選考委員紹介

小説部門

宮城 一春(みやぎ かずはる)

1961年沖縄県那覇市生まれ。編集者、ライター、沖縄本書評家。幾つかの沖縄県内の出版社、印刷会社出版部勤務を経て現在に至る。沖縄関連のコラム・書評・論説などを新聞・書籍で発表している。

講評

小説部門

更なる高みを目指して

 今回の応募作は昨年とは異なり、誤字脱字が少なく、手書きでの応募作品も読みやすかったのが印象に残った。内容も昨年より全体的にレベルアップしたように思えた。さらに、応募した方々が、いろいろな文芸作品を読んでいるだろうなと感じさせる内容が多かったように感じた。しかしそのためか、オリジナリティがあまり感じることが少ない作品や、頭の中で考えすぎてしまい、うまく文章として昇華できていない作品もみられた。また、自分の考えたストーリーに縛られすぎてしまい、登場人物たちが自由に動き回ることがない作品も目についた。もっと自由に表現したいと思うことを書いたら、もっと面白い内容になるだろうと思うだけに残念であった。

 また、今回応募した作品の中には、内容は面白いが、推敲を行えばさらに良くなると思わせる作品も目に付いた。自らの作品を、今一度読み返してみることをおススメしたい。

 又吉直樹氏の『火花』で盛り上がった文芸の世界。沖縄にも新たな書き手が登場していたと感じた今年度の選考であった。

 それでは私が印象に残った作品を取り上げてみよう。

 私がまず評価したのが『金の屏風とカデシガー』。伝説の物語を把握し、歴史的事象をしっかり自分のものにした上で、独自の解釈を交えながら展開していくストーリーは読みごたえがあった。その上、他櫓毎はじめ尚巴志などの歴史上の人物を自由に動かしている。文章がしっかりしているという面でも印象に残る作品であった。新しい歴史小説の登場といえるであろう。

 次に印象深かったのが『天爵の倉』。ブラームスの交響楽が作品の中を流れる構成となっている。うまい。内容・ストーリーともに秀逸。また、人物を細かく描かないことによって、逆にその人物をきちんと表現できているようにも感じられる作品であった。しかし選考会議の中で出てきたのが、タイトルの意味がわかりづらいということ。タイトルも作品の一部であるだけに、意味を持たせるのは良いが、読者への配慮があっていと思う。

 そして『浦島奇聞』。浦島太郎をもとにした作品で流れが良く、独創性があって面白い内容であった。昔話に題材をとっているが、自分のものにしているところが評価できた。難を言えば、登場人物(動物)が多すぎて、キャラクターの混乱が起きてしまうこと。もう少し整理をする必要があるように思う。

 そろそろ枚数が尽きてきたので、その他に印象に残った作品は『日曜日の使者』『二つの手紙』『ブランコの家』であったことを付記して、私の選評を閉じたい。

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田場 美津子(たば みつこ)

1947年沖縄県浦添市出身。琉球大学短大部法政科卒。第5回新沖縄文学賞佳作、第4回海燕新人文学賞、第22回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。
著書『仮眠室』-福武書店刊、『さとうきび畑』-出版舎Mugen刊。

講評

小説部門

暴虐と親切の島

 なぜ強く推したのか、『栄造』を読み返してみて理由がわかった。「戦争は終わっていない」ことを描いた作品だったからだ。12歳の頃の戦争では命を救われた栄造なのに、40歳近くまで生きた後、同胞から半殺しにされてしまう。かつての戦場では砲弾から庇ってくれた親戚も、平時になったら巻き添えを恐れて暴行から助けだせない。つまり、人を心身ともに砲弾で殺傷する戦争と同様、人を傷めつける暴虐な行為は、同胞の間でも身近な所でも、まだ続いていると『栄造』が読みとらせた。

 これまでも男たちの喧嘩は時として戦争にまで規模を拡大し、女や子どもたちを巻き添えにしてきた。栄造の暮らした長原区に限らず、地上戦に見舞われた島にも拘らず基地があり続けるのは、戦争がいまだに続いているからに他ならない。だから栄造は、12歳で魂が40歳で肉体が、殺された。

 『シーウォーカー』は会話文のカギカッコの使い方が、なぜそう書くのか不可解なため、応募原稿の発表を躊躇し、佳作に推すことに二の足を踏んだ。選者として悔し涙を飲み込んだが、作中の美智子にとっては涙を流せて良かったと、エールを送ることのできた作品である。

 家族の思い出の深い沖縄の旅で、シーウォーカーのように自身の内面に潜水して自我を取り戻した美智子。母の死を嘆き悲しむという、当たり前の感情に浸ることができる心を取り返し、帰りの機内で抑圧から解放されたように泣きじゃくる。

 36歳の女性の日常が、戦時ほどではないにしても、緊張に満ちているせいで悲嘆を抑圧し、自分が泣くことを自身に対して許せなかったのだろう。涙を流せるありのままの心は次の変化をきっと招き寄せる。「産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」と、母の墓前で呟く美智子の声が私には聞こえた。

 ところで、栄造と美智子の小説は同じ島が舞台だ。数十年経っても変わらない暴虐さと、3泊4日でも人を変える親切さ。島の相反する両面の、どちらを世界に向けるのだろう。

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中村 喬次(なかむら きょうじ)

1939年奄美大島生まれ。南海日日新聞社記者をへて琉球新報社記者へ。宮古、八重山支局長。文化部デスク、出版部長。2000年退転。新報カルチャーセンター講師を務める。小説「スク鳴り」で第22回九州芸術祭文学賞受賞。南海日日新聞に小説「雪乞いらぷそ」連載。「ちんだみ随想」連載中。著書「南島遡行」(海風社)、「琉球弧 あまくま語り」(南方新社)、「唄う舟大工」(南日本新聞社)

講評

小説部門

ある「選外」作への愛惜

 小説の書きだしは、第一球でストライクを決めるのが望ましい。そのために、誰もが持てる創意に工夫を凝らす。次の文章を読んでみてほしい。できれば声に出して。

〈タバコの下葉徐りで陽に焼かれた重い身体で軽トラックを庭で停めると、庭木への散水用のホースで手足を洗ってから座敷へ上がった。〉(傍点筆者)

 ご覧のとおり、文がうまく「流れ」ない。一つのセンテンスに、つなぎの助詞(「で」)が4個も続くせいだ。

 こういうときはどうするか。一行で全部言い切ろうとしないで、複数行に分けて処理するといい。不馴れゆえの失投例と言える。でもこれに続く次の行の描写は情景あざやか。

〈座卓に白い封筒が乗せられてある。年に何度もない私信用の封筒らしい白の光にドキッとした。〉

 ボリビアからの「第一の手紙」。若い日に単身南米移民した同期生から、実に五五年ぶりの音信であった。やっと里帰りの目途がついたので、八月の十五夜祭に合わせて帰るという。直ちに他の同期生仲間にケータイで知らせる。歓迎の日程打ち合わせに熱中する彼らは、御年(おんとし)七八歳の、うぶな少年さながらだ。

 語り手は、全員による「もてなし」とは別に、単独のプレゼントを用意する。友人が、移民第一号として村を離れるまでの大騒ぎをドラマ仕立ての台本にして、それを友情のしるしに手渡す、というアイデア。

 後半に思わぬどんでん返しが待つ物語のプロットは、素人ながら天晴れと言いたい。おぼつかない手つきでつづられるこの物語は、ついに田舎芝居の野暮ったさから抜けだせないが、離島の、素朴な村落共同体の今はの際を写して胸を打つ。「二つの手紙」はそんな作品。入賞を逸した作品について長々と語るのは邪道と知りつつ、敢えて語ったのは、愛惜の気持ちを抑えきれなかったからである。

 あと、私は「アイ・ラブ・チョッコリー」を推した。アジア留学生を扱ったテーマが新しいと思ったし、文章もいい。ただ、これから本題に入るかというところで話が切れるため、欲求不満が残る。ここはめいっぱい規定の上限枚数は使い切ってほしかった。

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シナリオ・戯曲部門

富田 めぐみ(とみた めぐみ)

1973年沖縄県八重瀬町出身。琉球芸能の魅力を伝えるため、老若男女に親しみやすく楽しい舞台創りが真骨頂の演出家。そのかたわら、公演のコーディネーターや司会、ラジオパーソナリティー、女優として映画出演などマルチに活躍。琉球芸能大使館代表。沖縄県振興審議会委員。国立劇場おきなわ公演事業委員。

講評

シナリオ・戯曲部門

借りものでなく、あなたの言葉で紡ぐドラマ

 昨年度に比べて応募作がぐんと増えて喜ばしい。

 二席の「燃ゆる日の落ちつく場所」は、北海道の大地と夕日という印象的な映像が鮮明にイメージできる一方で、肝心の登場人物達の心模様が見えない。北海道からふるさと沖縄に帰るという大きな決断、それを翻すという更に大きな決断に至る葛藤が充分に描かれていないなど、いくつか唐突な印象を受けた場面展開があった。必ずしも台詞で全てを語る必要はなく、映像で語る作意が成功している場面もあるので、作者ならではの表現方を模索してほしい。
 佳作の「琉球路地物語」は、琉球国を舞台にしたサスペンスコメディー。愉快なキャラクター達が、やや緩慢な展開を補っている。表向きは音楽家で、内密に問題を解決していく設定は、観客が楽しみながら歴史と接することができる大きな可能性を感じた。キャラクターを練り上げ題材を選べば、シリーズ化しても面白い。
 同じく佳作の「キミハキラキラ」も、キャラクターの魅力が物語を先導する。臭い台詞やストレートな展開は、全体を通してみるとむしろ好様ともとれる。素直な表現と、奇抜なキャラクターの結い合わせがいい塩梅になれば、作者の個性になり得るかもしれない。

 昨年に引き続き、優等生的な印象を受けた作品が多かった。まとまってはいるけれど、どうも物足りない。もっと自由に、もっと大きく描いてよいのに、自主規制線を張ってるようで窮屈。
 また、今年の特徴として、既存作からの引用や翻案、出典を明らかにしてはいないが筋やキャラクターに既視感を覚える作品も多かった。他者からインスピレーションを得た表現自体は否定しないが、文学賞の応募作としては違和感を持った。他者の表現を安易に借りるのではなく、ぎこちなくても自分の表現で観客に伝えるべき。創作の醍醐味を放棄するなんて勿体無い。

 来年は1席の作品が誕生しますように・・・。

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真喜屋 力(まきや つとむ)

沖縄県那覇市生まれ。『パイナップルツアーズ』('92)に映画監督でデビュー。日本映画監督協会新人賞を受賞。監督・脚本家。桜坂劇場の立ち上げに関わり、プログラムディレクターを務める。現在フリーにて活動。

講評

シナリオ・戯曲部門

観客を納得させる人間ドラマに期待

 今年は、本部門に十一作品の応募があった。個性的な作品が並び、審査する方としては楽しみながらの審査ができたのが印象的でした。

 集まった作品のできに関しては、正直今年も決定的な秀作は見つからなかった。ただし一席は出すことができなかったが、かろうじて二席を出すことができた。とはいえ、それも審査員の間ではかなり意見が分かれた部分だったのは正直な話。

 二席を受賞された『燃ゆる日の落ち着く場所』を押したのは、主に僕だった。そこで責任上その辺の選考理由をきちんと書いておきたいと思います。

 物語は、第二次大戦後に沖縄に戻れなかった男が、沖縄の日本復帰を境に帰郷しようとすることで起こる家族の中の小さな騒動を描いたものだ。その長所は、なんと言っても正攻法な人間ドラマに対する試みだ。奇をてらった設定や、どんでん返しなどの仕掛けに頼ることなく、登場人物を丹念に造形しようとしたその《試み》への評価としての二席だった。あわせて減点対象となったのは、まさにその《試み》が中途半端になっていることだったと言えます。

 父親が帰郷したいという思いはわかるのだが、家族のためにそれを思いとどまる瞬間や、娘たちが父親のために帰郷を受入れようとする瞬間など、それぞれの心変わりの描写があまりにもなさ過ぎる。無くてもわかるというなら、それは単なる予定調和でしかなく、思いつきレベルのストーリーに堕落してしまう。厳しく言えば、勝負すべきところがごっそり抜け落ちていた。それにも関わらず二席を授与するのは、期待をこめた上で課題を与えられたのだと、受け取ってもらえたら幸いです。

 社会性や、エンターテインメント性など、物語の魅力はいろいろがあるが、こうした人間ドラマで観客を納得させるような物語が、これから生れてくることを願います。

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随筆部門

新城 和博(しんじょう かずひろ)

1963年沖縄県那覇市出まれ。沖縄県産本編集者。著書に『うっちん党宣言』『ぼくの沖縄〈復帰後〉史』(ボーダーインク)ほか、共著多数。

講評

随筆部門

短い話の、豊かな時間

 随筆で綴られる物語は、短い物語であるが、そこに含まれる時間は長く豊かであってもよい。しかしうまく書けるかどうかは別の話で、そこはある種の鍛錬が必要となる。ただ、フィクションに趣をおく小説のごとく、かならずしも技巧が必要というわけでもない。作者のなまの心情が読者にダイレクトに伝わるかどうか。その点を、選考として随筆を読む上での指針としている。さて今回はどうか。

 いままでにない読後の余韻を残した『孤高と心中した人』を一席に推した。理想の生き方、翻って孤高の生き方をした祖母への複雑な思いを吐露し、原稿用紙五枚という制限の中で家族の物語を折り込んだ上で、読者にその影を共有させる。作者のまなざしの厳しさと温かさの果てにある、さらなる物語を読みたいと思わせた作品。

 二席の「朝刊」は何気なく始まり、語り口もいかにも随筆らしいが、作者の少年時代の見事な記憶の再現、特に複数の登場人物のキャラクターの印象づけが簡潔でうまい。葉野菜を新聞でくるむ金城さん、母親と同い年くらいの比嘉さん、恐い顔した社長さんとの笑顔と、思わず映像が浮かぶ。

 佳作「三味線の友に救われて」は、希望の光が三線を通して訪れた作者に、さらなる奇跡をと後押ししたくなった。ラジオから流れてきた歌の響きに、思いがけず亡き祖父の思いと邂逅する「三線の花」も、作者の心情がしんみりと伝わった。「巌の陰」は文章が古風な感じ、少し大仰かなと思ったが、父と子のぎくしゃくしていた関係を表すのに必要な文体かもしれないと、何度も読むうちに思い直した。「灰色の風景と金髪娘のまっ赤な口紅」は、アメリカ世の断片をうまく描いた作品で、随筆として作品化することによって、思い出は色あせないだろう。あの頃沖縄はほこりぽかった気がする。

 随筆部門の作品では、毎回、亡くなった身内や大切な人を思う内容が多く寄せられる。選考にあたるものにも様々な時が流れていく。かつて九年間一緒に随筆部門の選考にあたった大野隆之さんが2015年3月に逝去された。大野さん、そして同じく審査員を8年間一緒だった故・真久田正さんなら、どの作品を推しただろうかと、考えていた。

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トーマ・ヒロコ(とーま・ひろこ)

1982年沖縄県浦添市生まれ。詩人。「詩誌1999」同人。2009年詩集「ひとりカレンダー」(ボーダーインク)で第32回山之口貘賞受賞。詩やコラムの執筆のほか、ポエトリーリーディングにも取り組んでいる。

講評

随筆部門

インパクトと人間味と

 前々回まで随筆部門の選考委員であった大野隆之先生が春に逝去された。大野先生を偲び、その遺志を継ぐ選考会となった。

 一席「孤高と心中した人」。タイトルから読者をギョッとさせるインパクトがあり、それは書き出しにも言える。〈老女〉の生き様を淀みない文で客観的に描写し、中盤で筆者の正体を明かす。後半では〈老女〉は〈祖母〉に変わり、孫の気持ちが溢れるように綴られていく。〈みじめな姿になっても、みんな、あなたに長生きしてもらいたかったのだ〉に思いが集約されているように感じた。ラストも変に結論付けるのではなく、〈いまだに何にも見いだせずにいる〉にリアルさと余韻が残る。

 二席「朝刊」。小学生の頃の新聞配達を通した強面社長との交流。当時の街の様子の描写やエピソードのひとつひとつが魅力的であり、筆者の記憶力に驚く。冒頭とラストのつながりは見事で、素朴な文体に好感が持てる。

 佳作「巌の陰」。文体に硬さがあるものの、父への後ろめたさと、父の愛を知る過程が、映像が浮かぶように描かれている。姪と小石を蹴り合う場面や、父の部屋で琉球史の本を見つける場面が印象的。

 佳作「三線の花」。沖縄にルーツを持ち、本土で生まれ育った筆者ならではの視点。縁あって沖縄で暮らす中での気付き、沖縄色を消し本土で生きた祖父の供養、BEGINの歌によって呼び起される祖父の愛情に引きつけられた。

 佳作「灰色の風景と金髪娘のまっ赤な口紅」幼い日の越境入学や、ポスターに写る金髪女性への憧れ。復帰前の沖縄とそこに生きる子どもの姿を鮮やかに描いている。

 佳作「三味線の友に救われて」。異郷の地での病気との闘い、三線への挑戦、支えてくれる人たちとの交流が原稿用紙5枚いっぱいに淀みない文で描かれている。

 選外では、「夜の動物園」は人間味がよく表れていて良かったものの、妄想部分が長いのがもったいない。そこを削ってラストを丁寧に描いてほしかった。「執着」も新しいタイプの随筆で目を見張るものであった。

 高校生によると思われる作品では「辺野古の海をまもる人たち」はとても丁寧に綴られているが随筆としてあと一歩及ばなかった。「No Music, No Life」は個人の切実な内容を描いており、共感する部分もあったが、分量が少ないのがもったいなかった。できるだけ規定枚数ギリギリまで書ける題材を選んだ方が良い。これに懲りずに今後もどんどん書き続けてほしい。

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詩部門

仲村渠 芳江(なかんだかり よしえ)

大阪文学学校通教部研究科退籍。第一回おきなわ文学賞詩部門一席受賞、第三十回山之口貘賞受賞。十年目のおきなわ文学賞詩部門への期待は『おいしいをずっと。あたらしいをもっと。』* でしょうか。(*吉●家コピー)

講評

詩部門

作品集「はなうる」から学びを

 賞の公表後に応募作品を捨て置いていないだろうか。入選云々よりも大事なことは、詩作への動機を大切に育てることだと私は思う。技法などは「はなうる」が参考になるだろう。そこには十年間の蓄積がある。作品と講評から学ぶことが大いにあるはずだ。「おきなわ文学賞」は、「おきなわ文学学校」の役割もあるのだから。選考は、今回も光る一行・一連があり詩の芽を孕んでいる作品を佳作とした。しかし、いずれも定稿の域にはない。つまり、育て甲斐があるということ。

*二席【日常のなかの異物】喜納美由紀
風景を写生するような連の運びがよい。特に三連が魅力的。軍用機(オスプレイ)を異物として捉える創意(発見と驚きを内包した種)が深められず表層だけになっている。「君が書くとき、そのことをはっきり説明してくれたまえ。その遊びの瞬間を。」と言ったのは詩人長谷川龍生だったか。

*佳作【夜に数える】菅谷聡
仕事をしながら《ふと思う》ことを拡げた魅力的な作品である。タイトルの「夜に数える」は時代の夜(闇)としても読める。随所にユーモアもあり詩の芯もはっきりしているが、書き手の思考の段差に読み手が躓く行の運びがある。

*佳作【一九四五年】渡辺真梨奈
子の死は歩もうとする道の崩落である。二連の《四五(しご)の世界で待つよりも/子供達よ  並に老いて行け》この二行が心を激しく揺さぶる。「死後の世界」ではなく「四五(しご)の世界」、つまり一九四五年と表現したそこに作者の想いの凝縮があるのだろう。

*佳作【二十歳】西あおい
三連、五連など魅力的な行はあるが、全体が冗長。探査行の道筋が一編の詩の進行であるというが、言葉を一度骨だけにしてみてはどうだろうか。

*佳作【日々のふあん】安里佳也
現代は希望が見えない状況(といわれる。)私たちは攻撃性を内包しながら空気を読み同調して生きている(だろうか。)絶望を恐れて。最終連がよい。

 さて、今年から詩部門でも奨励賞を設けていただいた。奨励賞は小学生部門の一席である。

*奨励賞【あめがやんだら】田村白百合
《そのかどを/まがったらね》で始まる一連目の《ね》で読み手は親しみを込めて呼びかけられ作品のなかに誘われる。のびやかで連の運びもよく接続助詞の使い方も見事。驚くほど完成度の高い作品である。

 選外だが、阿摩和利を題材にした「天下の逆賊」「英雄悲嘆」両作品の文章力・構成力は群を抜いていた。

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宮城 隆尋(みやぎ たかひろ)

1980年那覇市生まれ。1999年、詩集「盲目」(98年、私家版)で第22回山之口貘賞を受賞。ほか沖縄タイムス芸術選賞奨励賞など受賞。詩集に「ゆいまーるツアー」(2009年、土曜美術社出版販売)など。

講評

詩部門

つまずき

 夥しい数の人間に様々な場面で酷使され、無色透明の伝達記号となり果て、吊されている言葉がある。詩を書く上で言葉の力をどう発揮するかというとき、難しさがある。特に社会的な題材を扱うとき、詩はスローガンや標語とどこが違うのか、考えさせられる。

 たとえば人々が見捨て合い、殺し合い、奪い合うさまを描き「ゆいまーる」や「命どぅ宝」と名付けてみる。読み手は個人的な思いを託して読み解くこともあれば、琉球や先島の歴史をたどって意味を見いだすこともあるのではないか。

 今回の応募作は63編。飛び抜けて目を引く作品には出会えなかったが、思いもよらない詩語の輝きに驚かされる作品、じわじわと味わい深さを感じさせてくれる作品が多くあった。

 「無題」という詩が一時に比べ、だいぶ減った。魅力的に名付けられた詩も多かった。たとえ「無題」とする意味が見いだせなかったとしても、そう名付けざるを得ない必然性を感じれば読み手はつまずかない。造語やスラング、現代語の文法に従わない独自の言い回しなども同じだ。意味の伝達を拒否し、言語実験を追究する詩法も、読み手の想像力を刺激することがある。

 選考会で選考委員は推したい作品を出し合うが、自信を持って推すことができなければ俎上に乗せられない。難しいのは読んでいてつまずく作品だ。作品全体を通して脈絡がないなど、読み手のつまずきを誘う意図が感じられる作品なら、そのつまずきにも必然性がある。独自の表現なのか、単なる誤字や助詞の誤りなのか、迷うことがある。議論の末、思いもよらない作品の魅力を見いだすこともある。半面、不可解なままであれば魅力が十分に見いだせないことも多く、その場合は当然、入選しない。

 「日常の中の異物」はスローガン化の落とし穴のそばで踏みとどまった。ただ矛盾が潜在化してしまった沖縄では異物を異物ととらえることもできない、末期がんでも誰も告知してくれず、診断すらしてもらえないような状況がある。その点では物足りなさも感じた。「夜に数える」はとても魅力的だったが、解消されないつまずきがいくつかあった。ほか私が推したのは「二十歳」。推したが入選に至らなかったのは「ある秋の朝ぼくは」(梅林忍)、「近年離島事情(会話)」(佐次田誠)の2作だった。

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琉歌部門

新垣 俊道(あらかき としみち)

沖縄県立芸術大学非常勤講師、沖縄伝統組踊「子の会」会長、沖縄県立芸術大学大学院舞台芸術専攻修了、国立劇場おきなわ第一期組踊研修修了、国立劇場おきなわなど県内外の伝統芸能公演に多く出演する。

講評

琉歌部門

海外からの応募者が受賞!広がりをみせる琉歌に大きな期待

 今年度は31人の応募があり昨年度に続き幅広い世代、そして海外移住者の作品も選出されたことは大変喜ばしい。

 一席には上原仁吉さんの5首が選ばれた。昨年度の二席に続き快挙である。全首とも様々な経験、また多くの困難を生き抜いてきた様子が伝わってくる。若い世代ではなかなか詠めない人間的厚みを感じさせてくれる。どの首も良くまとまった作品で、普段から琉歌を詠み慣れていることが伺える。歌詞中の「貴さ」「円だい」はセンスある表現で面白い。

 二席には前原武光さんの3首が選ばれた。1首目は三日月と明星が主題で、三日月を「弓張りの月に」と表現しているところが面白い。2首目は花に付く朝露が太陽の光を受けて美しく輝く様子が詠まれている。自然現象だけではなく、人生と照らし合わせた教訓的な心情が伝わってくる。三首目は溌剌とエイサーを踊る若者を「エイサースリサッサ」と大胆に表現している。この種の表現は駄作になりやすいが、前後の言い回しでうまく仕上げている。

 佳作には3名が選ばれた。仲村美南さんは昨年度の佳作に続き二年連続の受賞となり、1首選ばれた。春の爽やかな朝の景色を若者らしく表現している。「黄金染めて」からは景色の美しさだけではなく、その土地の豊かさが伝わってくる。大城蘭子さんはハワイ移住者で1首が選ばれた。一人のお年寄りが真夏の暑い昼間に礎の前で祈りながら問いかけている様子が伝わってくる。飾らない素朴な表現が逆に悲しさを引き立て、この作品を読む側もまさに「目の緒さがて」の心情にさせる。宮城由美子さんはボリビア移住者で2首が選ばれた。1首、2首目ともに移住先での奮闘や寂寥感など、故郷を思う心情が全面に打ち出されている。自然や天体を眺めて故郷を思うことは、いつの世でも変わらないものである。昨年はボリビア入植60周年で現地のコロニア・オキナワを訪れた。入植当時の写真を見て目頭が熱くなったことを思い出す。また、今年は沖縄・ハワイ姉妹都市30周年であり、ハワイと沖縄それぞれで開催された行事に参加した。そういう意味でも今回の審査は大変感慨深いものだった。

 琉歌は自然、讃歌、教訓、祈願など様々な内容があるが、その中でも圧倒的に多いのが恋歌である。応募作品は全体的に恋歌の作品が少ない傾向にある。恋愛は人間の根源的な欲求で、これを題材にするのは大変難しいが、ぜひこの種の作品も多く応募されることを願っている。

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勝連 繁雄(かつれん しげお)

詩人・琉球古典音楽 野村流保存会会長。沖縄芸能協会副会長。第25回山之口貘賞受賞。沖縄タイムス芸術選賞琉球古典音楽部門大賞受賞・同賞文学部門(詩)大賞受賞。沖縄タイムス琉歌欄選者。著書『風の神話』(詩集)・『琉球古典音楽の思想』(芸能関係)など。

講評

琉歌部門

琉歌も短詩になれる

 選考が終わって後、応募者のことが知らされるが、今回はハワイやボリビアなど移民先からの応募があったことが分かった。移民先の人間にとって、故郷への思いを表現する手段は三線や舞踊などの芸能が多いが、その三線に乗せて歌う歌詞として琉歌が詠まれたり、あるいは琉歌そのものに郷愁を詠み込んでいたことは移民史を語る回顧文などによく記されている。どこで暮らしても想いを表現する手段があるということはどんなにか大きな慰めになり、生き甲斐になっていることでしょう。移民先の応募者からも入選者が出たことは外国に住む方々の励みにもなるはずである。

 応募者の大半は高齢者の方々だが、高校生など若者の応募者が前回辺りから出て来たのも嬉しい限りだ。応募者全員にちょっとだけ注意したいこともある。詠み人知らずの昔の琉歌には似た作品が多かったし、それをあえて咎めることもなかったが、現代のように作者名をしっかりと明記し、著作権にうるさい時代には人の作品から盗用したと思われる作品を公表すると将来が大変まずいことになるので、そのことには気をつけたいものである。

 今回の作品のテーマも基地問題や戦争、沖縄の自然、人情、芸能、老いの想い、あるいは人生訓など多岐にわたっているが、読む人の心をつかむほどのものにはなっていないものが多かった。昔の琉歌の傑作には恋心を詠んだものが多いが、そういうのがないのは何故か。恥ずかしいという思いがあるせいか。だが、佳い作品を作るには心の奥に潜むものを表現する勇気が必要である。特に若者の中からは啄木が詠んだ素晴らしい短歌のように恋心を素直に詠んだ琉歌が現れたら面白いのにと思った。琉歌も短詩になれるのだから。

 さて、一席は上原仁吉の作品五首。各首に味わいがあるが、五首まとめて鑑賞すると作者の人生観がより確かな思想として表現されていることがわかる。五首とも佳い作品である。二席は前原武光の作品。宵の空の興趣を詠んだ歌と、朝露のはかなさ美しさを詠んだ歌、そして十五夜、若者、エイサーを絡ませて盆の時節を詠んだ歌の三首が選ばれた。佳作は三名の作品。仲村美南(高校生)の作品「海山の美らさ 朝太陽よ受けて 春の畑香ばしや 黄金染めて」。春の光、風、色、匂いが伝わってくる心地よい田園風景を前にしているようだ。
大城蘭子(ハワイ)の作品「夏の真昼間に 礎前に祈る 御年寄の姿 目の緒さがて」。
その光景を思い描くだけで、沖縄では一つの辛い想いが共有されるだろう。宮城由美子(ボリビア)の作品「星晴りの夜や 生まれ島思て 肝や如何ばかり 袖ゆ濡らち」と「長雨に咲ちゆる イジュの木の花や 我涙沁みてど 真白咲ちゆみ」。郷愁が人を詩人にし、イジュの真白の花にも心を深く染めることになる。

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短歌部門

銘苅 真弓(めかる まゆみ)

1940年東京都世田谷区出まれ。2001年「花ゆうな」短歌会入会。2003年日本歌人クラブ会員。2004年「未来」短歌会入会。2005年第26回琉球歌壇賞受賞。2010年第44回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。

講評

短歌部門

バラエティーに富んだ力作揃い。中高生の今後の活躍に期待。

 今年は戦後七十年目であり、節目の年と言われ、短歌雑誌でも特集が組まれた。また辺野古で揺れる沖縄であってみれば、それに関連した応募作品も見受けられたが、全体的にはバラエティーに富んだ作品が集った。我々が選んだ作品は力量が拮抗し入選か否かのボーダーラインは微妙なものであった。

一席 糸満の海神祭が躍動的に詠われ、読み手を祭りの現場へと誘い込む、臨場感あふれた一連である。一首一首の歌も優れ、詠み進むにつれて感動の高めてゆく構成も上手い。

二席 短歌の調べに自分の想いを乗せることの上手い作者である。一首目のメール、四首目の呼び出し音という小道具を使い、上手く自分の気持ちを表現している。

佳作一 イザイホーを詠んだ一連で、難しい題材を手際よく纏めている。二首目、結界という固い漢字がここでは生きて一首を格調高いものにしている。消えてゆく祭事を歌として残してゆくことは貴重な試みだと思う。

佳作二 戦後七十年に相応しい内容の歌である。四首目、のちの山ひかるなり、五首目、伊集の花ほのじろしというフレーズが歌の詩情を高め味わい深いものにしている。

佳作三 一首一首が青春の一齣を掬い取り、その時にしか詠えない一連となっている。三首目の波引いたあとの砂浜のようと言う比喩が秀逸。四首目のぴとぴとというオノマトペも独自性があり良い。

佳作四 三・四・五首目が良い。特に四首目の白いハンカチという具体的なものを持って来たことが母親の情愛の深さを想像させ読み手の心を捉える。

佳作五 短歌に於いて冒険や実験が出来るのも若さの特権である。その見本のような一連である。詳しい評は屋良選考委員の総評に委ねたい。

奨励賞 良く観察している。二首目が特に良く作者しか詠えない歌になっている。

 今回、中学生、高校生のレベルアップした短歌に出会えたことは嬉しい。ご指導下さる先生方の努力の賜物と思う。次回も期待しています。中学生は中学生の高校生は高校生の二度とないその時の輝きを短歌にして残してみて下さい。

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屋良 健一郎(やら けんいちろう)

1983年沖縄県沖縄市出まれ。2004年竹柏会「心の花」入会、佐佐木幸綱に師事。2005年第1回「おきなわ文学賞」短歌部門一席。名桜大学国際学群准教授。

講評

短歌部門

11年目の魅力と課題

 今回は55作の応募があった。昨年に比べると作品数は少ないが、レベルは高くなっているように感じられた。

 高い評価を得たのは、ハーリーやイザイホーといった沖縄の文化を詠んだ作品である。沖縄独特の固有名詞や方言を使い、さらに地域による言葉・文化の違いも際立つこのような作品は、読み手にきちんと伝えようという意識が強くなりがちである。変に説明的になるか、逆に、本来使いたい言葉を我慢して読み手に通じるような別の言葉を選ぶか、抑制がきいて自由な表現はしづらい。しかし、今回、入選した作品はいずれも伸び伸びとしていて好感が持てた。

 また、若者の作品と思われる、口語を駆使した歌に良い作品が多かったのも今回の特徴であろう。豊かな想像力を感じさせる作品は読んでいて楽しかった。10年前は新鮮に思えた作品が、今回の応募作にはあふれており、口語短歌が洗練されてきていることがうかがえる。時代の流れというのもあるだろうが、現代短歌の口語作品を学んだ上で作られているような完成度の高い歌もあった。口語短歌の応募が増え、口語自体に珍しさが感じられなくなってきているため、今後はより個性的・詩的な表現が重視されるようになるだろう。

 さて、戦後70年、しかも、基地移設をめぐる問題が深刻化する中にあって、沖縄戦や基地問題を詠んだ作品に力がこもっていた。そのようなテーマの作品の中にも優れたものがあったのも事実である。しかしながら、湧き上がる感情は、えてして短歌を説明的・類型的なものにしてしまう。饒舌になってしまうのを抑えて、読者にすべてを伝えようとするのではなく、あえて言わないことで読者に解釈をゆだねるという勇気を持つのも大切である。

 ところで、5首一組での応募となった場合、連作の構成も重要視される。体言止めの歌が続く、ウ段の音で終わる歌が続く、区切れが同じ歌が続く、そういう作りでは読者がマンネリ感を抱く。連作の作り方を工夫することで、さらに良い作品になるはずだ。

 最後に、入選作以外での注目作に触れておきたい。「夜よりも朝が近いせい三日月の光見つめて片目で泣くの」は結句が個性的、「ハンガーに一日を下げ床に就く師との二十年(ふたとせ)夢で駆くるや」の「ハンガーに一日を下げ」の比喩(ただし、「二十年」は「はたとせ」ではないか)、「青白き月の光に濡らされて潮満ちるとき君が漕ぎ入る」の『万葉集』額田王の歌を思わせる抒情性、母の老いを巧みに表現した「母の手を擦り花の名呼び合えり夾竹桃は今日も呼ばれず」の妙、「軸を地に付けて休めるボーリング・マシンただただ脱力している」のユーモア、「私のね中の私が言うんです私はいったいなんなのでしょう」の青春性。「錆びついて抜けない画鋲があるように許せない人がいるってだけよ」の着想の面白さも良いし、「画面右上の電波の階段で君の場所まで駆け登っていく」の独特な表現には驚いた。「見下ろせばうねりも穏(おだ)し万座の海(み) よぎりし風に細波の立つ」は美しい歌であったし、同じ作者の他の歌は古語を用いた修辞に長けた作品であった。「沖縄の死を満開の花よりも手短に述べる今夜のニュース」は実力を感じさせる社会詠で、同じ連作中の他の作品もテーマの力、詠わずにいられないことの強さを感じた。おそらくは、海外からの応募であろうことが連作を詠むと分かる作品もいくつかあった。「カルナバル悪夢めざめる吾子のひき逃げ犯は時効となりぬ」はこれまで短歌であまり見たことのないテーマだし、「吹く風に散りいくトボロチの葉の落ちゆく先を秋の日に見る」は丁寧な叙景歌、「夢を持て移り住みたる我宿は砂埃舞い立つ道の果て」は映像的なところがよかった。

 なお、小学生の応募は1作品のみであったが、たしかな観察眼とユーモラスな擬人法で、文句なしの奨励賞入選となった。

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俳句部門

野ざらし延男(のざらしのぶお)

1941年生まれ。石川市山城出身(現・うるま市)。天荒俳句会代表。元高校教師。【句集】『地球の自転』『眼脈』『天蛇ーー宮古島』ほか【編著】『沖縄俳句総集』『秀句鑑賞ーータイムス俳壇10年』【高校生句集】『眼光』(中央高校)・『脈』(宮古高校)ほか多数。【受賞歴】沖縄タイムス出版文化賞『沖縄俳句総集』・日本詩歌文学館奨励賞『脈』・沖縄タイムス芸術選賞大賞(文学・俳句)・沖縄タイムス教育賞(「国語教育」俳句指導実践)ほか。

講評

俳句部門

魂の叫び

◇一席
  オスプレイ魂の周波も天網も
 オスプレイ(垂直離着陸輸送機)は今、問題になっている普天間基地に配備されている。空中に見えない周波(電波)が流れ、沖縄戦で亡くなった人たちの魂(句には「マブイ」のルビが付く)が漂っている。天網だってかかっている。だが、軍機は沖縄の魂を切り裂き、天網も切り裂く。この傷ついた魂の叫びは為政者には届かないのであろうか。

  臓腑こそ物言わんとす慰霊の日
 「腸が煮え返る」という怒りの表現がある。沖縄戦では本土防衛のために捨て石にされ、老若男女の多くの尊い命が奪われた。「慰霊の日」には口から発する声ではなく、腹の底から怒りの声を発したいのである。その怒りの表現が「臓腑こそ物言わんとす」である。

  空蝉の疵口こぼれ言わず逝く
 空蝉は人間の屍を比喩していると考えられる。「疵」には怪我の意味のほかに、割れ目、不名誉、恥辱などの意味がある。「言わず逝く」の表現には無念さがにじみ出ている。

◇二席
  龍淵に丸ごと村を飲み込みて
 龍淵は龍を象った流水口であろう。ここでの龍はおおきな力(王権など)で「村」を飲み込んだ弱者いじめの権者を暗示している。この構図は民意を無視して辺野古新基地建設を強行する現代の歪んだ構図と重なる。

  秋天に引き返せない道のびる
 人生を極めるのは難しい。だから「引き返せない」難行を覚悟して歩まねばならない。

◇佳作
  羊水を離れてとどく春満月
  春光の一部となりし献血車
 柔らかな感性が魅力。

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三浦 加代子(みうら かよこ)

『ウエーブ』主宰・『人』県支社長・県俳人協会副会長・著書『光と音と直感』・『草蝉』・『なまこ歳時記』にぬふぁ星図書館・河東碧梧桐研究所所長。論文「碧梧桐を通して見た沖縄」・「自然と人間」

講評

俳句部門

島の周波

 今回は学校単位の応募が無く応募総数は減ったが、確実に若者が育ってきたという手ごたえはあった。特に小学生が個として応募するようになったことは期待される。

 一般の部は、「俳句は文芸である」という当たり前のラインに立ちながら、言語空間の緻密さなどに焦点をあてて三名を選した。小学生の部は俳句文学の模索の過程、可能性が選の決めてとなった。

 一般の部。
 一席。物や事象の輪郭の曖昧さによる多感的な体験の模索の余韻が特徴。「臓腑こそ物言わんとす慰霊の日」、痛みに気づいた時の最悪の症状が沈黙の臓腑。
「臓器こそ」は取り返しのつかない前に「慰霊の日」がなぜあるのかを考えなさいという作者の平和の希求か。「オスプレイ魂の周波も天網も」、オスプレイは戦争を体験した島の恐怖のトラウマの象徴。島の異変を見逃さない心の声が「魂の周波数」、神々への思いが「天網の周波」か。

 二席。森羅万象を凝視する視線と日常に潜む不安が織りなす空間が着眼か。「秋天に引き返せない道のびる」、「引き返せない」人間の弱さとは戦争を受け入れた島の弱さ。どのような情報を秋天へ送り届けることができているか、引き返せない歴史ならば、平和な島の概念の徹底的な検証が必要。「龍淵に丸ごと村を飲み込みて」、権威の象徴である龍に飲み込まれた村とは、龍は時期がくれば天へ昇る。残された村人の確執はいかに。

 佳作。若い感覚的な言葉と季語の情感の交差からにじみ出す崩壊感覚。「羊水を離れてとどく春満月」の胎児の生死。「一瞬を永遠とせり敗戦忌」、敗戦忌は人類の憎悪が紡いだ歴史の失点。さだまさしの平和のコンサートの「永遠という一瞬」の歌詞を蘇らせるが、個の作品力は弱い。

 小学生の部。
 奨励賞。小学生は創作の過程が、体験の手探りや季語などへの挑戦。「小学生にしては上手すぎる」と指摘もあり。「長月や修正テープを巻きもどす」は陰暦長月が月の満ち欠けの時間、「修正テープを巻き戻す」が体験の反芻か。

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伝統舞台(組踊・沖縄芝居)戯曲部門

大城 立裕(おおしろ たつひろ)

1925年沖縄県出まれ。上海の東亜同文書院大学中退。元県立博物館長。公職のかたわら小説、戯曲、エッセイを書き、「カクテル・パ―ティ―」で第57回芥川賞(1967)。著書に『小説琉球処分』『日の果てから』(平林たい子賞)『般若心経入門』ほか多数。紫綬褒章(1992)、勲四等旭日章(1996)。短編「レールの向こう」で川端康成文学賞受賞(2015)。創作組踊を23本書き、そのうち『聞得大君誕生』は、国立劇場おきなわ創立10周年記念に、坂東玉三郎主演で上演。

講評

伝統舞台(組踊・沖縄芝居)戯曲部門

基礎ができていない

 二年目だが、はじめてのように、どの作品にも不満が多い。わずかに二作だけを受賞作に採ることにした。とはいえ、知事賞には該当作がない。

 組踊「遺念火ホタル」(屋良美枝子)は情念のドラマだが、歴史を背景にした人物関係が、これではよく分からず、情景描写もト書きの説明に頼りすぎる。説明でなく本文(台詞)での描写であるべきだ。歴史は主要場面の冒頭でおおまかに語らせ、それに沿って人情を絡ませるのが適切である。台詞も歌も、およそはよく出来ている。ただ、今のままではその細部の技巧が筋に密接に生かされていなくて、勿体ない。

 沖縄芝居「走風ぬ金丸」(南原あい)は、若干の改稿を加えれば史劇になる。改稿すべきは人物紹介(最大は尚宣威。これは歴史であまり語られていないので、これこそフィクションの生かしどころ)であり、筋の展開に伏線として必要である。

 その他の作品は、箸にも棒にもかからないという感じで、個別批評のしようもない。

 舞台に人物を立てて、なにかを喋らせれば、それで演劇になっているとお思いか。

  • 筋は、すべてを台詞で語らせねばならないのである。事務的な「梗概」あるいは「これまでの経緯」は、これを読まなくても分かるものでなければならない。これで本編の理解を補わせようとするのは、もっての外である。
  • 話の筋書きを、わがままに細切れに繋ぐのは、演劇ではない。
  • 歴史や民俗を、文献や世に伝えられた説話の通りに説明するだけでは、演劇ではない。沖縄の応募作ではこの種の錯誤が多い。伝えられた筋書きに、作者独自の解釈が加えられなくては、創作にならないのである。

 沖縄芝居も組踊も、基本的に演劇である。「演劇」とは何か。その理論書を読めば理想的だが、古典を読んで分析してみるだけでも結構である。ただ、組踊にせよ沖縄芝居にせよ、既成の作品は演劇の性格がよわい、と私は現代の感覚から見ている。折角の新しい募集をするからには、新しい価値を生みたいものであるが、そこまで行かずとも、組踊にせよ沖縄芝居にせよ、歌と台詞の関係を、心理描写や風景描写としてよく生かすことを、学んでほしい。古典に照らしてよく学んでほしい。

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幸喜 良秀(こうき りょうしゅう)

1938年沖縄県沖縄市旧美里村生まれ。琉球大学国文科卒。演出家。中学教師の傍ら演劇集団「創造」を結成し演出活動を続ける。1987年沖縄芝居実験劇場を結成。沖縄の身体表現に拘り、伝統芸能の継承と新しい沖縄芝居の創造に力を入れる。また元国立劇場おきなわの芸術監督時代には芸能人の後継者育成に務めた。

講評

伝統舞台(組踊・沖縄芝居)戯曲部門

劇物語の独創的な設計図

 組踊2点、沖縄芝居3点の計5点の作品を読んでの正直な感想は、昨年より感動的な力作がなく寂しい思いをした。書き手はドラマの基礎をしっかり勉強してほしい。ドラマとは対立・葛藤を書いて、作者の内部世界から生み出される創造的な真実を、視覚的、聴覚的に立体化して見せる、いわば劇物語の独創的な設計図だ。創作劇はセリフやト書きに劇性を孕んだ表現があり、読む人、見る人の想像力をいかにかき立ててくれるかである。

 沖縄の演劇状況は今日ほど新しい創作脚本が生まれるのを望んでいる時代はない。さて、沖縄は芝居よりも現実のほうが哀しいかな、面白いのである。だからこそ、現実に潜む真実を抉り寄せて劇化し、普遍的な世界に再構築して見せるのが現代を生きる演劇人の務めではないだろうか。以下5作品の感想をしるします。

1、(二席・組踊)遺念火ほたる
 組踊の基本を抑えている佳作。登場人物が絞り込まれるとよい。二人の若者たちの愛の場面のドラマが拡散し集中力に欠けたのは惜しい。事件のあらすじを面白く語らせる方法に「間の者」を登場させて笑いを誘いながら悲劇を語らせると面白い。古典劇から学ぶとよい。音楽の配置は適切。哀しいメルヘンの世界へ心地よく誘う。構成も起承転結になっていてわかりやすい。

2、(佳作・沖縄芝居)走風ぬ金丸
 ありふれた英雄物語。人物設定が単純で、緊張感がわいてこない。主人公の金丸の苦悩が無血クーデター成功へとどう結ばれるのか分からない。「物呉しる者が我がご主人」を劇性のあるセリフとして生かすとおもしろいはずだ。国家経営論、(庶民)生活の現状。宗教と愛情のエピソードが混然と薄く描かれていて劇的に高揚感がなくまとまりがない。

3、(沖縄芝居)復興の槌音
 戦後沖縄復興期の庶民の物語。石川の伊波山城あたりの集落の物語。村言葉で脚本をまとめた労を多としたい。基本的な劇作術を学ぶことを勧めたい。

4、(組踊)清壱風
 あまりにも短すぎる組踊。身分制度を背景とした組踊にしては単純すぎる。琉球音楽を生かしたセリフ(唱え)が生かされていない。構想力が望まれる。

5、(沖縄芝居)鬼ムーチーと耳切坊主
 昔話チャンプルー・鬼ムーチーと耳切坊主が題材。物語がしっかり構成されてなくて劇的な体をなしていない。チャンプルーの世界にはチャンプルーの味わいがあるはずだ。劇作の面白さを味わってみることをお勧めしたい。

 沖縄は現代劇の題材が宝庫にあるシマだ。組踊や沖縄芝居から学びながら、新しい沖縄芝居の創造が求められている。劇作家のさらなる精進を期待したい。

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漫画部門

島袋 直子(しまぶくろ なおこ)

1965年沖縄県那覇市出身。沖縄のマンガ雑誌「コミックおきなわ」、タウン情報誌「おきなわJOHO」の編集長を経て1995年に独立。法人化や社名変更を行い、2011年には「株式会社コミチャン」へ。現在は代表取締役社長、電子書籍「コミックチャンプルー」編集長、専門学校講師など。

講評

漫画部門

県知事賞まであと一歩!

 一年ぶりに再開された漫画部門。漫画原作も加わり、審査員も一新した。応募数は過去最高となり、熱意の伝わる力作ぞろいとなった。初めて出す方、これまで応募し続けていた方など、バラエティ豊かな作品が集まった。おかげですべて読み込むのに結構な時間がかかり、審査会もああでもない、こうでもないと長時間となった。散々検討した結果、今回も県知事賞はナシとなった。

 2席を獲得したのは「ここに楽園を築こう」。応募締め切りが9月末にも関わらず、早くも五郎丸ポーズを出してきたのが面白い。台詞が多すぎたり、コマ割りが細かくて読みづらい点はあったものの、丁寧に仕上げた作品が2席の決め手となった。次回はコマに大小のメリハリをもっとつけ、背景に沖縄らしい風景を増やすといいだろう。

 佳作の「ハーイヤ 琉Q少年」はエイサーをモチーフとし、パーランクーが乗り物になったりなど面白みのある少年マンガ作品。だが、慌てていたのか仕上げの雑さが目立った。もっと丁寧に描けば県知事賞を狙えたかもしれない。4コママンガの「オキモ!沖縄を盛り上げます!」の作者は過去にも佳作を受賞。今回も応募してくれたのがありがたい。沖縄あるあるネタだが、かわいらしいキャラクターのボケっぷりがいい。ツッコミも効いている。漫画原作の「骨董虹彩堂」は場面転換が唐突だったり、文章がわかりにくい部分もあったが、マンガらしいキャラクターとストーリー展開がいかにもマンガという感じ。そのマンガらしさが受賞の決め手となった。

 選外では「台風一家」は絵の上手さは際立ったが、台風の割には迫力に欠けた。外の荒れ狂う様子を迫力満点に描いていれば入賞したかもしれない。「ウフソー一家」は漫画部門の常連だが、いつもは4コマで応募なのに、今回は1コママンガ。ちょっとキレが悪かった。どうせなら4コマで頑張って欲しかった。漫画原作の「聖徳太子は玉陵に眠る。」はとても面白いミステリーだと思った。私の好きな横溝正史の「夜歩く」を思い出させた。これは小説向きではあるが、マンガ向きではないのが残念。漫画にしたいならキャラクターをもっと大げさにするとか、ハチャメチャにしたり、小さなギャグを入れても良かっただろう。

 今回は県知事賞が出なかったが、次回は出るのを期待したい。

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喜名 柚日(きな ゆずか)

沖縄県浦添市生まれ。1996年、ペンネーム喜名朝飛(きなあさと)で株式会社スクウェアエニックス発刊の「月刊少年ガンガン」にてデビュー。2006年、少年誌連載終了後、地元沖縄で行政向け、企業向けマンガ、イラストの仕事で活動。地元専門学校でマンガ講師も務める。2014年、ペンネーム喜名朝飛から喜名柚日へ改名。現在に至る。

講評

漫画部門

熱い審査室!時間押しまくり!

 今回募集された作品はどれも力作ばかりで読みごたえがありました。
 中でも入選した作品は甲乙つけ難く審査も難しいものでしたが、入選した作品に共通している点は、どの作品も読み手である読者をきちんと意識した作品作りを心掛けている点にあります。
 もちろん自分の思いのたけを作品に込めるのは悪い事ではありません。むしろその熱い思いがあるからこそ作品は創られます。しかしその先に読者の存在があるという事も忘れてはいけません。
 漫画は読んでもらう事が大前提です。独りよがりではいけません。読者に自分の言いたいことが分かるように伝える、描く、を常に心がける事が大切です。
 残念ながら今回は県知事賞は該当作無しという結果になりましたが、審査を通して応募者の思いが込められた多くの作品に触れる事ができ、大変貴重な経験をさせて頂きました。
 入選された皆さま、本当におめでとう御座います!

理事長賞『ここに楽園を築こう』
 ページ数の制限ある中、ストーリーも良く練られていて主人公の葛藤もきちんと掘り下げて描かれており最後まで読者を意識した丁寧な作品作りがなされていたのが非常に好感がもてました。それは作画においても見て取れました。見やすい絵柄とトーンワークで心地良い画面バランスが高評価でした。もう少し効果的なコマ割りが出来れば、もっと読者を引き込んでいける作品になると思います。

佳作は3作品が入選。
『ハーイヤ 琉Q少年』
 最後まで飽きさせずテンポ良く読むことができました。絵柄も良く、いい意味で描き慣れているなと思いました。しかし小気味よくサクサク読ませていくだけに主人公とヒロインの感情の掘り下げに足りなさを感じた事と、後半絵が雑になってしまったのが、作品的にとても良く出来ていただけに非常に残念でした。

『オキモ!沖縄を盛り上げます!』
 4コマの作品ですが、萌え系の可愛らしい絵柄のキャラたちが日常の会話の中で沖縄の特産物を皮肉を織り交ぜながら紹介していくその会話、やり取りが絶妙で、扱っている内容が重くても、ブラックにサラリと会話させてしまうそのキャラ設定にセンスを感じる、楽しく読めた作品でした。

『骨董虹彩堂』
 漫画原作からの入選。読む人を引き付けるキャラ設定、ストーリー性もさることながら、小説ではなく、あくまで漫画原作としての作品であること。その要素がきちんと押さえられていたのが好評でした。漫画に起こした時の情景が想像しやすかったのが良かったです。

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比嘉 智(ひが さとし)

1966年生まれ。うるま市出身。創価大学卒。1994年㈱沖縄ファミリーマートに入社し、現在、広報・マーケティング室長を務め、県産漫画「ファミマガ」の企画に携わる。BEGINの楽曲「国道508号線」を使用したTVCMシリーズが好評で、昨年、沖縄広告賞総合グランプリを受賞。

講評

漫画部門

漫画界に沖縄の風よ吹け

 「好きな漫画は?」と聞かれると、少し楽しそうな表情を浮かべ、思い出を語り出す自分がいます。

 大人になるとリアルな世界の住人となり、子どもの頃に見えていた物が見えなくなり、得るものも多い代わりに、何か大切なものを失ってしまった気がします。その“何か”を思い出させる力が、きっと漫画には秘められているのでしょう。自分を笑顔にしてくれる漫画への恩返しと、秘められた力を見つけ出す探検がしたくて「ファミマガ」企画を始めました。

 今回、多くの作品・作者と出会うことができました。素直に笑える作品、想像力豊かな物語、可愛らしいキャラクター、心打たれ考えさせられる絵日記のような作品、「あるある」と心で頷く沖縄漫画や平和を希求する作品など。どれも作者の愛情と挑戦の物語が感じられました。久々に集中して漫画を読む時間は、とても楽しいひと時でした。

 私は、現実と非現実のチャンプルーによって生まれる仮想世界が、漫画の面白さだと思っています。そのバランスによってリアルな漫画からブッ飛んだ漫画まで、異なる仮想世界を持つ作品が生まれる。

 荒木飛呂彦先生は、著書の中で漫画の「基本4大構造」として①キャラクター ②ストーリー ③世界観 ④テーマ を挙げていますが、チャンプルーによって生まれた作品がこの4大要素を満たし、読者をいかに巧みに仮想世界へ誘えるのかという視点で、私は審査にあたらせていただきました。

 今回の受賞作品は、画力はもちろん、物語やページ構成など基本がしっかりしているように感じられ、私は自然に各作品の仮想世界に引き込まれました。もう一歩、完成度が足りないかなと感じる一方、もっと面白くなるという期待感が持てる作品群だと思います。

 チャンプルーは、沖縄人の得意技のはず。沖縄文化は、どれも人々を独特な世界へ優しく誘う魅力に溢れています。漫画の世界にも沖縄の風が吹く未来を夢見つつ、作者の皆様の今後の躍進に心から期待致します。

 
 参考)集英新書「荒木飛呂彦の漫画術」

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