で、豊かな作品世界が描き出されている。しかし、いろいろな素材を入れ込みすぎた感もあり、分かりにくくなっているのが惜しまれる。宮城一春氏の「しまくとぅばの森へ」は、主人公である高校生の、しまくとぅばへの認識の変化を主題にした作品である。このような作品が提出されたことを喜びたい。ただ、全体にセリフが長く、作者の思念がナマのまま表出された観がある。また、登場人物たちの年齢構成の分かりにくさなどは難点である。

 応募作品全体に対して言うと、募集要項に沿わない作品があったことは残念である。また、学校演劇として演じられる一つの作品としての長短など、しっかりと検討して欲しいことである。そして、しまくとぅば作品としての命である、しまくとぅば表現の質を高めることを目指していただきたいと思う。

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