選考委員・講評

小説部門

中村 喬次(なかむら きょうじ)

1939年奄美大島生まれ。南海日日新聞社記者をへて琉球新報社記者へ。宮古、八重山支局長。文化部デスク、出版部長。2000年退転。新報カルチャーセンター講師を務める。小説「スク鳴り」で第22回九州芸術祭文学賞受賞。南海日日新聞に小説「雪乞いらぷそ」連載。「ちんだみ随想」連載中。著書「南島遡行」(海風社)、「琉球弧 あまくま語り」(南方新社)、「唄う舟大工」(南日本新聞社)

講評

小説部門

いくさ世の哀り

 沖縄戦の前にサイパンの玉砕があった。奇しくも、この島で戦禍に遭ったウチナーンチュの話が2点、上がってきた。「古自転車で走る男」を一言で要約すれば、”兵隊(ひーたい)ぬ哀(あわ)り”だろうか。駐留日本兵たちの惨めな姿が、いくつかのエピソードの中に実にリアルに活写されている。ラストは、一家の全滅を氏名列記で暗示して暗澹(あんたん)とさせられるけれど。文章は手だれの技で、一読「(一席は)これかな」と思ったくらい。後から「『幸子』と呼びたい!」が回ってきて、大いに迷った。同じ哀りでも、こちらは”いくさ世ぬ哀り”と言えばよいか。敵兵に追われて逃避行を続ける中で一家六人ばらばらになる。徴用された父はそれっきり、母と二男は死亡、1歳になったばかりの幸子は米兵に連れて行かれて消息不明。長女の「わたし」は収容所で長男と妹に再会する。後ろ髪引かれつつ、米軍LSTで沖縄へ引き揚げる場面がひとしお哀れだ。

 時は流れて70年。あちこちで見知らぬ人から声を掛けられる。「もしかして、コザ中学校で先生をしていますか」とか「先生、具志川中で国語を教えていましたね」とか・・・。
 妹探しを暗示するラストが印象的だ。

 「対峙」は、2つの〈物語〉が並行して進んでゆく。表の物語は主人公の職業である警察官としての任務とジレンマ、裏の物語は先天性難聴児として生まれた娘をめぐる葛藤である。ある日、機動隊からの要請で、交番所勤務の金城勝利が、ヘルプ要員として米軍基地ゲートへ派遣される。基地内空港に、新しい滑走路建設が始まり、村人たちが反対運動に立ち上がった、その警備に当たる。それがきっかけで5年後、機動隊に正式配属される。

 折しも村人たちの「抵抗運動1530日」。ゲート前の民謡ライブと、村人たちVS機動隊の小競り合いが小説のやまだ。雨の中での小競り合いもリアリスティックだが、それ以上に、この作者のイメージの喚起力に感心した。カタツムリみたいな中耳の中でそよいでいる稲穂であるとか、小競り合いのとき、胸の奥からこみ上げてくる震えを、小さな蛾に喩えたり、非暴力で闘う村人たちを「亀が手足をひっこめ、甲羅だけで闘う」とか・・・。

 勝利が退職後、村人たちに合流していく”変節”をどう見るかは、評価の分かれるところ。なんにしても、今年は粒ぞろいの作品がわれわれを楽しませてくれた。

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田場 美津子(たば みつこ)

1947年沖縄県浦添市出身。琉球大学短大部法政科卒。第5回新沖縄文学賞佳作、第4回海燕新人文学賞、第22回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。
著書『仮眠室』-福武書店刊、『さとうきび畑』-出版舎Mugen刊。

講評

小説部門

応募者はみんなゼロ次選考委員

 昨年に引き続き今年も、二席は琉球の歴史を題材にした作品である。沖縄県文化振興会理事長賞は時代小説を選ぶと決まっている訳ではない。想像力で過去の時間を彩った作品の魅力による受賞だ。

 「守礼之邦奇譚」は勝連や中城などのグスク巡礼をして霊感を得た主人公が、摩訶不思議な「レキオス」居酒屋で歴史に名高い人たちの霊と出会い、百度踏揚の霊からは勝連城主が女だったと感知する。現在、那覇市が認める同性婚は、隠れ琉球史にもあったようで、阿摩和利カナとの夫婦仲は護佐丸に壊されたままだったのか、ウニ大城に尋ねたくなった。偉人たちの霊は、沖縄が心配で未だに成仏できないのか、それとも今の沖縄はあの世と同様なのか、と深読みをしてしまった。文語調の文体が懐古的な内容にマッチし、「土地の記憶」のエピソードも効果的で、独特の世界を描き出す個性の際立つ書き手の登場である。

 「百二十センチ」は、息子と同じ高さの目線になった車椅子ユーザーが主人公だった。主夫として家事をこなす彼は、性別で社会的な役割を分担する慣行などには囚われない。出産や離婚が全国一という当地だから、主夫は子どもを救うと作意に賛同し、賞候補の十作に選んだ。だが、空腹を満たそうと万引きするほど追い詰められた、父子家庭の男児のことが書き足りないとの指摘を受けた。

 二次選考には届かなかったが、「空白の石」のしっかりした文章、「亡き母を思う」の命たちの繋がり、「マブヤー・マブヤー」や「昭和九十年四月」の問題意識、「余白」のセックスレス、「白夏」の爽やかな描写力、などは印象に残った。次回作に期待している。

 一次選考で十二作を読んだ時、推敲の不足や視点の乱れた応募作が目についた。時間をかけて何回も読み返し、書き直す手間を惜しまなければ、どの作品も胸に響く小説と成り得ただろう。応募する直前の選考委員は、その人自身である。一次選考の前に〇(ゼロ)次選考があると考えよう。

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宮城 一春(みやぎ かずはる)

1961年沖縄県那覇市生まれ。編集者、ライター、沖縄本書評家。幾つかの沖縄県内の出版社、印刷会社出版部勤務を経て現在に至る。沖縄関連のコラム・書評・論説などを新聞・書籍で発表している。

講評

小説部門

 今年の小説部門の応募は三六作品。
 昨年と比較すると、一段とレベルが上がり、選考に迷う作品が多かった。しかしその一方、相変わらず殴り書きや、原稿用紙の使い方がわかっていない応募作品が散見されたのは残念であった。当選評でずっと書いてきていることだが、文学賞に応募する際には、読みやすく原則に則ることが大前提。いかに内容がよくとも、それだけで大幅な減点となることを考えていただきたいと思う。

 さらにいえば、推敲も大切。きちんと構想をまとめることなく、自分の頭の中で構築した内容を筆の勢いに任せて書いているのでは、と思える作品も多かった。書いている内容に矛盾が生じたり、キャラクターの性格が変わったりすることも見られた。残念である。
 それでは私が印象に残り、選んだ作品から挙げていくことにする。

 まず『はがき』。人物設定、筋ともに読ませる内容であった。文章のテンポも良く、一度目はすんなりと、二度目はじっくり味わうことのできた作品であった。敢えて言えば完成されすぎているという印象を持った。私は当然一席に推したが、佳作にとどまってしまったのは残念であった。しかし、私の中では本年度で一番の作品であったということを明示しておきたい。

 次に評価したのが『幸子と呼びたい!』だが、これは中村喬次委員が選評を書くことになっているので私は、細かい評価は差し控えるが運命に翻弄される人物を書いており、秀逸な内容であった。

 今回、惜しくも選に洩れはしたが、印象に残った作品を挙げてみる。『生まれる前に』は、出生前検査のことを書いた作品。展開も良く、問題提起もされていた。読ませる内容であった。登場人物のキャラクターもしっかりと描かれており、そのまま出版してもいいのではないかと思える作品であった。惜しむらくは、障がい(もしくは障碍)を障害と書いている点や、ラストの二枚が余計に感じた。『古自転車で走る男』は、読ませる内容ではあるのだが、誤字脱字があり、読む気をそがれてしまった。「てにをは」の使い方も考えて欲しいし、文中の水タンクの意味が私にはよくわからなかった。しかし、それを差し引いても不思議な魅力のある作品であった。決してうまいわけではないが、読ませる力があり、人物がよく描けていた。未完成の面白さがある作品であった。

 今回、選に洩れた応募者の次回の作品に期待したい。

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シナリオ・戯曲部門

真喜屋 力(まきや つとむ)

沖縄県那覇市生まれ。『パイナップルツアーズ』('92)に映画監督でデビュー。日本映画監督協会新人賞を受賞。監督・脚本家。桜坂劇場の立ち上げに関わり、プログラムディレクターを務める。現在フリーにて活動。

講評

シナリオ・戯曲部門

 今年は数年ぶりに一席が出た。しかし、手放しで喜べないのは、良い作品と未熟な作品の差が大きいということだ。
落ちた作品の多くは、行き当たりばったりにエピソードを繋いだ感じの作品が多く、軸となる主人公の心理描写など、観客が寄り添うべき軸を持たない作品が多かったと思う。作り手のやりたい放題の散らかしぶりが目立った。

 あと気になるのは、歴史考証の危うさだった。本当にそれで良いのかという歴史や地理的な情報が調査不足の感が否めない。沖縄の文化を後世に残したいというのであれば、ある程度の裏付け調査は作者の責任だろう。審査員の責任からも、あまりに身勝手な展開には賞をあげられない。公にさらすものだけに、最低限のリアリティを守るべきだろう。

 その中で「空はとおく、とおく」は、ずば抜けておもしろかった。荒唐無稽だが、人物描写が丁寧で興味を持続してくれる。洞窟の中に老婆が本当にいるのかどうかでサスペンスを作って、それを確かめるところがクライマックス!かと思いきや、ネタバラシを中盤やって、新たな局面に持って行くチャレンジングな姿勢に好感が持てる。しかし、そこから回想シーンで説明的になるのがもったいない。できれば回想は前半で終わらして、後半をきっちり現代との結びつきで描ききれば、傑作になったと思う。

 「踊離ヶ島炭鉱綺譚」は、西表炭坑という普段は日の当たらないテーマを選択しているユニークな作品。当然取材も相当されたことだと思う。登場人物も多く、まさに力作と言える。しかし、沖縄と炭鉱という組み合わせ的には斬新なわりには、物語的にはわりとベタな展開に感じたのが減点の対象になった感がある。マイナーな歴史なだけに、有名な事象と並列させるなど、観客の共通体験を刺激できれば、もっと感情移入したり、あるいは知らなかった歴史に興味を惹きつけられたのではないだろうか。

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富田 めぐみ(とみた めぐみ)

八重瀬町出身。地域の祭祀を司るノロの家に生まれる。琉球芸能の魅力を伝えるため、老若男女に親しみやすく楽しい舞台作品を創作。琉球芸能大使館代表。沖縄県文化芸術振興審議会委員。国立劇場おきなわ公演事業委員。

講評

シナリオ・戯曲部門

 シナリオ・戯曲部門9年振りの一席となった「空はとおく、とおく」は、戦中戦後の人々を描きつつファンタジーの様相も感じる作品。余命数か月と宣告された女性と、70年間ガマ(壕)で暮らしている友人を中心に展開する。現在と過去を何度も行き来し、細部は暈されているので、ふわふわとした掴みどころのない世界を進む一方、登場人物達の葛藤や、印象的な場面はしっかり描くという絶妙の構成。戦時中の悲惨な時間と、現代の穏やかな時間が交錯するキャンバスに、丁寧に描かれた心模様が映える。終始柔らかな眼差しで、作者独自の手法、バランス感覚を生かし「人はなぜ生きるのか」という普遍的なテーマに迫っている。命の尊さを、静かに考える名作。

 二席となった「踊離ヶ島炭鉱綺譚」は、昭和初期の八重山の炭鉱を舞台にした力作。個々のキャラクターがややステレオタイプではあるが、おかげで人物の輪郭はハッキリと、物語も滑らかに進行する。場面の細部もきちんと描かれていて、風景が目に浮かぶ。荒々しい炭鉱社会と、穏やかに生きたいと願う人々の対比が鮮やか。「美田良浜夜曲」も効果的に使われている。

 入選できなかった作品は、せっかく面白いキャラクターや設定があるのにアイディアに溺れて生かしきれていない、下調べして得た知識を並べただけ、最初のページで結末まで予想できてしまう予定調和等々、残念だった。慌てて書きなぐったような作品もあって、世に出す前に、まずは自分という読者を納得させるまで推敲を重ねて欲しい。

 入選二作の作風は対称的だが、共通しているのは「人間を描いている」こと。登場人物達が、どう生き、どう困難を乗り越えていくのか、創作の世界から現実の人々の暮らしや哲学、歴史・・・様々なことが溢れ出てくる。滲み出てくる。

 大声でいくら訴えても届かないことが、想像力と創造力で、誰かの心に届くことがあるのかもしれない、物事を動かすことがあるのかもしれないと、そんな希望を持った。物語の力を信じさせてくれた二作品の作者に感謝と祝福を贈ります。

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随筆部門

新城 和博(しんじょう かずひろ)

1963年沖縄県那覇市出まれ。沖縄県産本編集者。著書に『うっちん党宣言』『ぼくの沖縄〈復帰後〉史』(ボーダーインク)ほか、共著多数。

講評

随筆部門

 第1回目から担当していた随筆部門の選考委員もこれで最後となった。毎年のことだったが、実は毎回少しずつ違う気持ちで臨んでいたようだ。12年の間に、選考する者の心の有り様も変わるようだ。

 まず応募作全作品を読み、少しでも気になる作品を残す。次に少し時間をおいて、残した作品を読み直しさらに絞り込んでいく。この時点でいつもなら「今回はこの作品を推す」という心づもりができるのであるが、今回はそれがなかった。いろいろ考えたすえ十作品ほどに絞り込んだが、はてどうしたものか。もう一人の選考委員であるトーマ・ヒロコ氏の意見をじっくり聞こうと選考会に臨んだ。

 全体的に構成が甘い作品が多かった。原稿用紙5枚という限られた中で、自らの心の流れ、伝えたい状況、話の展開を綴るのだから、最後の1枚、残り数行でのまとめは重要である。前半良かったのに惜しい、最後の最後で……という作品がいくつもあった。

 結局今回の選考会がこれまでの中で一番時間を要することになった。選考委員2人がそろって選んだ作品を軸に受賞作について論議したのだが、お互いどうしてもこの作品を、という風にいかなかったのだ。この作品の気になるところ、あの作品の気になるところについて話しているうちに、最終的にせりあがってきたのが実にオーソドックスな、随筆らしい随筆であった。一席「雀一羽」は、季節の移ろいの中で出会った小さきものとの出会いと別れを綴った作品。随筆は書き手の内と外の風景を描くことだ、という風に感想をまとめてみたくなる手堅い作品。中年になった僕が好むのはわかるが、1.5世代違うトーマさんも選んだのはちょっと意外であった。二席「勝ちゃんの夢」は、純粋に亡くなった兄・勝ちゃんへの愛情に心打たれた。勝ちゃんの言葉が聞こえてきそう。佳作「遺言」は一席になってもよかったかもしれない。議論になったのは最後の歌詞の引用である。これが本当に必要だったのか。惜しい。「大きな存在」「星空を見上げて」とも、人の孤独を支えるものは自然との対話であることを再確認させてもらった。

 短いからこそ伝わる、それぞれの人生の断片。文章を綴ることの意味を考えさせてもらった12年だった。

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トーマ・ヒロコ(とーま・ひろこ)

1982年沖縄県浦添市生まれ。詩人。「詩誌1999」同人。2009年詩集「ひとりカレンダー」(ボーダーインク)で第32回山之口貘賞受賞。詩やコラムの執筆のほか、ポエトリーリーディングにも取り組んでいる。

講評

随筆部門

静かな輝き

 審査に携わって4年目になるが、選考にこれほど苦しんだことはなかった。今年は一席を出すのをやめようかと、途中まで話が進んでいた。気を取り直し、少し角度を変えて順位をつけることで今回の結果に落ち着いた。

 一席「雀一羽」は、夫妻と雀との出会い、交流、そして別れ、再会と思われる場面が感性豊かに描かれた温かな作品。この頃雀を見かけなくなったという指摘は大いにうなずける反面、雀が登場するまでに1枚半もかかっているところが気になった。

 二席「勝っちゃんの夢」は家具職人である兄の話。机から始まり机で終わる構成が良く、兄の人生を通して戦後史を垣間見ているようでもある。兄の人柄を魅力的に伝えるエピソード、兄への尊敬の念、兄から受けた影響が飾らない文で描かれている。

 佳作「大きな存在」は高校生による作品。生活の拠点が変わるごとに、そこには心の拠り所になる木があるという視点が興味深い。木に代わる恩師との出会いも織り交ぜながら、それぞれの場面をより魅力的に伝える描写力、構成力がある。

 佳作「遺言(いげん)」は、画面の中の祖父母、祖父母の最期、映像が終わった後の自分と子どもの声を描くことで、遺さなくてはならないことや世代の連鎖を巧みに表している。しかし歌詞の引用をする必然性はあるだろうか。

 佳作「星空を見上げて」は、星空を見ることについて、自己の人生の流れとともに変化していく様を描いている。冒頭の祖母の言葉が印象的。忙しさに流され星空を見なくなった自己に気付き、また前に進んでいこうとするラストがさわやかだ。

 今回の受賞作は昨年のようなインパクトのある作品ではなく、静かな輝きを持つ随筆が揃ったという印象である。
 選外となったが、「私のうちなあぐち」は最近の組踊への違和感が興味深かった。「幻のハワイ航路と黄色のトランク」「告白」も良かった。
 確か昨年は無題の作品はほとんどなかったと記憶しているが、今回は無題の作品が目立った。題名を忘れずに付けて送ってほしい。
 また、原稿用紙の使い方も気になった。とにかく原稿用紙5枚以内に文字が埋まっておれば良いと考えているのか、1回も一マス下げることもなく、全く改行のないものもあった。
 全体として事実の羅列ばかりで、そこでの情景や感情の描写がないものが多かった。また、ユーモアのさじ加減も今後の課題なのではないだろうか。

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詩部門

宮城 隆尋(みやぎ たかひろ)

1980年那覇市生まれ。1999年、詩集「盲目」(98年、私家版)で第22回山之口貘賞を受賞。ほか沖縄タイムス芸術選賞奨励賞など受賞。詩集に「ゆいまーるツアー」(2009年、土曜美術社出版販売)など。

講評

詩部門

地球を回す、時代を回す

 「コーヒーミル」。貧しさのために故郷を離れ、一時の出稼ぎのはずが地球の反対側で奴隷のような暮らしを強いられ、ついに帰郷がかなわなかった多くの初期移民の歴史を思い起こさせる。電動が普及しているであろう中であえて手動のミルを回す行為が、ウヤファーフジの生きた道に思いをいたす心境を表している。回すという行為は、地球を半周した地で、世代を超えて異国で暮らした家族の時間、空間の移ろい、距離感を示唆している。応募作の中で最も完成度の高い作品と思われた。

 「幼稚園の掃除人」。掃除人は職員、教師、園の管理者かもしれない。掃除という行為で、去った子らへの思いを断ち切ろうとしているのだろう。最終行の〈期待〉は巣立った子らの将来への期待であり、新たに入ってくる子どもたちとの出会いへの期待でもあるだろう。小さい者たちへの優しいまなざしを感じる。

 「赤いアドバルーン」。社会性、批判精神を感じる。無理やり膨らまされ、裂けても上げられているアドバルーンには、意味のない文章が書かれている。その真っ暗な先行きは見えているが、そのうち自分の腹にも〈嫌な手触り〉がしてくる。閉塞感に満ちた世界を生きる一人一人のありさまを写す。分配の可能性に目を閉ざし、ひたすらカンフル剤を打ち続ける日本の経済政策をたとえているとも読める。社会性のある題材で詩を書くとき、スローガンに陥らずにいかに書くかということへのヒントが示されている。

 「はいどぅなん」。〈比内村の四家族〉の島抜けで船頭をつとめたのはサシバだった。サシバはあの世とこの世を行き来する鳥とも言われるそうだ。家族の安否を問うても、サシバは鳴くだけだ。鳴き声から便りへの返事は読み取れなくとも、便りが届いたことは読み取れる。安易な希望は描けないが絶望もしない。何でもインターネットで検索すればすぐに答えが出てしまう現代にはなくなってしまった、豊かな現実認識のありようを示しているようだ。

 「お父さん」。あこがれだった父を客観視した時、幼いころからの要求を再度つきつける行為は批判であるが、否定ではない。父の生き方では家族を守れなかったという事実をつきつけつつ、感情に振り切れることなく自身の立ち位置を見つめ、生き方を築こうとしている。言葉の膨らみに欠ける側面はあるが、思春期の一時期の心境をリアルに切り取った。

 「夏の家族」。二つの家族が一つになっていく物語は、優しさにあふれている。世の中にはまだ希望があると思わせる。他人だった人たちが家族になればさまざまな軋轢も生まれると思うが、そういったことは描かれない。ただ詩という表現形態の中でさまざまな要素を盛り込むと散漫になるということを考えれば、過不足ない表現で焦点を絞った作品だといえる。破れ目のない美しい詩だ。

 ほかに「矯正」「汎神論」なども俎上に乗ったが、入賞には至らなかった。

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仲村渠 芳江(なかんだかり よしえ)

大阪文学学校通教部研究科退籍。第一回おきなわ文学賞詩部門一席受賞、第三十回山之口貘賞受賞。おきなわ文学賞詩部門への期待は『おいしいをずっと。あたらしいをもっと。』* でしょうか。(*吉●家コピー)

講評

詩部門

基本的なことをいくつか

 詩作は調理過程に似て、文学賞は料理コンテストに似ている。今回は五十二編の作品、つまり五十二品の料理を味わった。素材はどうか、調理技術はどうか、料理の内容に新規性や創意工夫はあるかなど、味蕾を刺激する一行の言葉が切り開く世界を求めて一皿一皿の味わいを頂いた。どの作品もいい素材をもっている。問題は調理技術だ。詩の実作に教程はないといわれるが、それでも基本的なことはあると思う。選考過程で感じたことのいくつかを書き留めておく。

一、タイトルは
一行の詩であり、つけかたひとつで味わいが色々に変わる。本文の要約や問題の所在をタイトルにしてしまうと読み手の自由を狭めることになる。〈タイトルはむしろ内容から遠く離れていて星のように輝いているほうがいい。長谷川龍生〉

二、詩的(文学的)表現は
 主張・意見をそのまま述べ正しい理屈で説得するものではない。「環境汚染・・」や「精神文化・・」「本当の平和・・」のテーマを隠しながら隠したものを立ちあがらせる調理方法を用いる。

三、行を分ける・空けることは
 空白によって語の呼気・感情の流れなどのリズムを作る。このことに無自覚に行を分けた場合のっぺりしたものになる。行を分けるから詩ではない。

四、味蕾を刺激する一行は
 ものの見方感じ方を新しくする詩の命である。「猫背の犬」作品の〈起きながら夢を見る者は/世界に対してとても寝相が悪い/立ったまま世界に寝返りを打ち続けている〉この三行に私は最も魅力を感じた。

 選考の席に挙がった作品は(原稿到着順)
「コーヒーミル」「サントス港」「はいどぅなん」「糸巻きの歌」「幼稚園の掃除人」「赤いアドバルーン」「銀河に旅立つ」「猫背の犬」「矯正」「汎神論」「お父さん」「夏の家族」の十二編。最終選考は全体の構成や言葉の使い方、技巧、どこかに新しい発見や用法や感覚がみいだせるかなどを視点に読み合った結果、一席沖縄県知事賞は該当作なし、二席沖縄文化振興会理事賞に「コーヒーミル」、佳作(出来映えのよいすぐれた作)に「幼稚園の掃除人」「赤いアドバルーン」「はいどぅなん」「お父さん」「夏の家族」の五編を選んだが、ひとりの書き手として私の心はいつも選外の作品にある。応募した作品をそのままにしないで詩作の動機を大切にじっくり育てあげて欲しいと願う。

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琉歌部門

勝連 繁雄(かつれん しげお)

詩人・琉球古典音楽 野村流保存会会長。沖縄芸能協会副会長。第25回山之口貘賞受賞。沖縄タイムス芸術選賞琉球古典音楽部門大賞受賞・同賞文学部門(詩)大賞受賞。沖縄タイムス琉歌欄選者。著書『風の神話』(詩集)・『琉球古典音楽の思想』(芸能関係)など。

講評

琉歌部門

<一般の部>

 「浜」を舞台にした若い頃の恋を懐かしむ作品が多かったのは、応募者の年齢が高かったせいかもしれない。共感しながら読める作品がいくつもあった。ただ、テーマにとらわれ過ぎて、海を汚すな、浜を汚すな、と「辺野古」基地問題と絡ませながら、平和が大事、などと詠んだものが幾首かあり、気持ちはよくわかるが、琉歌作品としてはどうかなと思ったりもした。

 琉歌を、和歌や俳句のように短詩系文学の一つと思っている私の立場からすると、常套句や人がよく使う言葉を安易に取り入れている作品を高く評価することは出来ない。そうはいっても、琉歌は、和歌や俳句とは違う側面があることも知っておくべきである。琉歌は歌うための琉歌と読むための琉歌、という二つ要素が伝統的にある。良い琉歌と呼ばれるものには二つの要素が融合したものがあり、琉球古典音楽の歌詞になっている琉歌にはそんな名歌が多い。

今回、沖縄県知事賞(伊藝峯子)に輝いた作品の、

    恋路語らたる 故郷の白浜や
    この歳なてをても 名残立ちゆさ

も、琉歌のリズムもよく出ているし、内容も人生の哀感を膨らませるものがあり、名歌の要素をもっている。

また、恩納村長賞(米須盛祐)の、

    鉄の暴風の 吹きやる島浜も
    今やふたかちやの 波音聞きゆる

は、戦争の惨禍をもろに受けた「浜」が、今は「ふたかちや」(平和世)であることの幸せを詠みながら、言外に二度とあのような悲惨な体験をしたくないという願いが込められていて、素晴らしい作品になっている。

優秀賞(饒平名治子)の

    若さたる頃に 古里の浜おりて
    夜すが語らたる 人の愛しや

も、三線に乗せて歌いたくなるような魅力的な作品である。

 ところで、「琉歌大賞」と「おきなわ文学賞」には、それぞれの創設目的があると思うので、今回のような合同選考会を継続していくかどうかについてはよく検討してみる必要があるとは思う。

 だが、合同選考会のよかった点もある。いろんな場所からいろんな立場の人の応募があったこと。海外からの応募もあって、琉歌がウチナーンチュの心の大切な表現手段になっていることを改めて感じたことなど。

 「おきなわ文学賞」側にとっては「琉歌大賞」側が重視してきた琉歌の伝統的情感の豊かな存在を意識させられ、また「琉歌大賞」側にとっては、琉歌のもつ文学性を意識させられたということがあったかもしれない。琉歌の将来のためには、応募者にとっても、選考委員にとってもこのことは大切な視点かと思う。

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新垣 俊道(あらかき としみち)

沖縄県立芸術大学非常勤講師、沖縄伝統組踊「子の会」会長、沖縄県立芸術大学大学院舞台芸術専攻修了、国立劇場おきなわ第一期組踊研修修了、国立劇場おきなわなど県内外の伝統芸能公演に多く出演する。

講評

琉歌部門

<児童・生徒の部>

 今年度の「おきなわ文学賞・琉歌部門」は、ウチナーンチュ大会開催を記念し恩納村の「琉歌大賞」と共同で企画実施された。従来の「おきなわ文学賞」では、特にテーマは設けていないため応募者は様々な主題、自由な発想で作品創りに挑戦しているのが大きな特徴だ。今回は特別企画ということもあり、毎年テーマを設定して募集している「琉歌大賞」の実施方法で選考を行った。また、「おきなわ文学賞」では設置されていない「児童・生徒の部門」も選考した。

 同部門の選考は初めてであり、若い世代による新しい感覚や発想で表現された作品に出会えることを大変楽しみにしていた。その反面、応募された琉歌を見るとすべてが日本語で表現された作品で戸惑いも感じた。しかし、沖縄語を知らない世代では、これが精一杯であり致し方ないことである。また、応募者は幼稚園児から中学3年生と幅広い年齢層で、発達段階も考慮しなければならず作品の選出には苦心した。

 「浜」のテーマで募集された今回の作品は、若いだけあって大らかで面白い言い回しの作品が多かった。内容も土地褒めや恋愛、平和に関するもの、バーベキューや海水浴での思い出、海ガメの産卵や孵化を表現したものなど様々で興味深かった。その中でも恋愛の作品は、70代が過半数以上を占める「一般の部」とは対照的に過去を振り返った内容ではなく、青春真っただ中にある進行形の躍動感ある生き生きとした恋歌が大変魅力的だった。しかし、課題として学校現場において琉歌を指導しているということもあり、似通った内容や同じ言い回しをしている作品が見受けられたほか、テーマに縛られすぎて自由さを欠いている印象も受けた。また、「浜」をただ取り入れただけで、本来のテーマから逸れた作品もあった。それに比べると、選出された作品は流れやリズムともに良く、内容もうまく表現されていた。特に上位の二首は、それを踏まえながらも独創的な発想と言い回しで、次から次へとイメージが広がっていく表現が評価された。

 今回、選考する中で当初は目にも止まらなかった作品が何度も読み返し協議しているうちに秀作に気づくという経験をした。あらためて選別の難しさを感じたものだ。全体を通して、児童生徒がこのよう数多く琉歌を応募していることは大変喜ばしい。しかし、ただ一つ大きな課題はやはり沖縄語での作品創りであろう。沖縄語で表現された琉歌が一つでも多く誕生することを期待したい。

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短歌部門

屋良 健一郎(やら けんいちろう)

1983年沖縄県沖縄市出まれ。2004年竹柏会「心の花」入会、佐佐木幸綱に師事。2005年第1回「おきなわ文学賞」短歌部門一席。名桜大学国際学群准教授。

講評

短歌部門

 短歌部門の今年の応募数は46点であった。選考委員二人が推す作品は、一昨年、昨年と比べて今年は重複するものが多く、審査はスムーズに行われた。特に、一席、二席の作品については、選考委員二人とも高く評価したものであった。以下、今回の作品を読んで気づいた点を述べ、続いて、印象的だった作品にも触れたい。

 応募作には、沖縄の文化や行事を詠んだ作品も見られるが、場面をそのまま描写し、事実をありのまま詠むのでは物足りないように思う。その作者のフィルターを通して見えた世界、作者ならではの捉え方(詩的な表現を用いるなど)があるかどうか。そこが大事なのではないかと思う。その点、二席となった伊波瞳の作品は印象的であった。
 今回、残念だったのは、良いと思った作品に旧仮名遣いの間違いが見られた点である。仮名遣いを直せば高く評価できる作品が二つほどあった。
 なお、5首での応募としてきたこれまでと違い、今回は初めて、3首~5首のうち、好きな歌数での応募となった。全体的な傾向として、良い作品は5首で応募してきたものに多いように思われた。しかし、一方で、3首にしたことで中学生の応募が多かったという利点もあった。
 以下、入選作を中心に述べる。

 一席に選ばれたのは浜﨑結花。なんと、高校生である。第1回に一席となった小室不比等(当時大学生)よりも若く、短歌部門の一席としてはこれまでの最年少を更新した。旧仮名遣いによるこの作品が、高校生のものだとは意外であった。みずみずしい歌、繊細な感性の歌、大らかな包容力のある歌、さらには、句跨りによって韻律を効果的に用いた歌もあり、これからの活躍が期待される。浜﨑は、今年度の「九州高校文化連盟文芸大会」俳句部で最優秀賞に選ばれた作者であり、安里琉太(「第9回おきなわ文学賞」俳句部門一席、「第10回おきなわ文学賞」短歌部門佳作)のように、俳句・短歌の両ジャンルでの活動が期待される。

 二席の伊波瞳は、読谷村の情景を詠む。『おもろさうし』への関心が作品の背景にあるらしく、遥か昔と現在とが交叉する印象的な一連となった。

 佳作の渡部敦則は、平明な口語表現を用いて青年の苦悩を詠む。金城芳子は、決して派手ではないものの、写実的で堅実な詠いぶりに安定感があった。松瀬トヨ子の作品は基地詠であったが、賛否で割り切れない部分を描き出した点が良い。北見典子の作品には印象的な比喩表現が見られた。伊志嶺節子は老いを詩的な表現で詠んでおり、肯定的な老いの捉え方にも好感が持てた。

 伊波瞳と松瀬トヨ子は「沖縄タイムス芸術選賞奨励賞」の、金城芳子は「琉球歌壇賞」、伊志嶺節子は「平良好児賞」の受賞者である。そのようなメンバ―が並んでいることも、今回の作品のレベルの高さを表わしているように思われる。

 入選作以外では、シュールな作風のとうてつ、余情ある寂しさが魅力的だった宮城由美子、言葉の使い方が新鮮な枡田美和、諧謔性を込めて基地を詠んだ仲本恵子、奥武島の人々の躍動感と純朴さを伝える大城永信、復帰の前後を生活感たっぷりに詠んだ運天政徳、系図に着目した宮城範子、県外の人々の懐く沖縄イメージを揶揄した亀山真実、それらの作品に注目した。中学生の中では、伊佐真那登の作品に魅かれた。
 応募作それぞれに、テーマがあり、文体、言葉がある。その多様性が楽しい審査であった。

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銘苅 真弓(めかる まゆみ)

1940年東京都世田谷区出まれ。2001年「花ゆうな」短歌会入会。2003年日本歌人クラブ会員。2004年「未来」短歌会入会。2005年第26回琉球歌壇賞受賞。2010年第44回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。

講評

短歌部門

貴方だけにしか詠めない短歌を

 今年はレベルの高い作品が集まり、特に、沖縄の豊かな文化を読み込んだ短歌に優れたものがありました。その中で表現に独自性と詩があり、作者の想いが焦点化され読み手に伝わるか、このような点が選考の決め手になりました。

 一席 作者独自の感性が素晴らしい。その瑞々しい詩的センスは応募作品の中で光を放っている。詩のある5首で、2首目、3首目が優れている。表記にも気を配っていて、平仮名の使い方が上手い。

 二席 過去と現在を上手くミックスして、昔と今が響き合う韻律の美しい作品に仕上げている。短歌の中に鏤められた地名も生きていて現在の点描となり彩りを添えている。朗々と謳い上げたい一連である。

 佳作一(渡部敦則) 若者の生きることへのヒリヒリ感が伝わってくる。シャットダウン、血小板、ユニゾン等、今まで短歌には使われなかったこれらの言葉が作品を引き立て、作者でなくては出来ぬ表現になっている。

 佳作二(金城芳子) 昔から引き継がれて来た村祭りを情感豊かに詠い上げた5首で、勇壮な1首目を除き後の4首で幻想的で美しい女性の祭りの現場へと読み手を誘います。神女、十五夜の月と言う言葉が効いている。

 佳作三(松瀬トヨ子) 辺野古を少し違った視点で詠んでいる点に注目した。拳を振り上げるのではない、静かな詠いぶりに惹かれた。一連の中で5首目が良い。山原を故郷とする作者にしか詠めない一首である。

 佳作四(北見典子) 詩のある短歌としてこの一連を選んだ。所々にキラリと光るフレーズがあり、読み手を立ち止らせる。2首目、4首目、5首目が良く、特に4首目は豊かな詩を感じる一首である。

 佳作五(伊志嶺節子) 老いを歌題とした一連で、老年に達した者の多くが抱く感慨を上手く短歌に纏めている。1首目、2首目に同感を覚える。老いは闇ばかりでもなく、光もあるのだと詠う作者の想いに救われる。

 今回は多くの中学生の応募を頂いたが、受賞に値する作品がなく残念です。もっと深く自分を見詰めて、貴方にしか詠めない短歌を目指して下さい。短歌への道の一歩を踏み出したその足をその先へと進めて下さることを期待しています。

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俳句部門

金城 けい(きんじょう けい)

1991年 東京原爆忌俳句大会奨励賞受賞。
1993年 炎天寺青葉まつり記念俳句大会特選受賞。
1995年 沖縄タイムス芸術選賞文学部門(俳句)奨励賞受賞。
     NHKラジオ番組「ラジオ深夜便」の「ナイトエッセー」コーナーで
     「戦後50年・沖縄のくらし」を語る。
1997年 NHK「BS俳句王国」出演。
2015年 第1回世界俳句協会俳句コンテスト 第1位受賞。

著書 句集「回転ドア」「水の階段」「悲喜の器」
   詩集「サガリバナ幻想」「陽炎の記憶」

沖縄タイムス「タイムス俳壇」選者(1997年~2014年)

講評

俳句部門

一席 仲本恵子
尊厳を逃水に乗せ裁判す
溽暑踏むヤンバルクイナの眼に機密

 民意を無視して新基地建設が強行されている。一番大事な人間の尊厳が踏みにじられ、司法の場でも考慮されず、まるで「逃水」(蜃気楼)のように儚く去って行く。言葉の取り合わせが良く、比喩の効いた作品である。
 次の「溽暑踏む・・・」の作品も、蒸されるような熱い中、水辺を求めるヤンバルクイナの優しい眼に、「機密」を見、沖縄と飛べない鳥の悲しさ、悔しさを巧みに詠じた。難しい時事詠が詩的に昇華されている。

二席 柴田康子
記念樹の母の木白化 秋蛍
骨上げの箸の躓(つまづ)く曼珠沙華

 母の記念樹が衰えてゆく様を「白化」と捉え、「秋蛍」のはかない光が母の死の近さを思わせ、静かな悲しみが伝わってくる作品。
 「骨上げ・・・」の作品は連句である。まず、「箸の躓く」の心象に目を留めた。母の死を受け入れることのできない作者の心が表れ、曼珠沙華は、母の生きた時代の激動をも思わせる季語として巧みに動いている。

佳作 関谷朋子
真っ白なチョークは割れて明日も夏
返信のないままの自治立葵

 「白いチョーク」と「夏」の取り合わせに視点のこまやかさを感じた作品。
 「返信の・・・」は、沖縄の自治がないがしろにされ、政府が一顧だにしない有り(あり)様(よう)、「立葵」に例えた句眼が良い。

佳作 下地武志
銀(ぎん)合歓(ねむ)や鎮魂歌聴くモニュメント
戦世の語り部となり梯梧燃ゆ

 一年中開花している銀合歓。この小さな花が、戦で散った人々の魂を鎮めているという。「銀合歓」への観察眼が効いている作品。
 「戦世の・・・」の句。語り部が少なくなった今、その継承を若い世代に委ねたい、その強い思いが梯梧の燃えるような情勢に語らせた。

佳作 徳田安彦
三日月よ胎児のやうに眠りけり
砂浜の足跡消える沖縄忌

 「三日月」を「胎児」の形状に重ねた着眼がよい。「砂浜の・・・」の句は、戦争の足跡を、「砂浜」という消えてゆくものに視点を置き、戦の爪跡もやがては消えてゆくであろう危惧を詠じた社会俳句。

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三浦 加代子(みうら かよこ)

『ウエーブ』主宰・『人』県支社長・県俳人協会副会長・著書『光と音と直感』・『草蝉』・『なまこ歳時記』にぬふぁ星図書館・河東碧梧桐研究所所長。論文「碧梧桐を通して見た沖縄」・「自然と人間」

講評

俳句部門

 今回、小学生の奨励賞が消えたのは残念であるが、若者の応募が増えたこともあり、句が斬新で個性的になっている。

 一席「尊厳を逃げ水に乗せ裁判す」。光の異常屈折現象の実体の無い逃げ水の上に乗せた裁判とは、尊厳を踏みにじる結果で終わった裁判であろうか。尊厳は強固な平和の意識に立脚してこそ守ることができる。その延長線上の裁判でないという不信感が「逃げ水の上の裁判」であろう。「溽暑踏むヤンバルクイナの眼に機密」。「溽暑踏む」は山野の住処を奪われ熱砂の荒野へ放りだされたようなヤンバルクイナの口惜しさであり、故郷を奪われた村人の口惜しさである。ヤンバルクイナが見た機密とは何であろうか。

 二席「鷹渡る空ヒビ割れて基地に金」。鷹の飛ぶ形と「空のヒビ割れ」の音からオスプレイを連想。「基地に金」は土地の恵みを奪われることに気づかず、眼前に積まれた金動き出した人々への抗議か。「九条も民意も丸め落とし文」。憲法九条と「イチャリバチョーデー」の沖縄の民意を反故にして落とし文にする意識とは何か。

 佳作 「返信のないままの自治立葵」。「戦後関東計画の基地削減計画の中に沖縄の海兵隊全面撤退も含まれていたが、日本政府が引き止めた」というアメリカ側の文書の発表がある。その延長線上の基地政策の沖縄の姿がある。立葵のキリッとした姿は、日本国へ第二の日本の基地削減計画に向けて取り組んでほしいという沖縄県民の祈りの姿である。

 「芒舞うシュガーローフの御霊かな」。第二次世界大戦、七日間で五千人が死んだと言われる地獄の丘シュガーローフの戦い。「芒舞う」が無念の思いを抱いたまま亡くなった人の魂のようである。

 「砂浜の足跡消える沖縄忌」。寄せては返す波が消してゆく足跡。まるで沖縄戦の歴史を消すかのように。しかし、また足跡はつけられていく。

 今回もそうであるが、反戦の句が多かった。これは第二次世界大戦で唯一地上戦を強いられた沖縄県民の平和を希求する思いであろう。シュガーローフの戦いにしても防衛隊が一番多かった陣地ほど悲惨であったことを再認識した。世界各国と姻戚関係のある沖縄の県民の集う「ウチナーンチュ大会」からみても「外国による攻撃に対して,国の安全を保持する作用」という防衛の概念は違和感がある。沖縄県の「ウチナーンチュ大会」のような防衛意識を越えるグローバル的な平和的な取り組みがこれからの日本の課題であろう。

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伝統舞台(組踊・沖縄芝居)戯曲部門

幸喜 良秀(こうき りょうしゅう)

1938年沖縄県沖縄市旧美里村生まれ。琉球大学国文科卒。演出家。中学教師の傍ら演劇集団「創造」を結成し演出活動を続ける。1987年沖縄芝居実験劇場を結成。沖縄の身体表現に拘り、伝統芸能の継承と新しい沖縄芝居の創造に力を入れる。また元国立劇場おきなわの芸術監督時代には芸能人の後継者育成に務めた。

講評

伝統舞台戯曲部門

 今回の応募作は組踊5作品、沖縄芝居4作品、遇わせて9作品であった。もう少し応募作品があればもっとこの分野の芸術活動が活性化できるのにと期待したが厳しかった。主催者はいかにしてこの舞台部門を刺激し活性化させるか積極的な対策を講じてほしかった。たとえば舞台化が遅れたことも一因であろう。ご検討をお願いしたい。では、応募作品の中から、下記の組踊一席候補作と佳作一点、それから沖縄芝居二席候補作と佳作候補作一点について選考感想を述べたい。

 さて組踊の部門では、5作品の中で特に佳かったのは「上がる虹雲-銘苅子異聞」であった。古典の組踊を下敷きにして親子の愛情を現代にも通底するドラマとして構成し、成功している。アマ主人公を姉のおめなり(主鶴)にして弟のおめけり(亀千代)を連れて天上の母(天女)の愛に行く場面の着想が優れて面白く書き出されている。父と母の対立葛藤はこれまでの組踊にはない新たな劇世界を構築しており、泣かせる場面だ。間の者・農夫の扱い方も古典劇の手法をうまく生かしていることを評価したい。組踊は音楽劇。音楽の扱い方も章詞もうまい。上演すればきっと多くの観客を泣かせるよい舞台になるだろう。

 次に「佐弥波の根神」(さやふぁぬにがみ)は力のある書き手になるであろうと大いに期待できる書き手だ。仇討物の組踊を既成の作品より面白く構成し劇的にうまく展開して成功している。大がかりな組踊として物語をダイナミックに展開しているその筆力を評価したい。望むことは登場人物の性格やエピソードを劇的に表現し類型化を克服することに配慮したいものである。

 沖縄芝居の部門では「千原への思い-銀色の里-」と「命ぇたかてーひーよー」が佳い。2作とも脚本の上では面白いが、上演し舞台で見るとまた違った劇的世界になるので、ここでは舞台演出上面白くなる作品を二席に推薦した。

 「千原への思い-銀色の里-」は沖縄の現実の地域文化継承と創造をテーマにしたアクチュアルな沖縄芝居である。戦後史を生き抜いた人々の生活や願い、憧れ、平和を、エイサー継承活動を通して描いていく物語である。沖縄の抱えている問題を真正面からとらえ、世代間の対立や村の人々の葛藤を描きながら、暗くならないように明るくエイサー隊を登場させて舞台を盛り上げていく展開が面白い運びになっている。

 「命ぇたかてーひーよー」は台詞が面白い。奇想天外な場面で展開される人々の話が面白い。喜劇として各場面は展開され独立しているが、沖縄の血縁社会・地縁社会の崩壊やその歪が語られ、失われた沖縄の良さを訴える芝居として展開される。3場面からなる物語はそれぞれ独立した世界であり、あまり劇的には繋がらない。惜しむらくは3場面が劇的貫通行動によってテーマを鮮明にすることができれば成功したはずだ。劇中の台詞はすぐれて面白いので、もっとテーマをシンプルにして構成も工夫し劇的手法を加えるとどうだろうか。

 以上4作品を入選作として推薦した。脚本は上演されて初めてその真価がわかるものだ。沖縄の演劇界の現状は、本格的な優れた現代脚本を財産としてあまり持ち得ていない。演劇文化を振興するには優れた脚本を多量に生み出す努力が必要だ。

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真境名 正憲(まじきな せいけん)

1956年琉球大学在学中に阿波連本啓、後に眞境名由康に師事し組踊と琉球舞踊を学ぶ。
1986年、国指定重要無形文化財「組踊」立方保持者に認定され、2000年には沖縄タイムス芸術選賞古典舞踊「大賞」を受賞。また2002年には沖縄県文化功労者表彰を受ける。(一社)伝統組踊保存会会長、沖縄県立芸術大学琉球芸能専攻客員教授。

講評

伝統舞台戯曲部門

 小説、戯曲、詩、短歌等の部門に加えて、第10回~第12回の3年限定として、「伝統舞台戯曲」部門(組踊・沖縄芝居)が設けられ、今回が最終年でした。今回の応募作品は、組踊5、沖縄芝居4の合計9作品でした。3年限りの部門ということで、多数の応募を期待していましたので残念な気がします。3年限定の部門でしたが「伝統舞台戯曲」の公募は、緒に就いたばかりの感がします。当初の目的と使命を充実、発展させる為にも、今後の継続を検討していただきたい。

 さて、沖縄芝居部門の応募作品では「千原への思い-銀色の里-」と「ある朝鮮人陶工の半生」の2作品を入選作品に推した。「千原への思い-銀色の里-」は、沖縄戦で家族や親戚を失くし、先祖代々住み慣れた故郷「千原」をカデナ飛行場に接収された人々の「思い」を、「千原エイサー」の復活への歩みを絡ませながら、現在の「沖縄の問題」を照射し、「沖縄の今」を考えさせる秀逸な作品である。「ある朝鮮人陶工の半生」は、朝鮮人陶工の來琉と帰化というフィクションを下敷きに、家族愛、人間の絆を訴えるほのぼのとした会話が新鮮で素晴らしい。

 組踊部門の5作品からは「上がる虹雲-銘苅子異聞」と「佐弥波の根神」の2作品を推した。「上がる虹雲」は、副題の通り朝薫五番「銘苅子」の後日譚の創作組踊である。既存の作品をベースに作品を書くことは、頗る勇気と決心の要る作業であったと思うが、この作品では「銘苅子」での親子の愛情や、父母への対峙姿勢も新たな展開をみせる。登場人物では「農夫」を登場させた事が、作品構成のオリジナリティの面では成功している。「佐弥波の根神」は作品の構成力もしっかりしていて、独創性のある展開は従来の組踊に無いスケール感がある。登場人物が多彩で人間間の相関関係が複雑な面はある。音曲は古典曲の大曲が多いのが気になる。台詞は組踊の韻律をしっかり踏んでいて、表記、表現も申し分ない。

 以上の4作品について簡単に講評しましたが、惜しくも選に漏れた5作品の中にも斬新な発想、重厚なテーマやファンタジックな物語など、落とすには忍びない作品もありました。応募された方々が、これに懲りずに戯曲の創作活動を継続して下さることを期待します。

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漫画部門

島袋 直子(しまぶくろ なおこ)

1965年沖縄県那覇市出身。沖縄のマンガ雑誌「コミックおきなわ」、タウン情報誌「おきなわJOHO」の編集長を経て1995年に独立。法人化や社名変更を行い、2011年には「株式会社コミチャン」へ。現在は代表取締役社長、電子書籍「コミックチャンプルー」編集長、専門学校講師など。

講評

漫画部門

今回は奨励賞も!

 前回は一年ぶりに再開された漫画部門として熱意の伝わる力作かなり集まったが、今回は例年より少なめの応募数8作となった。しかも今回は4コママンガの応募が目立った。審査会も前回に比べると短め。応募数も少なかったため、今回も県知事賞はナシとなった。

 2席を獲得したのは4コママンガの「おきないちゃー」。沖縄に観光に移住してきたナイチャーを、ウチナーンチュの女性が沖縄を案内するあるあるネタ。1ページに1本と贅沢な紙面使いだが、ページ数が多い割にスッキリ読めた。絵も丁寧でプロ並だ。このシリーズで続きが読みたくなった。

 佳作の「シーサータウン」は意外性があふれるナンセンス4コマだ。頭だけのシーサーは歩けないものや空を飛んだりと、笑えるのと同時に、アイディアの面白さに感心した。絵は雑な印象だが、この作品には合っている。こちらも続きを読みたくなる作品だ。

 漫画原作の応募は今回は2本のみ。そのうち「エマージェンシーです、杏子さん」が佳作に。内容はソツなく読めるが、もっとヒネリが欲しいといったところ。ストーリーマンガ16ページを想定した作品なので、ひねりを加えるのが難しかったかもしれないが、登場人物を減らして主人公を動かしてみても良かったのでは。

 奨励賞の「フィールドウォー」は驚いたことに小学生のストーリーマンガ作品だ。人気マンガ「ワンピース」が好きなのと、熱意と努力がひしひしと伝わってきた。マンガの描き方のルールをまだ知らないようなので、それを習得すると、かなり読みやすく面白い作品になるだろう。今後期待大の描き手だ。

 選外では「ウフソー一家」が今回も応募。今回はブラックユーモアを織り交ぜ、なかなか楽しめた。入選にするか協議したが、今回は残念ながら落選に。ストーリーマンガの「民宿物語」は、絵はうまいが登場人物の顔とセリフで展開され、わかりづらさが目立った。せめて登場人物の位置がわかるような引きの絵や、主人公が実際に行動して民宿を盛り上げる展開にしてもらうと良かっただろう。漫画原作の「ハッピーバースデー」は、設定や山場に行くまでは面白いが、肝心の山場が盛り上がりに欠ける。最大のクライマックスを想定して、そこに向かって物語が進むようストーリーを構成するといいだろう。

 今回は応募数が少なかったが、次回はもっと沢山の応募を期待したい。

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喜名 柚日(きな ゆずか)

沖縄県浦添市生まれ。1996年、ペンネーム喜名朝飛(きなあさと)で株式会社スクウェアエニックス発刊の「月刊少年ガンガン」にてデビュー。2006年、少年誌連載終了後、地元沖縄で行政向け、企業向けマンガ、イラストの仕事で活動。地元専門学校でマンガ講師も務める。2014年、ペンネーム喜名朝飛から喜名柚日へ改名。現在に至る。

講評

漫画部門

 応募作品が昨年より少なく、一席の該当作品無しの結果も残念でした。個人的にはストーリー漫画の応募が少なかったのが残念です。また作品の傾向として全体的に無難にまとめているという感じ。可もなく不可もなくという作品が多いように感じました。

 多少イビツでも物語的に破たんしていても、もっと発想豊かにのびのびと思いのたけをぶつけている作品があっても良かったと思います。

●「おきないちゃー」(漫画)二席
四コマ漫画。丁寧に仕上げられており好感が持てました。
本土の人から見る沖縄あるあるエピソードで絵柄も可愛いくほのぼのとした作りになっているのですが、読者を引き付けるという意味ではもう少し鋭いつっこみがあっても良かった気がします。

●「エマージェンシーです、杏子さん」(漫画原作)佳作
全体的によくまとまっていました。話の流れもしっかりしており各々の登場人物の魅力がわかる紹介エピソードも設けられていたので分かりやすかった。しかし安心して読めたという反面、いい意味で読者を裏切るような期待感が欲しかったように思います。

●「シーサータウン」(漫画)佳作
四コマ漫画。絵はまだまだ粗削りですが、内容がシュールなので絵柄に関してはこの路線でOK。着眼点が独特で面白い世界観なのでこれからが楽しみな作品でした。個人的には好みです。

●「フィールドウォー」(漫画)奨励賞
一生懸命描いているのは伝わるのですが全体的に雑です。漫画の基本的な描き方やストーリーの組み方が分かると良い作品になります。ベタの効果的な使い方一つ覚えるだけでも画面が締まりもっと見やすくなります。

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比嘉 智(ひが さとし)

1966年生まれ。うるま市出身。創価大学卒。1994年㈱沖縄ファミリーマートに入社し、現在、広報・マーケティング室長を務め、県産漫画「ファミマガ」の企画に携わる。BEGINの楽曲「国道508号線」を使用したTVCMシリーズが好評で、昨年、沖縄広告賞総合グランプリを受賞。

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