入選一覧・講評

CHOSEN

公益財団法人沖縄県文化芸術振興会が主催する「第21回おきなわ文学賞」において、全6部門合計388作品の応募の中から、39作品36名の受賞者が決定しました。
一席5名、二席7名、佳作20名、奨励賞7名です(うち3名は2部門で受賞)。
たくさんのご応募、ありがとうございました。

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小説部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
二席 沖縄県文化芸術振興会理事長賞 ※順不同 かみさまのいない街 梓弓 豊見城市
二席 沖縄県文化芸術振興会理事長賞 僕を知らない妻と暮らす 平安名 楽真 那覇市
佳作 ※順不同 光芒コウボウ 宮城 力徳 宜野湾市
佳作 むすんでひらいて 玉山 広子 沖縄市
佳作 母のワンピース 比嘉 恵子 八重瀬町

〔 選考委員・講評 〕

大城 貞俊(おおしろ さだとし)

1949年沖縄県大宜味村生まれ。
元琉球大学教授、詩人、作家。
受賞歴に沖縄タイムス芸術選奨(評論)奨励賞、具志川市文学賞、沖縄市戯曲大賞、文の京文芸賞、九州芸術祭文学賞佳作、山之口貘賞、沖縄タイムス芸術選奨(小説)大賞、やまなし文学賞佳作、さきがけ文学賞など。

特異な世界に抱く共感と違和感

今回は第一席を選べなかった。残念なことであった。小説世界はフィクションの力を借りて特異な世界を作り上げ、作者のメッセージをしのばせる。あるいは表現の妙味を味わうことも作品を読む(創る)醍醐味である。今回はこの世界への共感と同時に違和感をもぬぐえなかった。応募者諸氏にはもう一歩の精進を期待したい。
 入選作品は五編。第二席は「僕を知らない妻と暮らす」(平安名楽真)と「かみさまのいない街」(梓弓)の二作品が同時受賞となった。「僕を知らない妻と暮らす」は、認知症の妻を持つ老夫婦の物語だ。文章も整っていて認知症の妻に対する僕の心理描写も細やかである。二人だけの登場人物で、よくも深く温かい物語を作り上げたと感心した。しかし、妻は治ったとするハッピーエンドは唐突すぎる印象をぬぐえなかった。このことによって小説としてのインパクトも弱めたようにも思われた。
 「かみさまのいない街」は、通信制の午前部に通っている「桐」が主人公(語り手)の作品だ。「くそばばあ」などの悪態をつく言葉を使用しながら特異な作品世界を作り上げている。独特な比喩表現も随所に見られ豊かな文才に感心した。終盤に披瀝されるメッセージも秀逸で「桐」にとって大きな人生の転回点になるはずだ。しかし、作品の展開がやや粗っぽく意味不明な箇所もいくつか見られた。「死ねテツオ」といきなり出てくるが、作者の真意がはかりかね、一席に推すのはためらわれた。
 佳作に選んだ三作品も魅力的な作品だった。「光芒」は夏目漱石の作品を狂言回しにして物語を展開したアイディアはユニークだった。作者の言葉に対する感覚は他の作品に比して優れているように思われた。登場人物の造形も際立っていて魅力的な人物が多かった。「むすんでひらいて」は戦争中に親善のためにアメリカから送られてきた青い目の人形にまつわる話だ。人形を巡って複数の物語が作り出す構成力、想像力には高い能力を感じた。「母のワンピース」は、五人の子どもを持つ働きずくめの母親の、一度は外で働いてみたいという夢を描いた作品だ。母親の姿が具体的で一人の女性の生き方として普遍的な域まで達しているように思われた。他に選外になったが「沖縄南洋初期移民譚・序」や「骨肉のエチカ」「あおの日々」などが印象に残った。

仲原 りつ子(なかはら りつこ)

那覇市生まれ、那覇高校、名古屋瑞穂短期大学を卒業後、栄養士として、務めつつ、保育士の資格をとり、自ら保育園を設立。保育事業に携わる一方、創作活動も行う。第10回琉球新報短編小説賞「イヤリング」佳作、第15回九州芸術祭文学賞「束の間の夏」地区優秀作、そのほか、新聞や業界誌などでコラム、エッセイ等を執筆。沖縄エッセイストクラブ会員。「亜熱帯」同人。
社会福祉法人あおぞら福祉会あおぞら保育園理事長兼園長。

「かみさまのいない街」
主人公の桐は訳あり生徒の吹きだまりのような定時制高校に通っている。いじめられっ子の風介と、なにかとおせっかいなアリサ。この3人を中心とした若者たちの危うさが軽妙なタッチで描かれていて、人物描写も的確。「ユタのオバアは鼻の下にハナクソみたいな大きなイボ、離れたところからでも線香と醬油と仁丹がつーんと臭った」「はっしゃびよー、でーじなってるねー」「司書のおばさんはひっそりと一冊の本のように場に溶けこんでいる」等。情景描写も光るものがあり、アリサとのどんでん返しも読ませる。が、ラストはもっと別の展開はなかったかと惜しまれる。良質の感性を持っているので次作に期待。
「僕を知らない妻と暮らす」
認知症の妻とのある一夜の物語。妻とのなれそめがやや長い感はあるが、少しずつ認知症になっていく様子はリアルで、対応する夫の戸惑い、困り感が時系列で細かく書けていて、高齢社会と老々介護の現実を共感を持って読んだ。発信機を持って失踪した妻は空港ビルの出発ロビーにいた。ちぐはぐな服装、突拍子もない会話、それに逆らわずに上手に合わせていく夫。時々正気に戻る妻を「おかえり、ゆぅみぃ」と迎える。が、いずれ限界は来る。それはまた「明日、考えよう」。
「母のワンピース」
いつも不機嫌で祖母へのグチや農家の仕事への不満などをこぼす母親にずっと反感を持っていた主人公。だが母亡き後、遺品を整理したところ、実家の古い押し入れから風呂敷に包まれた水玉のワンピースと色あせた古いノートが出てきた。ノートには、夫や夫の両親に反対されながらも、農家以外の仕事に憧れ、那覇の食堂で働こうとしたができなかった無念さが書かれていた。「私が熱を出して何日も休んだから仕事を辞めることになったんだよね。おかぁに悪いことしたさあ」と思い至った私。あの時、「もう最後だから行って来ようね」と諦めざるをえなかった母親の気持ちが今ならわかる。だからその時着ていたこのワンピースは「捨てるわけにはいかない」。
「サンバババンド」は辺野古での出来事が書かれている。毎年この作者の作品は最終選考まで残るのだが、今回は少し主張が強すぎるように感じた。が、継続は力である。沖縄に住んでいる人でなければ書けない今の沖縄を、是非これからも書き続けていただきたい。
 6年間、沢山の作品を読み、いろいろな人生に出会え楽しかった。選考会でも多くの学びがあり感謝。「おきなわ文学賞」のますますの発展を心より祈念しています。

村上 陽子(むらかみ ようこ)

1981年広島県三原市生まれ。沖縄国際大学教授(沖縄・日本近現代文学)。
2000年~2008年まで琉球大学および琉球大学大学院で学ぶ。東京大学大学院博士課程を経て2016年に沖縄国際大学総合文化学部に着任。
著書に『出来事の残響ー原爆文学と沖縄文学』(インパクト出版会)。

 二席に選ばれた「かみさまのいない街」は、不幸続きの高校生・桐を主人公にしている。義父の病死や祖母の突然死、ユタに心酔する母などの家族、高校の個性的なクラスメートたちなど、桐を取り巻く人間がよく書けている。文体や表現にきらめきを感じる作品である。
同じく二席の「僕を知らない妻と暮らす」は、認知症を発症した妻と向き合う夫の一夜を描く。徘徊する妻を連れ帰り、なだめ、ときに演技に興じる夫の行動には愛があり、過酷なケアをユーモラスに仕上げた秀作であった。
佳作となったのは「光芒」、「むすんでひらいて」、「母のワンピース」である。「光芒」は、夏目漱石の作品に強く影響を受けた作品である。後半にいくほど表現が磨かれ、特に恋人やその父親との会話ににじむ主人公の思想はおもしろい。沖縄が舞台の作品であるが、登場人物の会話はまったくなまりのない標準語で交わされている。それは、作者にとっては自然に選び取られた表現であったのかもしれない。しかしどこか現実から乖離した、つくりものめいた印象を生み出した原因の一つとなっているように思われる。
「むすんでひらいて」は、日米間の国際親善の一環として行われた人形交流によって沖縄にもたらされた青い目の人形が物語を動かしていく。言語や人形も含め、敵国のものが排斥された時代と、2025年の現在とを無理なく行き来する、構成が巧みな作品であった。テーマをやや盛り込みすぎという面もあり、結末に近づくにつれて整理しきれないところが目に付き、ごちゃついた読後感が残ってしまった。
「母のワンピース」は、細部まできちんと描かれた丁寧な作品であった。母の遺品整理をしていた娘が古いワンピースを見つけ、子育てと家事、畑仕事に追われた母がかつて外で働こうとして挫折したことに気づく。ここに描かれたことが決して過去の女性たちの苦しみではないことが、現在の読者にも苦く、深くしみわたる。そして、娘たちの会話からは、この母がただ不幸であったとは言えないことも確かに感じられるのである。
選外となった作品のなかで心に残ったのは「あおの日々」である。コロナ禍で県外から移住してきた女性の姿が巧みな文章で綴られている。主人公が流れに身を任せている感が強い。起こる出来事を流れのままに書くのではなく、登場人物の内面や成長に目を向けることができていたら、より優れた作品になったのではないだろうか。
以上の通り、本年度は一席該当作品なし、二席に二作品、佳作に三作品という結果となった。一席にふさわしい突き抜けた力を備えた作品がなかったことが惜しまれる。また、応募作の多くから受けとったのは〈粗い〉という印象である。推敲を重ね、練り上げる時間なしに応募に至ったという人もいたのかもしれない。次年度は一席にふさわしい作品が生まれることを心から願っている。

随筆部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 怒りの世界の住人 伊波 せう子 読谷村
二席 沖縄県文化芸術振興会理事長賞 祖父とひ孫をつなぐ唄三線 澤岻 理恵 浦添市
佳作 いつか行く道 徳嶺 正治 宮古島市
佳作 母からの伝言 棚原 妙子 那覇市
奨励賞 ※順不同 独りと仲間 恩納村
奨励賞 わかり合おうとすること 布施 杏里 恩納村

〔 選考委員・講評 〕

長嶺 哲成(ながみね てつなり)

1962年生まれ。週刊レキオ、季刊「カラカラ」、「おきなわ食べる通信」などの編集長を務めたのち、現在は泡盛居酒屋店主。琉球泡盛倶楽部会長。
琉球新報紙「落ち穂」執筆中(2023年7月〜12月)。

 一席の「怒りの世界の住人」は、常に何かに苛立ち、ふてくされて、家族ともうまくやっていけない反抗期の小学校六年生が主役。彼の怒りはたびたび家庭の平穏を脅かしたが、夏の甲子園で沖縄尚学高校が勝ち進むにつれ、徐々に彼の言動に変化が起きる。野球のルールを家族に尋ねたり、父親からプレゼントされたグローブとボールに素直に喜んだり、親戚一同で観た決勝戦では優勝の瞬間にみんなと抱き合って喜んだり。きっと彼は何より自分に苛立っていたのだろう。沖縄尚学の奮闘は、彼に変わるきっかけを与えてくれたのだ。男の子の心に吹き荒れる反抗期という嵐が、ひとつの出来事で徐々にやわらいでいく様子を、母親の視点でうまく表現している作品だと思う。
 二席の「祖父とひ孫をつなぐ唄三線」は、小さい頃に聞いた祖父の唄三線が忘れられず、7歳の息子に三線を習うことを勧めた母親のエッセー。小・中学生の三線コンクールに挑戦した息子は最年少合格、それも2位という素晴らしい結果を残すのだが、その報告に訪れた祖父の親戚の家で、祖父が残した三線を弾くように勧められ、それに応えて堂々と唄う少年の姿がいい。祖父の唄三線が自分に、そして息子に着実につながっているという感動が伝わってくる作品だった。
 佳作の「いつか行く道」は、高齢であの世へ旅立った愛犬に、80歳を超えた自分を重ねて、これからの人生を思う作品。老いていくことを嘆くのではなく、自分がまだできること、やりたいことを数え上げ、「私にも未来はまだまだあるぞ」と言い切る前向きさがいい。もうひとつの「母からの伝言」は、母親の臨終に立ち会った娘が、最後に顔をなで、手を強く握ってくれた母親は何を私に伝えたかったのかを考える。思い出の歌にそのヒントを見出すのだが、もっと具体的なエピソードや思いを書き添えてほしかった。
 奨励賞の「わかり合おうとすること」と「独りと仲間」はともに中学生の作品。友人や仲間たちとの小さないさかいや誤解も、若いからこそ大きな悩みになる。あの頃は、いろいろなことに必死だったなと、年寄りにも昔を思い出させてくれる素直な表現に好感を持った。

金城 毅(きんじょう つよし)

1958年11月8日 糸満市生まれ
沖縄県立糸満高等学校卒 琉球大学教育学部卒
小学校教諭 米須小学校 校長退職 平成31年
糸満市立中央図書館長 現職
「洗骨」第3回沖縄文学賞佳作
「校長室のひみつ」第20回ふくふく童話大賞 
「お父さんからの手紙」 第30回琉球新報児童文学賞佳作
「校長室の秘密」 第16回沖縄文学賞 小説 沖縄県知事賞
「あのころの少年たち」 第17回沖縄文学賞 随筆 沖縄県知事賞
沖縄エッセイスト・クラブ会員 2023年~

 それぞれの思いがこもった作品34点が届いた。良い作品を見落としては行けないとの思いで読み始めた。どれが一番?わからない。初発の感想だ。
まずは、読みづらい作品、ありふれた作品をふるいにかけた。すると、10点ほどの作品が残った。そこからも私の苦闘は続いた。前日に7点に絞って審査会に臨んだ。
二人の選考委員が共通して選んだ作品は2点だった。まずその2点から一席と二席が決まった。一席の「怒りの世界の住人」は反抗期の次男と家族との関わりを母親目線で書いていた。息子を見守る母親の動じない強さ感じながら読み進めることができた。それは息子への信頼でもあろう。二席の「祖父とひ孫をつなぐ唄三線」は母親が息子に託した祖父への思いだった。母親に背中を押されながら唄三線コンクールに挑戦する息子。その成長を見守る母親の様子が目に見えるようだった。
佳作となった「いつか行く道」は長寿の先にある愛犬との別れから自らの今後の生き方を前向きに考えていた。ただ、文章の中に挿入されていた歌が長すぎ頼りすぎている感もあった。「母からの伝言」は亡くなった母への思いが溢れていた。最後の最後に握った母親の手。つなぎたかった手。いつになっても生んでくれた母は母。ただ、身内の死について書くことは当然悲しいことであり誰もが共感してしまう。構成も絶妙で他の題材も書いてほしいと思った。
奨励賞となった中学生の作品「わかり合おうとすること」は随筆というより意見発表会向けの作文のようだったが、友とのかかわり方がよくかけていた。もう一つの奨励賞「独りと仲間」も中学生の作品である。父親とのやりとりを通して変わっていく内面部分がよくかけていた。二点とも同じ学校から応募していた。今後の成長に期待できる作品だった。

詩部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 シヌグ堂バンタと真亀マガミ 田中 直次 うるま市
二席 沖縄県文化芸術振興会理事長賞 反転ハンテン島影シマカゲ 琴森 戀 南城市
佳作 ムーチー 仲里 真哉 浦添市
佳作 芭蕉紙バショウシ 垣花 千恵子 沖縄市
佳作 五一五の朝に 平安名 楽真 那覇市
佳作 一本の松葉 棚原 妙子 那覇市
奨励賞 狭間の先へ 上原 愛音 中城村

〔 選考委員・講評 〕

高良 勉(たから べん)

詩人・批評家。沖縄大学客員教授。
元県立高校教諭。元沖縄県史料編集室主任専門員。
1949年沖縄島南城市玉城生まれ。
日本現代詩人会会員。山之口貘賞選者。
詩集『岬』で第7回山之口貘賞受賞。
1985年沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞。
2012年第46回沖縄タイムス芸術選賞 大賞・文学受賞。
著書に、第7詩集『絶対零度の近く』、第8詩集『ガマ』、第10詩集『群島から』、NHK生活人新書。
『ウチナーグチ(沖縄語)練習帖』、岩波新書『沖縄生活誌』、第4評論集『魂振り―琉球文化・芸術論』、第5評論集『言振り―琉球弧からの詩・文学論』など多数。

感謝です

 私は、今年で二〇二〇年から勤めた選考委員を定年退職する事になった。そこで、最後の選考を楽しく有意義にするため、気合いを入れて臨んだ。
 今年の応募詩数は、三七篇であった。昨年より四篇増えている。これは嬉しいことだ。応募した皆さまへ感謝申し上げたい。毎年、増加傾向にあり、詩部門が発展していることが分かる。
 私の選考方法は変わらない。まず、一巡目は全三七篇を読んで、短いコメントと点数を付ける。今年は、四〇点以上の作品を選んだ。「シヌグ堂バンタと真亀」を始め十篇が残った。
 これらを、さらに二巡、三巡して読み、コメントを加筆しながら、「順位付け」をしていく。そして、まず一席候補と二席候補の作品を選ぶ。次に、佐藤モニカ選者から要望のあったメール交換による協議を重ねていった。今年は、とてもスムーズに意見が一致した。
 第一席の田中直次「シヌグ堂バンタと真亀」は高離島(宮城島)の歴史と現況を、「島は怒っている」と書き出す。この詩は、何よりも島の時間の長く重層的な表現が素晴らしいと思った。まず、「およそ三〇〇年前」の「平敷屋・友寄事件」の結果、高離島に流刑になった「朝敏の妻・真亀」と、その唄った「高離島」を詩う。次に「シヌグ堂跡」(遺跡)の古貝に、「何千年も前の」音を聞く。そして、現代の人々へ「島を削るな」と訴えている。大切な島を削ってどうするかを書き、「高離節」を引用すれば、もっとレベルの高い詩になるだろう。
 第二席、琴森戀 の「反転の島影」は、久高島紀行が詩われている。作者は、何度も久高島を訪問しているだろう。「まず祈りの場」、「カベール浜」、「イシキ浜」、Y字路の「ガジュマルの大樹」等と、久高島の重要な聖地はしっかりと表現されている。ただ、欲張り過ぎて詩が多く長くなり、焦点がボケてしまっている。残念だった。
 佳作は、仲里真哉「ムーチー」、垣花千恵子「芭蕉紙」、平安名楽真「五一五の朝に」、棚原妙子「一本の松葉」に決まった。「ムーチー」は第二席に推せるぐらいのいい詩であった。「芭蕉紙」は、重要な歴史が表現されている。他の二篇には、かけがえのない作者の人生体験が深く描かれている。奨励賞に、大学生の上原愛音「狭間の先へ」が受賞して良かった。応募者の皆さま、関係者の方々、六年間ありがとうございました。

佐藤 モニカ(さとう もにか)

歌人・詩人・小説家
竹柏会「心の花」所属

2010年 「サマータイム」で第21回歌壇賞次席
2011年 「マジックアワー」で第22回歌壇賞受賞
2014年 小説「ミツコさん」で第39回新沖縄文学賞受賞
2015年 小説「カーディガン」で第45回九州芸術祭文学賞最優秀賞受賞
2016年 第50回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞
2017年 詩集『サントス港』で第40回山之口貘賞受賞
2018年 歌集『夏の領域』で第62回現代歌人協会賞および第24回日本歌人クラブ新人賞受賞
2020年 詩集『世界は朝の』で第15回三好達治賞受賞(最年少受賞)
2021年 詩集『一本の樹木のように』で第17回日本詩歌句随筆評論大賞優秀賞受賞
2022年 歌集『白亜紀の風』で第18回日本詩歌句随筆評論大賞優秀賞受賞
現代歌人協会会員・日本歌人クラブ会員・日本現代詩人会会員

 個性あふれる作品群
第21回おきなわ文学賞詩部門、今年の応募作は例年と比べ、内容が幅広く、より充実していた。私が選考委員になってからでは、今回が最も良かったように感じている。応募数については昨年より4篇増え、37篇であったが、応募数と作品の充実度は必ずしも一致していないので(詩部門では特にこの傾向が見られるように思う)、数だけで判断するのは危ういだろう。その点、今年は日頃から詩を味わい、詩を愛していると思われる作者の作品が多く、読んでいてとても楽しかった。作者それぞれの詩の世界を楽しませてもらった。しかし、良い作品が多かった分、選考については悩ましい部分もあった。あと一歩という惜しい作品も多かった。今回惜しくも入選を逃した方も諦めず、来年また挑戦をしていただきたく思う。
 今年の一席は「シヌグ堂バンタと真亀」(田中直次)に決まった。所々、描写が美しく、読んでいる最中から心を惹かれた作品だ。時間と内容の重層性がポイントの詩である。昨年の応募作「恩納岳」にもまた美しい描写があったことが思い出される。
 二席は「反転の島影」(琴森戀)久高島へ向かうフェリーのエンジンオイルが嗅覚に訴えるところから詩がスタートするあたり、実に良いと思った。「大樹は古い聖堂のように静けさを湛えている」に注目した。
佳作は「ムーチー」(仲里真哉)、◯と●で会話を書き分けている。昨年は「島バナナ」で二席。この方は食を通して家族のつながりを描くのが巧い。「芭蕉紙」(垣花千恵子)、読み応えのある詩ではあるが、盛沢山につめこんでしまった印象。芭蕉紙と勝さん、内容を分け、2篇の詩にしても良かったように思う。「五一五の朝に」(平安名楽真)は来し方をふり返る詩。作者のどうしても伝えたいという心が伝わってくる一方で、最終連の作り方が甘くなってしまったのが惜しまれる。「一本の松葉」(棚原妙子)は、植物たちが人間の人生に起きたことを葉に記すという発想がおもしろい。記憶装置としての植物の葉。まさに詩的な発想なのである。奨励賞は「狭間の先へ」(上原愛音)。戦後80年という節目の、鎮魂の詩である。表記の工夫も見られ、良かった。
今回の入賞者の顔ぶれをみると、詩部門ではおなじみの作者ばかりであった(入賞者7名中4名は昨年の入賞者)。それぞれが自身の詩の個性を大切にしながら、腕をあげている印象を持った。
 来年のアドバイスとして、今年もまた、推敲の大切さを述べておきたい。今回惜しくも表記ミスで入賞を逃した作品があった。そのような作品が毎年あるのは非常に残念である。念には念を入れ、作品を見直してほしい。また来年、皆様の作品に出会えるのを楽しみにしている。入賞の皆様、この度はおめでとうございました。なお、選考委員の高良勉先生は今年で選考委員を終えられる。今までありがとうございました。

短歌部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 剥き出しのこころ 前粟藏 舞 浦添市
二席 沖縄県文化芸術振興会理事長賞 十五の春 外田さし うるま市
佳作 なれない 富井 嫉妬 うるま市
佳作 森に 北見 典子 宜野湾市
佳作 戦後八十年 安仁屋 升子 那覇市
奨励賞 友利 月南 沖縄市
奨励賞 志良堂 花音 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

伊波 瞳(いは ひとみ)

1948年 沖縄県本部町に生まれる
1971年 同志社大学卒業
1995年 沖縄県歌人会入会
1996年 第18回琉球歌壇賞受賞
    第2回黄金花エッセイ賞受賞
1999年 歌林の会「かりん」入会
2010年 第12回かりん力作賞受賞
2013年 第1歌集『サラートの声』刊
2014年 第48回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞
2018年 沖縄タイムス「短歌時評」執筆担当中
日本歌人クラブ会

 短歌部門の応募総数は77点、8歳から87歳までの作品があった。連作の中でテーマを育て深める構成の作品が印象に残った。AⅠが短歌を作る時代だが、自分自身の考えや感性にこだわった作品が多くて読み応えがあった。
 一席、前粟蔵舞作の一首目、「真っ白な月桃」は戦争を知らない若者の心の暗喩であろう。二首目、サトウキビの葉が「戦世からの風に泳いで」、三首目、「剥き出しのガマのこころに立ち入れば」と、戦世の時間を引き寄せる。四首目、「この島の傷口包むように」緑は生まれ島を再生する。五首目、「月桃の白さ」に「六月のうた」が反響し、平和を願う思いが増していく。沖縄の現実をストレートな表現にせず、省略と適度な暗示で表現し、テーマを深める連作になっている。
 二席、外田さし作は、離郷と望郷の思いが詠われている。一首目、卒業式の帰りの花束が「泣き笑う」心境に臨場感がある。二首目、感情表現を使わず、島の風景を活写して視覚的に捉えている。三首目は「潮の匂いの門出の言葉」と嗅覚で表現している。四首目、船出の時の「そっと下ろした」に意志の強さが滲む。五首目、旅立ちが故郷を強く認識させる。
 佳作、富井嫉妬作は、沖縄を離れ内地で感じた「なれない」思いがテーマになっている。一首目と二首目には報告文のような粗さがある。三首目、「バックレた奴」や「グループチャット」に若者気分がみられる。四首目の「ため息の湿度」という独自の表現に、沖縄の気候も重なる。五首目、「履きなれない島ぞうり」に同化しえない苛立ちがある。
 佳作、北見典子作は、山原の森の自然詠だ。一首目、イタジイの森の春の命の膨らみを詠う。二首目は沢の流れの水音、三首目は巨木の葉擦れの音のホワイトノイズなど、聴覚で自然を捉えている。四首目の「個に戻りゆく」や五首目の「この身も透かし」には単なる自然の景ではなく、樹や木洩れ陽など自然との対峙によって心が更新されていく。
 佳作、安仁屋升子作は、ダバオでの戦争体験がテーマ。一首目、「戦禍の記憶は裡深く恐怖は消えぬ」と詠っているが、二首目から四首目までの戦禍は感情表現を省略し、淡々と冷静に表現している。幼少の記憶のせいか、極限の恐怖のせいで感覚が麻痺していたのかと気になった。五首目、戦傷を負った父が「唸る」に戦後の苦しみの長さが伝わる。
 奨励賞、13歳の友利月南作は、恋愛映画のセリフのような空想短歌だ。濡れると透明になる花サンカヨウのように、恋する二人の心が濡れると透き通って見える。短歌は架空の物語でも、実体験をベースにしつつ自由に創作してよい。
 奨励賞、9歳の志良堂花音作は、「にじを食べてるみたい」とアイスの味を虹にたとえたり、7階までカブトムシがどうやって来たのかと疑問を詠んでいる。素直な表現がよい。
 今回は夏休みに開催された短歌ワークショップから26作品の応募があった。講師の屋良健一郎さんと佐藤モニカさんのおかげだ。これからも短歌を詠み応募してほしい。県外からの応募もあり嬉しい限りだ。

屋良 健一郎(やら けんいちろう)

1983年沖縄県沖縄市出まれ。
2004年竹柏会「心の花」入会、佐佐木幸綱に師事。
2017年「琉球歌壇」選者に就任。
名桜大学国際学部上級准教授。「心の花」会員、「滸」同人。

ー 後日更新予定 ー

俳句部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 命どぅ宝 比嘉 聖佳 名護市
二席 沖縄県文化芸術振興会理事長賞 建築の景 友利 正 宜野湾市
佳作 ペトリコール おぎ洋子 西原町
佳作 棚原 美知 宜野湾市
佳作 松川 凜花 豊見城市
奨励賞 夏の風景 東江 健太 沖縄市
奨励賞 田場 羽龍 西原町

〔 選考委員・講評 〕

本木 隼人(もとぎ はやと)

結社ウエーブ/ 俳人協会・沖縄県俳句協会所属/若太陽句会代表
第九回〜十三回俳句in沖縄副実行委員長/元俳句甲子園沖縄支部支部長
句集『国際線』『新撰俳句の杜精撰アンソロジーⅠ』
ウエーブ新人賞

2005年 地元沖縄で子供達に俳句を教える活動を始める。
NHKバトル五七五学生俳句チャンピオン決定戦2010優勝
2014年 第10回おきなわ文学賞俳句部門一席

沖縄において、日本において、地球において、文学を志す者にとっての環境は悪化していると言わざるを得ない。

 それはAIによる代理作成問題であったり、内戦や戦争の危機や貧困等の理由であったり、少子化や、ショート動画の隆盛等気軽に楽しめる娯楽の氾濫によってそもそも文学を継承していく人か減少している事が原因だと考える。

 そんな状況で文学賞に応募するのは並大抵の事ではない。先ずはおきなわ文学賞と言う営みに参加して下さった全ての応募者に選考委員として感謝を申し上げたい。

 以下一席〜奨励賞の選評。

 今回一席に選ばれた作品は沖縄県人の持つ強い感情を表現された作品で、選考結果が県内外に向けてのメッセージとなる事を山城初子先生と確認した。

 花ゆうなフェンスに透ける洞窟の黙

 ゆうなの花。どこか陽気な南国の花を感じさせながら、その花弁の底には仄暗い闇が漂っており、それがフェンスの向こう側にある洞窟の奥に今なお解決をしていないであろう強い感情と結び付く時、詩を感じた。

 フェンスと言う隔たる壁を用意する事によって、その向こう側を具体的に想起させる手法が生きている。

 続いて二席。

 大玻璃の嵌め殺す海終戦日

 大玻璃の嵌め殺す海と言う言葉が建築の景と言う題から出て来て、終戦の日と取り合わされている所に表現の妙がある。

 佳作。

 有刺線の空は入り口夏の蝶

 地上では人を通さない棘の鉄線。その空は夏の蝶にとっての入り口になっている。では夏の蝶とは何か、年中見かけるとは言え夏の蝶と言えばオオゴマダラを思い浮かべる。毒を食らって育ち、毒を身に宿して優雅に飛ぶ姿は何を表しているのだろうか。

 佳作。

 旧き名を脱ぎ羽化の日の白ドレス

 旧き名を脱ぐという表現が面白く、羽化と言う事で白ドレスの透明感が虫の翅の様な生々しさを得ている。

 また、全体的に爽やかな印象で五句が整っていた。

 佳作。

 えんぴつの長さを計るかぶと虫

 えんぴつでかぶと虫の長さを計るのではなく、かぶと虫がえんぴつの長さを計る所に俳諧を感じた。何気ない日常も、視点を変えるだけでとても面白く感じられる。他の句も視点の面白さがあり、三句のバランスも整っていた。

 奨励賞。

 夏の陽や風に廃れり停留所

 錆びて独特の雰囲気を持つやんばるのバスの停留所を思い浮かべた。

 奨励賞。

 さんまさんま塩焼きにしてかぶりつく

 ただたださんまを美味しく食べる事を楽しみにしているのがストレートに伝わってきた。

 
 前年に引き続き、受賞作品の詳しい講評は山城先生にお任せして、以下は選から漏れた子供達の名前と作品を列記したい。

 また、字数の許す限り一言評も付す。

 炎天下石垣欠けた熊本城 下里和楓

 韓国で人が踏まれるハロウィーン 新川明斗

 多分何かのニュースを見て作られた作品じゃないだろうか。なぜ韓国なのか分からないが、コミカルな面白さがある。

 夏の空車についたとりのふん 酒井咲花

 風薫る白い時計がきざむ音 呉我碧海

 夏の夜矢をうってくるスケルトン 屋嘉大和

 遅くまで長らくゲームをしていると、やめた後にもゲームの効果音が聞こえる事がある。矢が刺さる音は前から聞こえたのか、後ろから聞こえたのか。スケルトンとは何者なのか。

 なつのそらまえのつくえに白いかみ すずきかいと

 夏の空葉の間をも美しく 吉岡美晴

 ロッカーにうわばきぶくろ夏のそら 花城琴子

 夏の空しまつたまどのよごれかな 宮沢明希

 夏の空かべについてるスピーカー 神山真耶

 4こうじあと3分の夏の空 かじわらたいよう

 黒くても暑さにたえるアグー豚 豊濱翔

 災天下すいかの皮にありのむれ 前原美玲

 もしかして炎天下であったのだろうか。しかし、ここは災天下とする事で季重なりを避けていて、句に奥行きが出ている。

 熱帯夜心臓叩く太鼓の音 土屋

 秒針と重なるペンの夏休み 砂川未空

 恋人と手を繋ぎたい真冬の夜 与儀和奏

山城 発子(やましろ はつこ)

平成13年度 那覇市世界遺産登録記念事業
      那覇市世界遺産 俳句・短歌・琉歌大賞 全国コンテスト 特選受賞
第7回 「おきなわ文学賞」(2011年)随筆部門 一席
第15回 沖縄市文化の窓エッセイ賞(2012年) 佳作
第11回 「おきなわ文学賞」(2015年)俳句部門 一席
沖縄タイムス「俳句時評」執筆担当中

今年の応募作品数は184で、昨年を上回った。学校単位の応募もあった。小学生から80歳代までの、幅広い年齢層から作品が寄せられた。「おきなわ文学賞普及啓発事業」の「俳句講師派遣事業」からも多くの参加があったのは成果である。
 毎回選考は、作者名を伏せた作品から審査員が各々推薦し、その後に慎重に合議するかたちで行う。今回は一席、二席に各一人、佳作三人、学生以下を対象とした奨励賞に二人を決定した。以下、各作品評である。

一席  比嘉聖佳
 命どぅ宝
《アマミキヨ「命どぅ宝」の初茜》中七の「命どぅ宝」が問題になった。標語やスローガン、4字熟語等は一般的に句表現には用いない方がよい。しかし、そのいわば禁じ手を十七音の中に収めたところに切羽詰まった作者の思いがあるとみた。21世紀の地上が戦争の世紀の様相を呈しているのを誰も止めることができない。沖縄の黄金言葉「命どぅ宝」はどこにいったのか、と。それが腑に落ちてくる。アマミキヨは琉球開闢の祖。唐突感は否めなくもないが、時を超えて国を越えて、島の源流から「命どぅ宝」が祈りの言葉となって響いていってほしい。そんな願いがある。ガザの惨状、ウクライナ等世界の多くの子どもや人々の苦しみに向けた作者の心の痛みと深い共感がある。「命どぅ宝」は人類の原点ではなかったのか、と問う。
《花ゆうなフェンスに透ける洞窟の黙》島にある無数の洞窟では、沖縄戦時、人々が弾の雨を避けてしのいでいた。しかしそこでは日本兵に追い出されたり、集団自決が起こったり、多くの惨劇があった。「洞窟の黙」とは、むしろ語り続ける無数の洞窟の声である。基地を囲うフェンスも洞窟を覆ったり、その声を遮断することはできないのだと作者はいう。
《炎天の方程式や辺野古基地》反対する民意も、人々の抵抗の声もまるで及ばない。方程式のように事が運ばれ、海が埋め立てられていく辺野古基地建設の現状を表現した。「炎天の」が厳しさを表す。しかし海底の軟弱地盤はどうなのか。その方程式に、破綻がないとはいえないはずと、そうも聞こえる。
《軍配昼顔島を縁取る戦の胤》南西諸島の島々が防衛強化の名のもとに様々な配備がなされていく現状がある。それは逆に、戦争に巻き込まれる種を播いているのではと憂うのだ。句はそのまま暗喩となっている。
《義戦の名のエスカレーション鷹渡る》「鷹渡る」の季語が生きている。
 「命どぅ宝」をテーマに横軸縦軸と現実を詠う。射程の大きさを感じた。
 同作者の「AIの急行」には地球未来や人類への不安が詠われていた。
二席  友利 正
建築の景
《解体が戦場になる溽暑かな》蒸し暑い真夏の解体作業の現場は資材や瓦礫が散乱し、まるで戦場のようではないかという。停戦後の今もイスラエルの攻撃に街が破壊され続けるガザや、そしてウクライナ、その映像が脳裡に大写しで重なる。
《啓蟄や基礎に匍匐の不発弾》建築現場の基礎工事の際に、先の戦争時の不発弾が現れることは沖縄では不思議ではない。「匍匐の」とはその不発弾を擬人的に捉えた絶妙な表現。不気味な印象がより増してくる。
《ミサイルを据ゑて門松 跡の黙》沖縄の現実への辛辣な批評がある。国によって防衛強化をかざし、離島や本島に配備されるミサイル。地元の不安をよそにした国策への疑問がある。「門松」は直喩。強い問いかけがある。「門松でもあるまいに」というのだろう。下句の「跡の黙」は警告である。
《大玻璃の嵌め殺す海終戦日》「嵌め殺しの窓」とは開け閉めできない窓だが、ここでは「海」。大きなガラス窓の向こうの捕らわれた海というのだろうか。「終戦日」の季語が置かれているのは海が見まわれてきた戦の災難や不幸を含み、そのような過去が蘇らないことを念じるのである。
《有事とや新居の海に霧深し》海が鍵だ。深まる霧は暗喩。「新居の海」は晴れてほしい。有事など起こらぬように。
 「建築」をテーマに沖縄の現実を詠った五句は独特の味わいがあった。
 母親の死をテーマにした同作者の「寒紅」も、哀感に満ちて心に沁みる作品群であった。 
佳作  おぎ洋子
ペトリコール
《片降いやユタ半分の話聞く》句の面白さは「片降い」と「ユタ半分」を呼応させているところ。ユタの話を何か本気で聞くことができない作者が、半信半疑の顔を覗かせている。
《有刺鉄線の空は入り口夏の蝶》日常のこちらとあちらの基地を隔てている有刺鉄線の上は大空、全ての入り口。炎天をいとも簡単に蝶は越える。
《かつてコザ恋文通り亀鳴けり》特飲街もあった町を「恋文通り」と表現する。本気の恋もそうでない恋もあったであろうと。「亀鳴けり」の季語が生きている。
《すべりひゆペトリコールに包まれる》タイトルになっている「ペトリコール」は雨が降った時に、地面から上がってくる匂いを指す言葉という。すべりひゆは夏から秋にかけての雑草。評者も子どもの頃その和え物を食した。美味の記憶が残る。すべりひゆは地面を這う様に生えており、当然ペトリコールを浴びて育つのだ。ひらがなカタカナの表記の印象も含め、優しい響きの中に強さを感じる。すべりひゆの在りように寄せる作者の想いを想像する。
佳作 棚原美知
《蝉時雨しとどしみ入る碑に柵に》
《旧き名を脱ぎ羽化の日の白ドレス》
《夏空の青抜け殻の仰ぐ色》
《ポケットの戦果は石とセミの殻》
《蝉の声止み枝鳴らす風ひとつ》
 タイトルはないが、五句を読むと一つのテーマが見えてくる。詠われているのは蝉である。まとまった句群に不思議な可憐さと巧みさがある。「旧き名を脱ぎ」の句は、婚礼を讃えた表現のさりげなさが読む人の心に残る。新しい世界に踏みだす日を「羽化の日」と表現した句またがりの作品。「夏空の」も句またがり。空蝉の視線に託して詠んだ形が新鮮であった。「蝉の声」も句またがり。十七音の俳句形式をたっぷりと駆使した印象の、衒いのない句世界が魅力的だ。
佳作 松川凛花
《目の前の大きな空やすいかわり》くらくらするほどの広い空と小さなスイカの対比。大きな世界を前にしっかり目標を定める。
《日やけしてえんぴつを持ち学ぶこと》空の下でたくさん遊んで、その日やけした顔で今度は集中して勉強に向かう。きりりとした表情を思い浮かべる。
《えんぴつの長さを計るかぶと虫》勉強を少し休んで、机の上に置いた鉛筆に目をやると、かぶと虫がもっそりと動いている。まるで鉛筆の長さを計っているようなのである。思わず見とれてしまう。
 三句の世界がそれぞれ独立しながらつながっているのが楽しい。作者は十歳。小学生である。
奨励賞 東江健太
 夏の風景
《廃商店洩るる自販機ソーダ水》
《夜の浜友とたぐりし古モンペ》
《夏の陽や風に廃れり停留所》

 「廃商店」の壊れた自販機、「夏の陽や」の句のさび付いた停留所の標識が、ある田舎の夏の風景を醸し出す。後者は「風に廃れり」の表現が効果的。「夜の浜」の句の「友とたぐりし古モンペ」にドラマ性がある。句材のモンペが想像をかき立てる。夜の海辺に打ちあげられた古いモンペを前に友と二人でいると、突如時が遡るかのように、かの沖縄戦時の女子学徒のモンペ姿に思い至る。そのようなシーンをも想像させ、余韻が残る作品。作者は高校生。
奨励賞 田場羽龍
《猫じゃらし風に揺られて道の端》
《さんまさんま塩焼きにしてかぶりつく》
《流れ星きらりきらりともうひとつ》
《虫の声月にしみいる庭の闇》

 「さんまさんま」「きらりきらりと」の表現が楽しい。俳句の言葉が自然なリズムを作りだすことに作者は気が付いたはずである。「虫の声」の句は下五「庭の闇」で世界が広がった。作者は十一歳。さらに俳句の世界に踏みだしてほしい。

幾つも力作があった。審査員の議論の中では「子ども部門」の設置はどうかなどの投げかけもあった。沖縄ならではの、時事的な句材の陥りがちな点についての問題も話しあった。今回した入賞した作品や惜しくも外れた作品にも、今の沖縄や日本、世界の危機的な厳しい状況が映し出されていた。俳句はこの現実のどんなことも詠われるべきであるということをベースにしながら、より詩的な句世界が創造されるよう期待する。俳句が芸術として、文学として世に発信する力を持つ事を確認すると同時に、人々の生きる力を支える表現でもあり続けることを確信した。

琉歌部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 旅路タビジこころグクル 前原 武光 うるま市
二席 沖縄県文化芸術振興会理事長賞 母親ファファウヤ思いウムイ 宮城 里子 名護市
佳作 ※順不同 平和への道 長嶺 八重子 読谷村
佳作 島袋 浩大 那覇市
佳作 シマ友達ドシグヮ 島田 貞子 浦添市
佳作 小渡 陽禧 那覇市
佳作 宝口タカラグチ樋川ヒィージャー 垣花 千恵子 沖縄市

〔 選考委員・講評 〕

波照間 永吉(はてるま えいきち)

琉球大学法文学部国語国文学科卒業。沖縄県立芸術大学付属研究所所長を経て、現在名桜大学大学院特任教授。
琉球文学・文化学を専門分野として、琉球弧の祭祀や文学に関する論文を多数著す。
鎌倉芳太郎資料集の編纂で知られ、著書に『琉球の歴史と文学―おもろさうしの世界―』などがある。

 今回は19人の作者から87首の応募があった。昨年は18人の応募であったから一人だけ増えた。琉歌への応募は相変わらず低調であるが、これが琉歌熱の低下によるものでないことは、県内紙の琉歌投稿欄や他の琉歌賞への応募の数の多さから明らかである。「おきなわ文学賞・琉歌賞」のハードルが高いのであろうか。
さて、今回の第1席に選ばれたのは昨年に続いて前原武光さんの作品であった。「旅路たびじこころぐくる」5首による応募である。前原さんの視線は「旅路」を行くのは人間だけではないことを捉えている。第2首目の「満月の夜のまんじちぬゆるぬ 波に花咲なみにはなさかち サンゴ旅立ちのさんぐたびだちぬ 命の真玉ぬちぬまだま」で、サンゴの命の旅立ちを歌い、5首目では「あれよ見れありゆみりあがた 世果報しにくゆるゆがふしゆにくゆる 弥勒神渡みるくがみわたる 虹の御橋ぬーじぬみはし」では神の巡行の旅を歌う。まったく安定した歌作で、想像力豊かな作品群と評価した。第2席は宮城里子さんの「母親の思い」5首を撰んだ。戦争で命を失った我が子の短い人生を悼む歌である。その我が子の誕生から死、一人残された母親の悲しみが、映画でもみるように歌われていて、哀切である。第1首目の「玉なしよる生し子たまなしゆるなしぐぁ 喜びの夫婦ゆるくびぬみうとぅ 記念木きねんぶくつつじ 守りと思てまむりとぅむてぃ」で息子の誕生を祝うが、そのツツジの朱い色は、日の丸(赤)による出征、そして赤く炸裂する砲弾の色・血の色に繋がっていく。そして第3首で「戦世も終わていくさゆんうわてぃ 生し子なしぐゎあて無いさめねさみ つつじ赤赤とあかあかとぅ 咲くさくかなし」で、ツツジの赤にそまって斃れた息子を思わせる。第4首・5首目は、一転してツツジの朱から離れ、母親の心中を描いて、朱とは対照的な薄墨色の世界に転回していく。歌の世界に引き込まれる構成である。
 佳作には垣花千恵子さん、島田貞子さん、長嶺八重子さん、島袋浩大さん、小渡陽禧さんの5名の方々の作品が選ばれた。島田さん・長嶺さん・島袋さんは昨年に続いての佳作受賞である。垣花さんの作品は第1首目に「宝口樋川に 糸芭蕉ばさけー晒すりば 昔紙漉人んかしかびしちやのみ声聞くいちちゅさ」と置いて、首里の宝口樋川での紙漉という仕事に光をあてる一連5首である。着想の良さを評価した。島田さんの作品は第1首目「いちやてうりしさや 生まり島友達 玉ぬ盃に 情交わち」に見るように、故郷での友垣との出会いを歌う。多くの人が詠むテーマだろうが、きずのない詠みぶりを評価した。長嶺さんの作品は「平和への道」と題された5首であったが、3首目の「島ぬあがたから 太陽てぃだぶゆしが 夏ぐりぬ雨や 我肝濡わちむぬらち」が特に良かった。下句は常套的ではあるが、上句との対比で「平和の礎」など、沖縄戦のいくさば戦場の跡での慰霊の時間が想像される。島袋さんは今回は仲風1首、長歌1首、短歌1首で応募した。1首目の「昔いみたるんかしいみたる 志情けのしなさきぬ 何よで今時分ぬゆでぃなまじぶん 掛けて呉よがかきてぃくぃゆが」で、応募作品に題名はなかったが、相聞がテーマであることは明らかである。長歌の第2・3句目の「帚木の如くははきぎぬぐとぅに 寄せれても見らぬゆしりてぃんみらん」は作者の教養を感じさせる。小渡さんの作品は人の道を説く歌3首である。第1首目は「人に生ふぃとぅにんまりたる しやわしなくとぅや うやがなさうむてぃ はなかさ」である。この歌に見るように、三首とも平易で、当たり前のことを詠んでいるようであるが、形式の踏み外しもなく、人生を大きなものに守られながら生きている人らしい大らかさが感じられ、佳作とした。

前城 淳子(まえしろ じゅんこ)

1971年 南城市知念生まれ。琉球大学人文社会学部准教授(琉球文学)。
1999年 琉球大学大学院人文社会科学研究科修了。
共編に『国立台湾大学図書館典藏琉歌大観』(国立台湾大学図書館)、『近代琉歌の基礎的研究』(勉誠出版)。

今年の琉歌部門の応募総数は十九作品であった。
一席には前原武光氏の「旅路こころ」と題した5首の連作が選ばれた。人生は旅のようなものとは使い古された表現ではあるが、旅立ちを波に花を咲かせているサンゴの産卵で表現し、人生の行く先を照らすものは綺羅星のような「いろは琉歌」とするなど、琉歌らしさが感じられた。旅の一瞬一瞬が美しい風景で彩られ、時に波は立つけれど、全体として穏やかな旅が表現されている。「満月」や「綺羅」など琉歌には馴染まない語が用いられているが、それが大きな欠点とならないのは、全体の構成や歌のリズムが良いためであろう。選考委員二人一致して一席に選出した。
二席は宮城里子氏の「母親の思い」と題した作品である。我が子の幸福を願って植えた躑躅が、国のためにと旅立った子を思い、戦争が終わっても帰ってこない子思う悲しみの花となってしまう。母の思いが赤赤と咲く躑躅によって強く印象付けられる作品であった。
佳作には5作品が選ばれた。
垣花千恵子氏の作品は「宝口樋川」を詠んだ作品である。宝口樋川の水やそこに吹く風、太陽などの恩恵に感謝し、そこから生まれる紙漉きを受け継ぐ思いを表現している。これまで取り上げられることのないテーマに取り組んだところも評価された。
島田貞子氏の「島ぬ友達」は生まれ島の友人達と再会し、酒を酌み交わして語り合うさまが詠まれている。2首目の月が照っているさま、友達が集まっているさまを「美らさ」、島酒が「美味さ」と繰り返したことで軽快なリズムを生んでいる。
長嶺八重子氏の「平和への道」では、戦後八十年を経ても変わらぬ悲しみや平和への思いが「対馬丸」「礎」「カンカラ三線」などで表現されていた。
島袋浩大氏の作品は、昔恋焦がれた相手から思いがけなく「情け」をかけられた戸惑いを3首連作で描いている。仲風、長歌、短歌と詩形を変えた意欲作だが、二首目の「見らぬ」を繰り返した部分など、もう少し工夫が欲しかった。
小渡陽禧氏の作品は、人として大事なことは、親や周囲の人に対して愛情をもって接することだという思いを3首の琉歌に詠んだものである。教訓歌は琉歌でも繰り返し歌われてきたものであり、改めて大切にしていきたいと感じさせられた。

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