入選一覧・講評

CHOSEN

公益財団法人沖縄県文化振興会が主催する「第19回おきなわ文学賞」において、全6部門合計198作品の応募の中から、40作品34名の受賞者が決定しました。
一席4名、二席6名、佳作27名、奨励賞3名です(うち5名は2部門で受賞)。
たくさんのご応募、ありがとうございました。

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小説部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 その手に掴んでいたものは 與那嶺 明文 宜野湾市
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 ユニオンは銀河の隅できらめいて 円井 定規 東京都
佳作 ※順不同 海と人形 照喜名 一 那覇市
佳作 人魚姫の唄 夏蓮 名護市
佳作 戦争いやだの花 仲村渠 ハツ 宜野湾市
佳作 夢幻 糸数 晃 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

大城 貞俊(おおしろ さだとし)

1949年沖縄県大宜味村生まれ。
元琉球大学教授、詩人、作家。
受賞歴に沖縄タイムス芸術選奨(評論)奨励賞、具志川市文学賞、沖縄市戯曲大賞、文の京文芸賞、九州芸術祭文学賞佳作、山之口貘賞、沖縄タイムス芸術選奨(小説)大賞、やまなし文学賞佳作、さきがけ文学賞など。

インパクトの強いメッセージ

 第一席の「その手に掴んでいたものは」(與那嶺明文)は、コンビニに入った強盗を小学生のころの友人だと思った「僕」の高慢さや誤解に対する嫌悪感を描いた作品だ。安定した文章で、僕の心理描写がとてもいい。インパクトの強いメッセージがある。「他人の不幸をお守りにする」「善性を掌の中で弄んで安堵していた」僕の後悔は、平凡な日常を小説にする力がある。用意周到に巡らされた伏線も、新鮮な比喩にも言葉の力を感じた。
 第二席の「ユニオンは銀河の隅できらめいて」(円井定規)は、大学に入学したばかりの女性と、卒業して就職を間近にした女性の心情や交流を描いた作品だ。モラトリアム期の若い女性たちの不安や希望を描いた作品だろう。ユニオンをキーワードにしたところに新鮮な発想があり登場人物の印象を強くした。
 佳作には4作品が選ばれた。「海と人形」は二人の刑事の犯人捜しの物語で、手の込んだ殺人事件と、編み出したトリックは魅力的だった。沖縄文学に刑事小説とでもいうべき新しい分野を開拓する予感さえ抱いた。「人魚姫の唄」は大学のサークルでオカルト研究部に属している「僕」が島に渡り、人魚の言い伝えについて調べた日々の顛末を描いた作品だ。次々に登場する人物は個性的で、またよく整理されている。人魚伝説は平板だが、最後の仕掛けに工夫があり、余韻のある作品になった。
 「戦争いやだの花」も書かずにはいられない作者の姿勢が感じられた。心の中に「ボサツさん」を住まわせて戦争についての論議を交わす発想はユニークだ。穏やかな風刺や鋭い批判が随所に見られ好感を覚えた。「夢幻」は「真吾」の自分探しの物語。非常勤教員をやめた真吾が再び教職への道を志す物語だ。作者は筆力があるだけに筆が滑りすぎたのではないか。僕の切迫感、切実感を伝える力が弱くなったところが悔やまれた。
 今回の応募作品は28編。入賞作品のみの所感を述べたが、全体として辞書を引く習慣や推敲すればすぐに訂正できる表記や表現のミスの多さは気になった。応募者諸氏へ敬意を表したい。

仲原 りつ子(なかはら りつこ)

那覇市生まれ、那覇高校、名古屋瑞穂短期大学を卒業後、栄養士として、務めつつ、保育士の資格をとり、自ら保育園を設立。保育事業に携わる一方、創作活動も行う。第10回琉球新報短編小説賞「イヤリング」佳作、第15回九州芸術祭文学賞「束の間の夏」地区優秀作、そのほか、新聞や業界誌などでコラム、エッセイ等を執筆。沖縄エッセイストクラブ会員。「亜熱帯」同人。
社会福祉法人あおぞら福祉会あおぞら保育園理事長兼園長。

佳作「戦争いやだの花」
「寂しい足悪女」と自称する73歳の主人公は、彼女のどこかに住んでいる、人間かもしれない霊かもしれない神様かもしれない「ボサツさん」と対話をしながら生きている。ある日、「ひめゆり学徒たちの足跡をたどる」バスツアーに参加するが、そこには主人公の「戦争反対」が全く通用しない女性も参加していた。そして二人はどこまでも歩み寄れない。その女性のおばあさんの言葉「今から来る戦争に反対しないで、何のために生き残ったかって、死んだ妹に申し訳がたたんさ」が心にしみる。「戦争はいやだ」という強い思いが直球で潔く書かれている。「ボサツさん」の設定も主人公の性格や考えを表す方法として面白い。
佳作「夢幻」
主人公は、5年間なんとなく非常勤職教員をしていたが、授業中に騒ぎをおこし任期半ばで退職となる。その後、映画が縁で知り合ったリュウジや、久々に帰省した沖縄で、祖父やビーグ農家の春男に出会い、自分が中途半端に仕事に向き合っていたことに気づき、再び教職に戻る決意をする。生徒に何を教えたいのか、自分が何をしたかったのかが見つかったのだ。 ラストは主人公が希望に溢れ爽やかな作品になっている。
佳作「海と人形」
老夫婦と少女、2件の殺人事件を追う屋慶名刑事と我喜屋刑事のやり取りが軽妙である。
作者は昨年「小説琉球侵攻」で佳作を受賞、今年は全くジャンルが違う刑事ドラマでの応募
とかなり筆力がある。が、今回はなにも少女を殺さなくても良かったのではと思った。しかも少女は亡くなった最愛の妹にそっくりなのである。両刑事の事件解決への経過はテンポ良く書けているが、あわせてアメリカ人形や古いおもちゃのピアノをいかして犯人の悲しみを丁寧に書けば、もっと奥の深い作品になった。
佳作「人魚姫の唄」
人魚姫の伝説を追うストーリーが破綻なく書けている。伝説が出来上がるのは案外そんなものかもしれないと思わせる。伝説の元になったカメさんの人生がもうひと彫り深く書けていたらもっと良くなった。惜しい。
ほかに印象に残った作品として
「寄る辺」

視点が一定してない(前半は就労支援者の視点、途中で啓次の視点)が、「俺、初めての自分の給料で、妹のランドセルを買った」。繰り返し出てくるこのフレーズが啓次の人柄を良く表している。どんなにあがいてもどうにもならず転落していくしかない人生。映画「私はダニエル・ブレイク」を思い出した。
「パラレル~未来の記憶~」
モラハラ夫とのやりとりは緊迫感がある。主人公のおいたちを自己分析しているが、それとモラハラとのつながりが説得性に欠ける。後半の「私が選ばなかったもう一つの人生」は、絵空事になり過ぎて、前半とは全くトーンが違ってしまった。

 今年の応募作品は昨年と同じく28篇。一次選考で8作品、二次選考で10作品、あわせて18作品を読ませてもらった。15歳から79歳までの年齢幅があるので、どの作品もその世代でないと書けない世界があり、楽しく読ませてもらった。コロナも落ち着きを見せ、世の中の動きが活発になったせいか、応募作品が少ないのが残念である。おきなわ文学賞受賞者は受賞を弾みにその後もおおいに活躍している。ぜひ書き続け、夢を実現してもらいたい。

村上 陽子(むらかみ ようこ)

1981年広島県三原市生まれ。沖縄国際大学教授(沖縄・日本近現代文学)。
2000年~2008年まで琉球大学および琉球大学大学院で学ぶ。東京大学大学院博士課程を経て2016年に沖縄国際大学総合文化学部に着任。
著書に『出来事の残響ー原爆文学と沖縄文学』(インパクト出版会)。

 本年度は一席、二席に加え、佳作として四作品が入賞した。選考委員の評価が分かれたこともあり、激論の末での決定であった。こうした場合、選考時に各作品が持つ優れた点、そうではない点が詳らかに語られることとなる。作品のいかなるところに注目し、評価するかが三者三様で、学びの多い選考会であった。
 一席に選ばれた「その手に掴んでいたものは」は、コンビニのバイト中に強盗に遭遇した主人公が、その強盗を小学生時代の同級生と間違え、過去を想起する場面から始まる。厳しい家庭環境にあった友人が、大人になって強盗したとしてもおかしくない、という主人公の思いは、最終的には裏切られていく。主人公が自身の内部のどす黒さをひきだされていくような物語である。前半でセミ取りや夏の陽ざしといった少年時代の記憶が鮮やかに描かれることで、後半の暗さが引き立っている。磨き上げられた文章表現や構成の巧みさに支えられ、そうしたコントラストの妙味が生み出されていた。
 二席に選ばれた「ユニオンは銀河の隅できらめいて」は、私自身が高く評価した作品である。運転免許取得のための合宿、電照菊、24時間営業のスーパー・ユニオンといった、沖縄らしい、けれどもありきたりではないモチーフが上手く使われており、生きにくさを抱える若い女性たちの連帯と逃走の物語となっていた。合宿仲間とうまく関係を持てず、中年の男性教官から嫌がらせを受ける女性たちが若い女性教官を巻き込み、合宿所から車を盗んで逃避していく。彼女たちが夜の中で光を放つユニオンに飛び込んでいく瞬間はまさに「きらめいて」いる。光の中にいられる時間は短い。しかし、その後の生を支える体験の一つとして彼女たちの中で息づいていくことだろう。
 佳作には、「海と人形」、「人魚姫の唄」、「戦争いやだの花」、「夢幻」の四作が選ばれた。
 まず、「海と人形」は沖縄を舞台としたミステリーとして秀逸であるということで一名の委員から強い推薦があった。本賞の規定枚数に収めるためか、細部が刈り込まれた印象も受けたが、新たなジャンルが切り拓かれる期待が高まる。
 「人魚姫の唄」は、うまくまとめられた作品ではあったが、カナおばあの造型にもう少し深みが必要だという意見が集まった。また、カナおばあの使う言葉や島に伝わる唄については、主人公が聞き取った「言葉の訛り」を反映させるべきではなかっただろうか。
 「戦争いやだの花」の作者は、本賞に毎年意欲的な作品を寄せてくれる。選考委員としても常に心を揺さぶられるが、表記の不統一や誤字はあまりに多い。溢れ出てくる言葉や疑問をそのまま吐き出すのではなく、小説として練り上げることへの意識があるとさらに良くなるのではと思う。
 「夢幻」は、ビーグ(い草)の香り漂う爽やかな作品である。しかし、主人公自身が抱えている問題と、ビーグ栽培を営む島のおじい、おばあとの関わりが取って付けたように思えるところもある。そういう意味では、この主人公の足場の定まらなさが、作品自体の弱さにまでつながってしまったように思えた。
 以上、本年度の受賞作について振り返ってみた。立場や読み方の異なる選考委員が、最終的に「これならば」ということで選び出した秀作である。受賞者が今後も豊かな作品を世に問うてくれることを、心から願っている。

随筆部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 幼なじみの貴子 比嘉 恵子 八重瀬町
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 娘とトランペット 石原 絹子 西原町
佳作 リトルナイスデイ いなみ しお子 読谷村
佳作 ばあちゃん合唱団の旅 上間 さちよ 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

長嶺 哲成(ながみね てつなり)

1962年生まれ。週刊レキオ、季刊「カラカラ」、「おきなわ食べる通信」などの編集長を務めたのち、現在は泡盛居酒屋店主。琉球泡盛倶楽部会長。
琉球新報紙「落ち穂」執筆中(2023年7月〜12月)。

 1席の「幼なじみの貴子」は、ぼくにとって43作品の中で抜きん出た秀作だった。高校卒業直後に家庭を持ち、就職して頑張るどこにでもいそうな「貴子」。けれど、このフツーのおばさんがすごい。長年務めていた仕事をやめて50代で介護の仕事に転職。忙しい合間をぬって水泳を始め、ヨガにはまってインストラクターを目指す。その一方で介護福祉士の資格をとって64歳で老人ホームに本採用される。いくつになってもやりたいことを見つけ、そこに生きがいを見出すポジティブな「貴子」の魅力を、話し言葉に近い分かりやすい文章で明るく描いている。幼馴染を誇らしく思い、刺激を受け、「自分もいつかは」と前向きな気持ちになる著者の気持ちもよく表現されていると思う。
 2席の「娘とトランペット」もいい作品だった。プロのトランペッターを目指す娘は、東京の音大に進み、卒業後はヨーロッパへの短期研修生にも選ばれた逸材。しかし、国内のプロ養成所に進んで半年後に「もう続けられない」と娘は家族に告げる。家庭の経済事情が許す限り高い夢をみ続ける娘を献身的に支え、その挫折にもただただ寄り添っていく母親の姿が描かれている。惜しむらくは、母親の心情をもう少し具体的に感じさせる表現があれば、もっと共感を呼ぶ文章になったのではないかと思う。
 佳作の「リトルナイスデイ」は、中学校に入学した長男が中間テストで学年席次10番以内という目標を達成し、そのお祝いに家族で居酒屋に行くという話。どこにでもあるエピソードを面白くしているのは、家族の感情のやりとりだ。皆勤賞を目指していた長男が入学後まもなくウイルスに感染して目標を断念したとき、「人間なんだ、風邪くらいひくさ」と慰める小学校4年生の次男の訳知り顔、席次10番以内を知った家族が拍手喝采で大喜びしたりする場面などはその光景が目に浮かぶようだった。
 もう一つの佳作「ばあちゃん合唱団の旅」は、入団資格が80歳以上という「小浜島ばあちゃん合唱団」の大阪・東京公演に帯同した著者の随筆。貸し切りバスの中で歌い出したり、宴会で飛び出すさまざまな余興の話を膨らませたりして、老いてなお場を楽しむ天才たちに感動する作者の気持ちをもっと表現すれば、単なる同行記ではない本格的な随筆になったのではないか。
 他の作品は、体験談や史実の解説から抜け出せていないものが散見された。それが悪いのではないが、さらに一歩進んで、作者が何に感動し、何を表現したいかが読者にきちんと伝わるようブラッシュアップしてほしい。

南 ふう(みなみ ふう)

1954年那覇市に生まれる。沖縄県立那覇高等学校(27期)卒業、九州芸術工科大学(7期)環境設計学科卒業。設計業務とグラフィックデザイン等を経て趣味で執筆を始める。2003年「第1回祭り街道文学大賞」にて『女人囃子がきこえる』で大賞受賞。2010年「第19回ふくふく童話大賞」にて「クモッチの巣」で大賞受賞。著書に『花水木~四姉妹の影を追って~』、『ファイナルジェネレーション~記憶と記録の復帰前~』など。現在は市井の人々のオーラルヒストリーを聴き取り、個人史として残す仕事に取り組む。
2004年より沖縄エッセイスト・クラブ会員。
2020年10月より同クラブ編集委員長。

 いきなり辛口で恐縮だが、今回は残念ながらキラリと光る作品が少なかった。扱っている素材やテーマにはとても感動的なものもあるのに、力不足。ほんの一例だが、褒めて伸ばそうとしているのに「褒め殺す」とか、ベトナム戦争時代に米兵は刺激の強い音楽を求めていたはずなのに「癒しの音楽を求めた」とか言葉の意味や状況の誤認も見られた。10点満点で点数を付けるなら、7点未満の作品がズラリ。テーマはいいのに、惜しい!
 したがって選考委員が選んだ作品がほとんど被らず、一致したのは1作品だけだった。一席・二席は大きく割れ、最終的には長嶺委員のご意見を尊重した。私が選んでいたのはよくあるテーマで、共感する部分があって選んでいたのだが、そこから頭一つ抜け出すにはさらに何かが必要だということ。介護、台風時の停電、祖父母の最期……ありがちなテーマをどう描き、昇華させるか。
 一席「幼なじみの貴子」は、高校卒業後別々の道へと進んだ友人のことを書いている。進学した作者は、高卒ですぐ結婚して家庭に埋没した友人に同情の目を向けていた。が、五十代になって再会した貴子のバイタリティーに圧倒される。作者は、友人のように常に何かに挑戦する姿に触発され、それは私たちにも元気を与えてくれる。「介護」のテーマを含みながらも、さらにその先へと進む手本ともいえよう。
 二席「娘とトランペット」は、トランペット奏者を目指した娘の努力と挫折を描く。二十数年経って、いつの日がまた娘がトランペットを吹くようになるかもという余韻が、心に響く。
 佳作の「リトルナイスデイ」は、コロナ禍のささやかな幸せ、長男の奮闘と次男の応援の話。私自身は、なぜ長男を長男と書いて次男をすべて弟と書くのかが気になったが、それを不問にする勢いがあったということだろう。「ばあちゃん合唱団の旅」は、11年前の出来事を今なぜ書こうと思ったのか動機が不明なため、鮮度が落ちてしまった。
 さて、中には随筆というより、短編小説、報告書、映画評論といった方がいいような作品も少なくなかった。新聞報道などで知られている事実がほとんどで、作者の思いや実体験は全体の1/5しかないものもあった。
 繰り返しになるが、素材は感動的なのに、もったいない作品が多い。主語がなくて相関関係が描きにくかったり、筆力、構成力、語彙力、表現力などが不足している。来年に期待したい。

詩部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 海の彼方へ 高柴 三聞 浦添市
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 私のショッピングコース 金城 糸海 西原町
佳作 太陽所ティンダンドゥグルを探して 外田 さし 西原町
佳作 最後のブルース 田中 直次 うるま市
佳作 母の背 金城 藤子 西原町
佳作 心の吃音 琴森 戀 南城市
佳作 「シュウシン・カネイリ」という名の女 あさとよしや 那覇市
佳作 聴香 秋雨 一也 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

高良 勉(たから べん)

詩人・批評家。沖縄大学客員教授。
元県立高校教諭。元沖縄県史料編集室主任専門員。
1949年沖縄島南城市玉城生まれ。
日本現代詩人会会員。日本詩人クラブ会員。
詩集『岬』で第7回山之口貘賞受賞。
1985年沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞。
2012年第46回沖縄タイムス芸術選賞 大賞・文学受賞。
著書に、第7詩集『絶対零度の近く』、第8詩集『ガマ』、第10詩集『群島から』、NHK生活人新書。
『ウチナーグチ(沖縄語)練習帖』、岩波新書『沖縄生活誌』、第4評論集『魂振り―琉球文化・芸術論』、第5評論集『言振り―琉球弧からの詩・文学論』など多数。

個性の多様化

 今年の詩部門は、テーマと言い、詩語や表現技術等で、個性の多様化という事が、強く印象に残った。
 応募総数は、三〇篇であった。数は、昨年の五九篇に比べても減っているが、学校でまとまって応募するのが減少しているらしい。小中高の先生方への御協力をお願いしたい。
 私の選考方法は、今年も変わらない。まず、三〇篇を一通り読んで一篇一篇の作品全部に短いコメントを書いていく。そこから、五〇点以上の作品を選び出す。今年は、九篇が残った。
 この九篇を中心に、さらに二度、三度と読み込み、コメントを加筆する。この過程で、佐藤モニカ選者とも意見交換をやった。そして、一席候補、二席候補、佳作候補の順位付けをやって、事務局へ提案した。
 さらに、これらの候補作品を何度も読み返し、コメントも推敲して選考会へ臨んだ。本番では、第一席の高柴三聞「海の彼方へ」がすんなりと決まった。この詩は、「漕ぎ続けるのだ!」と前向きで肯定的である。全体のリズムも良く、表現方法もウチナーグチ(沖縄語)とのチャンプルー(混合)の効果に成功している。かなり力量を感じさせる作品である。
 第二席の、金城糸海「私のショッピングコース」は、早くから両選者が推薦した詩であった。年齢相応の素直な佳い作品と思った。後で、事務局から発表された氏名と年齢を見ると十一歳とあった。百円玉への思い、百円ショッピングコースへの目線、祖父母への愛情が良く表現されて、読みやすい詩であった。
 佳作の、外田さし「太陽所を探して」は惜しかった。私は、第二席に推したのだが、入れる枠が無かった。この詩は、テーマがしっかりしていると思う。そして、与那国島民謡「うぶだら」の引用をはじめ、どなんムニ(与那国語)が効果的であった。詩全体に祈りがある。
 他に佳作は、田中直次「最後のブルース」、金城藤子「母の背」、琴森戀「心の吃音」、あさとよしや「シュウシン・カネイリ」という名の女、秋雨一也「聴香」が選ばれた。それぞれ、「母の背」から「聴香」とテーマやモチーフも拡がり、使用している言語も共通語から、関西弁、与那国語まで多様な個性であった。その中で、外田詩は一枚ぬきん出ていた。
 全体的に言える事は、もっと詩の構成と詩語の詰めを厳しく推敲してもらいたい。特に、物語的な詩で作りすぎの作品が多々あった。個性の良さを、詩表現の高い水準までもっていきたいものだ。

佐藤 モニカ(さとう もにか)

歌人・詩人・小説家
竹柏会「心の花」所属

2010年 「サマータイム」で第21回歌壇賞次席
2011年 「マジックアワー」で第22回歌壇賞受賞
2014年 小説「ミツコさん」で第39回新沖縄文学賞受賞
2015年 小説「カーディガン」で第45回九州芸術祭文学賞最優秀賞受賞
2016年 第50回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞
2017年 詩集『サントス港』で第40回山之口貘賞受賞
2018年 歌集『夏の領域』で第62回現代歌人協会賞および第24回日本歌人クラブ新人賞受賞
2020年 詩集『世界は朝の』で第15回三好達治賞受賞(最年少受賞)
2021年 詩集『一本の樹木のように』で第17回日本詩歌句随筆評論大賞優秀賞受賞
2022年 歌集『白亜紀の風』で第18回日本詩歌句随筆評論大賞優秀賞受賞
現代歌人協会会員・日本歌人クラブ会員・日本現代詩人会会員

 第19回おきなわ文学賞詩部門、今年も詩人の高良勉先生とともに審査にのぞんだ。
応募数は30篇と昨年より減っているが、今年はバラエティーに富んだ幅広い内容の作品が揃った。そういう意味では、昨年より審査をしていても楽しく、また異なるタイプの詩を比較し、順位を付けるという難しさも味わう審査となった。
 一席「海の彼方へ」 は、詩作と思索の海を描いた作。創作という海のように果てしない挑戦とまたその喜びに満ちた作である。「帆を張れ 漕ぎ出だせ 燃える命の炎よ/目指す先はニライカナイか補陀落か/島一つ見えない絶対無辺の永久孤独の中で/深い深い青を黙って抱きしめる」この部分にぐっときた。最後の「ゑけ!」も効いている。
 二席の「私のショッピングコース」は、買い物の喜びを感じる作品となっている。今回の詩部門の最年少の応募者でもある。「きれいな色のボタンを買った/おじいちゃんのチョッキにつけてあげた/とても喜んでくれたので うれしくて/次は おばあちゃんに ビーズでストラップを/作ってあげた」ショッピングコースは、おじいちゃんと一緒に行く百円ショップなのだが、その世界が豊かにやさしく描かれていて、素敵だ。「おじいちゃんのチョッキ」というタイトルで、さらにもう一篇詩が書けそうでもある。詩というものは、なにも特別なものではなく、ごくごく身近に佇んでいるものだと教えてくれる。
 佳作の「太陽所ティンダンドゥグルを探して」は、「海の濃度は変わらず青く/風の緑は今でも強く/目の奥も肺の中も/命のにおいで満ち満ちて」が良い。
 「最後のブルース」は、大切な人へ送る手紙のような詩編。コルトレーンの哀愁帯びたサックスの響きが、詩と重なり、聴こえてくる。
 「母の背」、103歳になる母への讃歌。最後の水墨画展の部分はなくても十分に読ませる作である。この部分はない方が、詩の余韻をもっと味わえたはずだ。一篇の詩に詰め込みすぎないことも大切なのである。
 「心の吃音」、4篇構成の作。龕甲祭がんごうさいという珍しいところを詩のモチーフにしていることにまずひかれた。今回、4篇構成でなく、龕甲祭のこの一篇で出されても良かったと思う。4篇の詩の出来に、かなりばらつきがあり、そこが気になった。
 「シュウシン・カネイリという名の女」、リズミカルな詩。関西弁の豊かなリズムを評価するとともに、やや饒舌すぎる部分もあり、その辺りをどう評価するかで迷った。
 「聴香」、聴香という珍しいところを詩にしている。特に心ひかれたのは、「翠玉と藍玉をベースに溶け出した海/ザトウクジラが大きく跳ね飛沫をあげる」の部分。絵本の一頁のような、まぶしい景色がひろがっている。
 入賞の皆様、おめでとうございました。入賞された方も惜しくも今回入賞を逃した方も来年またご応募ください。来年もたくさんのご応募をお待ちしております。

短歌部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 戦うカクゴ 友利 正 宜野湾市
佳作 一年と一日 安里 和幸 沖縄市
佳作 カタブイの雲間 比嘉 琢磨 南風原町
佳作 越の田 北見 典子 浦添市
佳作 繊月 西原町
佳作 忘れぬ平和フィーワ 島袋 葵 那覇市
奨励賞 金城 糸海 西原町

〔 選考委員・講評 〕

伊波 瞳(いは ひとみ)

1948年 沖縄県本部町に生まれる
1971年 同志社大学卒業
1995年 沖縄県歌人会入会
1996年 第18回琉球歌壇賞受賞
    第2回黄金花エッセイ賞受賞
1999年 歌林の会「かりん」入会
2010年 第12回かりん力作賞受賞
2013年 第1歌集『サラートの声』刊
2014年 第48回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞
2018年 沖縄タイムス「短歌時評」執筆担当中
日本歌人クラブ会

 今回は技巧の優れた作品はあったが、詩的世界の構築という点で少し物足りないという結論になり、残念ながら一席を選ぶことができなかった。
 二席、友利正作は現代の世界や沖縄の情勢を捉え、多角的に表現している。1首目に「団欒に戦禍が届く」と、平和の側にいる自分を一歩引いた目線で批評的にみている。5首目「週末のパン屋でトングカチカチと残り九〇秒の終末」は、身近な週末のパン屋から人類の終末へ大きく飛躍する。トングの音が終末時計の音を演出し、上句と下句を繋いでいる。「週末」と「終末」を呼応させ、繰り返すことでリズムが生まれるなど言葉の選択が秀逸だ。
 佳作、安里和幸作の1首目と2首目は、今日の社会的事象を含んでいるが、2首目の「すがすがしさ」と「かなしみ」は、人間的な悩みに重なり心の揺れも表現している。5首目の「海沿いのショッピングモール閉店後マネキンの眼に映る灯台」は現実的ではないかも知れないが、言葉の詩化のために求めた「灯台」が未来を照らすイメージとして必要なのだろう。人を思う感情の動きや変化が巧みに表現されている。
 比嘉琢磨作、今日的な企業情況と人間らしさの葛藤を浮彫にする仕事の歌だ。1首目の「紙幣はただの紙切れになる」や4首目の「真っ直ぐで柔らかいのから折れてゆく」に、厳しい企業の中で生きている人の詠嘆がある。3首目に「カタブイする心抱きしめて」と方言を詠み込んで、自らを守らなければならない日々を歌いとめている。
 北見典子作、越の田の自然が堅実に写生されている。風景の描写の中に「春が始まる」や「日差しやわらか」と湧き上がる情感を表現している。4首目の「農道を駆ければ匂う一面の黄金の稲穂頭を垂れて」には、視覚に臭覚も加わり表現の成果がみられる。もう少し叙景と抒情の混合を工夫してほしかった。
 繊月作、フィクション性が高く雰囲気が魅力的な作品だ。5首とも分ち書きで破調になっている。破調については、境界線をどこまで引くか、必然性のある過剰な装飾かなど論議した。定型の努力のあとがみられるので、2首目の「死者たちの宴/打ち鳴らす太鼓に/夜空波打ち/硝子の舟がゆく」など、独自の詩的世界を評価した。
 島袋葵作、高校生の平和への思いが素直に詠まれている。1首目の「授業中爆音散らす戦闘機/それでも誰も振り向きはしない」は、いいか悪いかではなく一歩引いたところで現実を見つめるという潔癖な表現を評価した。
 奨励賞、11歳の金城糸海作は勉強、交流、作品作りをテーマに、「むずかしい」「大事にしたい」「ワクワクする」と、感想や考えを素直に表現している。心のあり様や感情を言葉で表現する短歌の基本が守られている。
 今回はテーマが多様で、表現も個性的な作品が多く、読み応えがあった。私たちが生きているこの時代から、どのような作品が生まれるか注視してゆきたい。

屋良 健一郎(やら けんいちろう)

1983年沖縄県沖縄市出まれ。
2004年竹柏会「心の花」入会、佐佐木幸綱に師事。
2017年「琉球歌壇」選者に就任。
名桜大学国際学部上級准教授。「心の花」会員、「滸」同人。

 今回、短歌部門には39作品の応募があった。応募数は少なめではあるが、詠みぶりもテーマも様々で、バラエティ豊かな作品が揃ったという印象を抱いた。ただ、5首で構成される連作として十分なレベルに達していると感じられる作品は無く、一席は「該当作なし」が妥当と判断した。一席「該当作なし」は、第7回(2011年度)、第10回(2014年度)、第14回(2018年度)に次いで4回目である。
 5首一組の作品をまとめ上げるのは実は意外と難しい。「おきなわ文学賞」が創設された際、選考委員となった名嘉真恵美子氏は新聞の短歌時評で、5首は「作者の実力がほぼ推し量られるぎりぎりの数」と記した(『沖縄タイムス』2005年7月24日、18頁)。まさにその通りだと思う。1首で応募できるコンクールならば「ビギナーズラック」もあり得る。しかし、5首での応募だと、作者の力が作品に表れる。短歌雑誌の新人賞だと30首で応募というのが一般的であろうが、30首というのは地方の短歌コンクールの賞としてはハードルがかなり高い。地方で短歌の裾野を広げるためには5首での応募というのも納得がいく。では、5首をまとめるのが簡単かというと、そうではない。30首であれば、いまいちの歌が数首混じっていてもあまり気にならないだろう。しかし、5首のうち1首でもいまいちの歌があると傷が目立つ。5首の中に突出した良い歌を含みつつ、5首のいずれもが一定の水準に達していて欲しい、と思う。
 二席は「戦うカクゴ」。海外で起きている戦争、自分の身近にもやがて訪れるかもしれない戦争を詠む。枕詞を用いた技巧的な三首目、日常生活が核ミサイルなどの現代の兵器で瞬時に破壊される予感が漂う五首目に特に注目した。時事的な作品が陥りがちな、新聞記事をなぞっただけの短歌ではなく、作者ならではの視点が出ていて評価できる。その中で四首目は平凡であった。
 佳作第一作「一年と一日」は写実と詩性のバランスの妙。確かな描写力に裏打ちされた詩的な表現が魅力だ。一首目と五首目が特に良い。ただ、三首目には誤字と見られるものもあり、粗さを感じた。
 佳作第二作「カタブイの雲間」は職業詠。現代短歌の世界では、作者の実人生を感じさせない作品も増えている。また、沖縄に関して言うと、短歌作者は高齢のかたが多いため、職業詠は以外と少ない。そのような中、この作品は印象深く、三首目が特に良い。二首目、四首目、五首目はいずれも四句8音、結句6音となっている。下句を7音7音できれいに切っていないのは「句またがり」の技法であろうが、5首のうち3首もこの句またがりだと、さすがに効果的とは思えない。57577のリズムをもっと活かすような歌にしてもいいのではないかと思う。
 佳作第三作「越の田」は写実的で、作者の確かな力が感じられる堅実な作品。ただ、四首目の下句は言葉の使い方がありきたりではないか。佳作第四作は自由律短歌。美しい比喩表現が魅力の一連だが、三十一音をこえる音数(大胆な字余り)で詠む必然性を感じさせる歌となっているかどうか、音数を増やしてかえって説明的な歌になっていないかどうか。佳作第五作「忘れぬ平和フィーワ」は沖縄の今や沖縄戦を詠む。突出して良い歌が含まれているというわけではないが、若さが感じられる沖縄詠という点を評価した。奨励賞の作者は小学生のようだ。どんどん短歌を作ってほしい。

俳句部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 高柴 三聞 浦添市
佳作 外田さし 西原町
佳作 友利 正 宜野湾市
佳作 与那覇 慶子 読谷村
佳作 友利 正 宜野湾市
佳作 山原忌 田中 直次 うるま市
奨励賞 花岡 蓮 那覇市
奨励賞 戦争の傷 新垣 尚正 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

本木 隼人(もとき はやと)

結社ウエーブ/ 俳人協会・沖縄県俳句協会所属/若太陽句会代表
第九回〜十三回俳句in沖縄副実行委員長/元俳句甲子園沖縄支部支部長
句集『国際線』『新撰俳句の杜精撰アンソロジーⅠ』
ウエーブ新人賞
NHKバトル五七五学生俳句チャンピオン決定戦2010優勝

2003年 第14回伊藤園おーいお茶新俳句大賞選出
2005年 地元沖縄で子供達に俳句を教える活動を始める。
2014年 第10回おきなわ文学賞1席

高柴 三聞さん。

 記憶無くした鳥の群れ沖縄忌
 汚染水  人は静かに狂いゆく
 画面から戦争が俺を凝視つめてる
 骨混じりの土砂見ている海鼠の眼
 鉄砲百合の銃口青い海

 詩性が最も高く、作品はどれも研がれた刃物の様に感じられた。俳句というよりも詩に近い印象を受ける。
 記憶無くした鳥の群れは読む者によって全く違う問いを投げ掛けるだろう。
 諧謔か風刺か現実か。
 ただ、5句目だけが残念だった。類想句が多数あり、もう一歩踏み込んだ表現にしても良いと感じた。

外田 さしさん。

 沖縄を詠まねばならない訳では無いが、おきなわ文学賞は沖縄を詠む作品の応募が多い。
 外田さしさんもその一人だろう。
 沖縄を詠むにあたって自身の目線を大切にし、実生活をはみ出すような強い言葉を使わずまとめた所に個性を感じた。

 炎昼やみな虚ろなるハイエース

 実際に沖縄県に生きる者ならば、ハイエースを目にする機会は多い。
 炎昼。人が暑ければ、ハイエースのタイヤが触れているアスファルトはもっと熱い。彼、または彼女の顔が虚ろになるのも理解る。
 右眼瞬き、右折します。
 気怠そうな声が聴こえてくる。

友利 正さん。

 ゲルニカや熟柿たわわなる軍拡

 ゲルニカはキュビズム。柿が熟れていく様子、または柿がたわわに実る様子、はたまた枝に下がったまま熟れている柿の様子を軍拡の得も知れぬ動きに喩えている。

 炎昼の赤いボタンが父を焼く

 父の葬儀はそう何度も訪れるものではない。告別式の段取り、故人と付き合いのあった方々への連絡、対応、遺産問題、そして自身の感情。
 心を亡くすと書いて忙しい。そんな火葬場で父の居る炉に火を入れる赤いボタンが目に入った。
 ふと立ち止まって思い出す。そう言えば父はよく赤い服を着ていたような。赤い煙草を吸っていたような。
 しかし、父が亡くなった事実は変わらず、故人に対して出来る事はない。
 炎昼は父の居ない人生を踏み出した足の裏が感じた熱さなのかも知れない。

与那覇 慶子さん。

 微熱吐き静かに歪む独り言

 微熱が原因で、独り言が歪んだのが結果。
 独り言しか聞こえない静かさの中で、言葉に得体の知れない歪みを感じた。それは微熱のせいだと思いたい。

 自販機の瞬時に滑る赤い嘘

 瞬間を切り取って物事を見る一瞬の閃きがある。

田中 直次さん。

 大浦湾ジュゴンの腹はゴルフボール

 大浦湾は名護市南側にある湾。そこに住むジュゴンの腹がゴルフボールに似ているという事だろうか、海沿いにあるゴルフ場からのボールを腹に溜め込んでいるという事だろうか。
 観念的に読めば、ゴルフボールの様に鉄の棒で殴打されているジュゴンの悲哀を詠んでいる事と取れる。
 ジュゴンを殴打しているゴルフクラブを握っているのは誰なのだろうか。

花岡 蓮さん。

 ガジュマルにふたつ並びのせみのから

 地面の中で数年間眠り続けるせみ。彼等が無事に羽化出来るかどうかは、誰にも分かりません。
 でも、2つのからが並んでいたらどっちのせみも羽化出来たのでしょう。
 土の中ではげまし合ってきた君に会えたよろこび。
 新しい世界に旅立つ時、となりに君がいるよろこび。
 ガジュマルに並んでいるせみのからが2つある事から色々な事を想像出来ます。
 素直に、見たまま感じたままの姿を形にすると、俳句からみえる景が広がります。

新垣 尚正さん。

 石垣にハイビスカスと弾の傷

 石垣にもたれるハイビスカスの花。その下に隠された傷。
 石垣という生活に密着した場に平和の象徴の花と、弾痕があるアンバランスさに沖縄を感じます。
 ハイビスカスの咲く暑い日。
 昔と今を繋げる一本の紐が見えるようです。

山城 発子(やましろ はつこ)

平成13年度 那覇市世界遺産登録記念事業
      那覇市世界遺産 俳句・短歌・琉歌大賞 全国コンテスト 特選受賞
第7回 「おきなわ文学賞」(2011年)随筆部門 一席
第15回 沖縄市文化の窓エッセイ賞(2012年) 佳作
第11回 「おきなわ文学賞」(2015年)俳句部門 一席
沖縄タイムス「俳句時評」執筆担当中

 応募作品数は昨年より減少した。選考はやや難渋するかと思われたが、最終的に一席該当無しの、以下の結果に落ちついた。一句一句独立しながらも五句が揃っているか、完成度はどうかという観点がまず評価の基本にあった。審査会の中では、作品の、地域、沖縄との関連についても話題に上った。文学として、どんなかたちであれ、表現された作品には、当然現実が映りこむに違いないということで一致した。基本的には十七音の詩であること、季語については、基本の形式であるが、必ずしも絶対条件ではないこととして、審査にあたった。
 「学生以下を対象とした奨励賞」に小学生と高校生の好作品があった。

一席 該当作品なし

二席  高柴三聞
記憶無くした鳥の群れ沖縄忌
汚染水 人は静かに狂いゆく
画面から戦争が俺を凝視つめてる
骨混じりの土砂見ている海鼠の眼
鉄砲百合の銃口青い海

 一句目の「記憶無くした鳥の群れ」は戦争の風化への嘆きと悲しみの暗喩とみた。二句目の「汚染水」に、原発の処理水のことやピーフォス等の水の問題を思い合わせる。人類の直面する危機のひとつがここにもある。三句目はかの国の戦争を機器の画面を通して見つめる己の焦燥、無力感が表現されている。この同じ地球上で、今起こっている惨劇を私たちは手をこまぬいて眺めているのか。そういう心理を「戦争が俺を凝視つめてる」と反転させて表現した。四句目はまさに今の沖縄のこと。強行されつつある辺野古新基地建設に、南部激戦地あとの、遺骨を含む土砂さえも投入されようとしている。問題の現実味が伝わる。そして生物多様性の宝庫と言われる海の生き物たちの声なき悲鳴も聞こえるよう。五句目はやや常套的句材であるが、海の危機を鉄砲百合が知らせているともとれるではないか。いずれも現実を映し、内面を潜らせて出て来たメッセージの句群である。

佳作
   外田さし
炎昼やみな虚ろなるハイエース
プールから出て地球から出られない
夏期講習行方不明の僕の席
原付騒がしミラーの星涼し
月を向くひまわり全部手に入れろ

 句材の新鮮さと軽やかな口語表現から若いエネルギーが伝わってくる。一句目の「ハイエース」は車種のことか。沖縄の路上を多く走っていると聞いてなるほどと納得した。少し珍しい句材に、己の虚無的な心象を織り交ぜて表現した。沖縄のうだる暑さも伝わる。二句目は漠然とした閉塞感である。今いる此処を出たところでやっぱり同じ現実が立ちはだかっているのだ。この心情は三句目にも通じる。所属不明のような不安感。ただ「夏期講習」の語は、不思議に暗くない。四句目「原付」の句材が新しく、騒々しさの中で、ミラーを通して星を仰ぐというところに、若い心情を想像する。五句目の、「ひまわり」が太陽でなく月に向いているならば、それは己のものという。何か突破口を見つけていくところに明るさと救いがある。

   友利正
ゲルニカや熟柿たわわなる軍拡
腐みつつ柿のなりしてすかす国
琉球弧哀史刻みてティンガーラ
すずなりの島の矜持やオクラ弾
あかゆらや棘の鎧をあまくまに

 一句目「ゲルニカ」にインパクトがある。「ゲルニカ」はピカソ作の絵。世界は、ロシアのウクライナ侵略、イスラエルとガザ、ハマスの戦争が起きている。まさに今を象徴させた語。「熟柿たわわなる軍拡」はわが国の何やら不穏な状況である。句またがりと破調から緊迫感が伝わる。四句目「すずなりの」オクラに、豊かな島の矜持を見る。それは物言う力にもなり得るという「オクラ弾」の語にこめられた願いがある。五句目の「あかゆら」は県花の梯梧の花。花の色の鮮やかさもさりながら、逞しい体幹と舗道の石も持ち上げる力強い根っこ。「棘の鎧」は身を守るため。いわれのない言葉の刃だって飛んでくることがあるのだから。「あまくま」は「あちらこちら」の意の方言。沖縄の島々を俯瞰する視点があるよう。二句目「腐みつつ」にはルビを振るべきであった。三句目「琉球弧哀史刻みて」が散文的であった。五句を通して状況を詠むというテーマ性があり、「すかす(なだめる)」「ティンガーラ(天の河)」「あまくま」と方言を織り込むことにより、ローカル色豊かな句世界となった。

   与那覇慶子
微熱吐き静かに歪む独り言
自販機の瞬時に滑る赤い嘘
下がり花瞼の裏の不意を衝く
阿檀葉に押し返し来る波声捻じれ
西日蹴り強気のマブイ産卵す

 全体的に内面化した世界。一句の内省する眼差しは厳しい。二句目「自販機」からゴロゴロと物が落ちてくる瞬間の短さで己を欺く言葉や身振りが出てくる。自分だけではない、もしかすると世は「赤い嘘」だらけなのではないかと作者は思ってしまう。三句目「下がり花」の形状は「瞼」に似る。突然に我が脳裡を襲ったものは何だったか。人は時として無意識の中から現れてくるものに撃たれたりする。四句目「阿檀葉に押し返し来る波」の「声」に、沖縄戦時下の人々の叫びや呻きを聞いた。「阿檀」は海辺に生える。沖縄の海は悲しみを湛えている。五句目は希望である。「西日」はあらゆる逆風の比喩。逆風に耐えて抗って、そしてマブイは「産卵」する。それは望みにつながるもの。衝撃性も含みつつ希望も残す比喩を使いながら、深い味わいのある句群となった。

   友利正
炎昼の赤いボタンが父を焼く
開戦日タッチで開く自動ドア
遠隔の悪のえにしやスマホ夏
秋天やミサイル飛ばす北の爪
卒業の数多の指のピースかな

 「指」のテーマで連作を試みたとも思われる。一句目は「赤いボタンが父を焼く」から火葬場の景ととれる。炎昼の明るさの中で、お父さんの死への悲しみがなおつのる。淡々と抑えた表現が心情を伝える。二句目は、今戦争状態の国と国はそのように始まったのであろうかと考える。あり得るかも知れない私たちの近未来というならば恐ろしい。三句目は、昨今の社会の出来事がテーマであろう。今やスマホという機器によって引き起こされる様々な事件に驚く。四句目は、北の国のミサイルという近景の脅威をテーマとする。五句目は卒業式のシーンであろうか。若者の未来をピースで引き寄せる。二句目以降の作品はテーマに対して何かリズミカルだ。「ゲルニカや」の五句と同じ作者の作品。ここでは句風が少し変わった。

   田中直次
恩納森くちばし刺さるガラス城
大浦湾ジュゴンの腹はゴルフボール
ヒートゥー肉未来も食べる飢えた口
ゴミの森クイナの足輪USA缶
星条旗日の丸を抱く復帰の忌

 題名に「山原忌」とある。暗喩が個性的だ。独特な句材が衝撃的でもある。文明批評的視点から描かれたユニークな句世界。一句目は米軍の実弾演習基地としての恩納岳を痛ましく見つめる作者の視点がある。二句目は辺野古新基地建設工事のために逐われたジュゴンを詠む。その腹には今や餌のアマモではない異物があるのではないかと憂う。例えばゴルフ場から飛んできたボールとは痛烈である。三句目は歴史をやや遡る。名護湾はかつてヒートゥー(イルカ)の追い込み漁が行われていた。その時、人々は「ヒートゥー肉」を食したが、未来をも食べていたのかと作者は考える。ここには強烈な問いかけが隠されている。様々な破壊で、今、地球の未来を脅かしているのは人類ではないかと問うているようだ。四句目は世界自然遺産に登録された山原の森の汚染状況へのメッセージ。米軍の訓練場が隣接しており「クイナの足輪USA缶」にはそのゴミに足を突っ込んだクイナが想像されている。五句目は沖縄の本土復帰のあり方への疑問。時事的題材が十七音の詩に昇華されているのが、作者の句群の特徴である。ただ、「山原忌」、「復帰の忌」の忌の使い方はどうであろうか、課題である。

奨励賞
    花岡蓮
対馬丸忌命どぅ宝と海が鳴く
ガジュマルにふたつ並びのせみのから
ブーメラン台風空の冷蔵庫
ころんでも立夏の自転車ころんでも
帰り道月の影から盆お香

 小学生の作品。太平洋戦争時の沖縄の学童疎開船対馬丸の事件は多くの児童が犠牲になった。その悲劇に思いをはせた一句目。二句目は観察眼にこそ映るものがあり、そして面白がる心が大事であることを思わせる。三句目は、自然の猛威が日常に押し寄せた事実を詠んだ。社会的出来事は自分事でもあった。四句目は愉快だ。季語「立夏」が掛詞にもなった。五句目は盆という大人中心の慌ただしい年中行事の中で、しっかり詩的感覚をはたらかせていることがわかる。「帰り道」の上五が活きている。史実から、身の回りと、いきいきと日々の生活に目をやり、世界を感受している作者を想像する。一句目の「対馬丸忌」の「忌」は省いてよい。

奨励賞
    新垣尚正
鐘の音虫も鳴き止む一分間
石垣にハイビスカスと弾の傷
戦没者礎に刻む名と怒り
先人や後世に語る戦の苦

 高校生の作品。「戦争の傷」と題名がついた連作に意欲を感じる。体験者が高齢化と共に減少し、沖縄戦継承の風化も言われて久しいが、若い人の真っ直ぐな目が捉えた一連の四句は読む者に希望を与える。一句目は慰霊の時の黙祷を詠んだ。一瞬の無に立ち上がる祈りを感じている。二句目のハイビスカスは仏桑花。明るい沖縄のイメージはいつも傍らに戦争の傷を隠し持っていることに気がついている。三句目の「怒りを刻む」が良い。礎に刻まれた名前は一人の人が生きていた証。戦争で死する無念さに「怒り」を想像し、共感しようとしている若者がいる。四句目「先人や」は一工夫必要。

 俳句は文学として現実を映し、時代を映す。捉えた句材は詠む人の内面を深く潜らせるほど、十七音の詩が深くなる。そんなことを考えさせられた。季語は絶対的条件ではないが、よく駆使された作品もあった。緩やかな使い方であって良いと思う。他にも惜しい作品があった。次年度にも期待をつなぎたい。

琉歌部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 辺野喜ビヌチタビ 安藤 うらか 恩納村
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 島袋 浩大 那覇市
佳作 ※順不同 多和田 吉雄 宜野湾市
佳作 金城 美代子 うるま市
佳作 宮城 里子 名護市
佳作 長嶺 八重子 読谷村
佳作 我肝るる 源河 史都子 中城村

〔 選考委員・講評 〕

波照間 永吉(はてるま えいきち)

琉球大学法文学部国語国文学科卒業。沖縄県立芸術大学付属研究所所長を経て、現在名桜大学大学院特任教授。
琉球文学・文化学を専門分野として、琉球弧の祭祀や文学に関する論文を多数著す。
鎌倉芳太郎資料集の編纂で知られ、著書に『琉球の歴史と文学―おもろさうしの世界―』などがある。

 今回は27人の作者から124首の応募があった。応募数としては、今少しの感がするが、おきなわ文学賞としては、琉歌部門が復活したことを先ずは喜びたい。今年度から、一作者3首~5首の応募で、選考もこれらを一連の作品と読んで評価することとなった。したがって、一首だけが優れていても他の作品が今ひとつという場合は、総合点で選から漏れるということも出てくる。そのような方法を採用することによって、一人の作者の力量を見定め、ひいては、琉歌作者全体の力量を高めていくことができることと思料した。
 さて、今回の第1席は安藤うらか氏が射止めた。安藤氏の作品は「辺野喜旅」と題された4首である。その内の3首が沖縄島北部の国頭村辺野喜を訪ねた折りの風物を詠んでいる。その第1首「辺野喜ビヌチタビすれば 伊集イジュ花盛ハナザカり クカルウシぎやねジャネが ふきゆる三節ミフシ」は、ヤンバルの山でなくクカル(リュウキュウアカショウビン)の愛らしく、かつ、どこか寂しげにも聞こえる鳴き声をとりあげているが、これを「クカルウシぎやねジャネ」と謡ったところに作者の詩想の伸びやかさがある。また、4首目の「芝居シバヰちちやべら 名優姿拝サトゥスィガタヲゥガま マツィ袖下スディシチャに ツィチ出羽ンジファ」は、虚構かと思われるが、名優を追いかける一女性に見事になりきっている。三句目の「マツィ袖下スディシチャ」という表現も良い。他の2首についても安定した力量を示しているが、これらについては割愛する。
 第2席には島袋浩大氏が続いた。3首の内一首が仲風であった。「チュク言葉クトゥバ フミだいんすデンスィ 書けどカチドゥ出さらぬンジャサラン チム知よめシユミ」(「書け」は「書き」とすべき)がそれである。氏は仲風をよくするようだ。仲風での応募は珍しく、その点も評価された。他の2作品は定型琉歌であったが、これらも安定している、と評価された。
 佳作には多和田吉雄、金城美代子、宮城里子、長嶺八重子、源河史都子の5氏の作品が選ばれた。選考後、応募者名が発表されて、なるほどと頷いた。いずれも、優れた琉歌作家として活躍しておられる方々であり、第1席・第2席の作品との差は、あるかないかである。5氏の作品を紹介するスペースはないが、例えば宮城里子さんの2・3首目の歌など、可能性を感じさせるものであった。

前城 淳子(まえしろ じゅんこ)

1971年 南城市知念生まれ。琉球大学人文社会学部准教授(琉球文学)。
1999年 琉球大学大学院人文社会科学研究科修了。
共編に『国立台湾大学図書館典藏琉歌大観』(国立台湾大学図書館)、『近代琉歌の基礎的研究』(勉誠出版)。

 今回から琉歌部門の選考委員を務めさせていただいた。琉歌部門では三首から五首の琉歌を詠むことが求められている。応募された琉歌の中から一首選んで評価するのではなく、三首から五首の琉歌を組み合わせることで、どういう心の動きを表現しているのか、全体でどのような作品世界を作り出しているのか、という観点で作品を読ませていただいた。
 今回一席に選ばれた安藤うらかさんの琉歌は「辺野喜旅」と題した作品である。イジュの花が咲きほこり、クカルが美しい声で鳴いている風景が一首目と二首目で描かれ、辺野喜旅をしているわたしの浮き浮きした様子が伝わってくる。後半の二首は辺野喜で芸能を鑑賞している場面であろうか。「松の袖下に月の出羽」など、月の出とともに役者も登場する村芝居の雰囲気が良く出ている。
 二席の島袋浩大さんの琉歌は恋がテーマである。夏の終わりの蝉に「あまりどく鳴くな」と呼びかけてしまうのは、わたし自身と蝉を重ねてしまうからだろう。二首目は恋しい人に思いを伝えられないもどかしい思いが仲風形式をうまく使って歌われている。三首が連作としてまとまっていて、苦しい思いがうまく表現されている。三首構成にしたのも効を奏したか。
 佳作には五人の方の作品が選ばれた。いずれも甲乙つけがたく順不同となった。
 多和田吉雄さんの琉歌は、どの歌も穏やかな調子で歌われ内容と良く合っている。珊瑚の海と青空という広がりのある風景から二首目の浜辺で遊ぶ童の笑顔へと転じるなど、全体の構成も面白く感じた。
 金城美代子さんの作品は、穏やかな日々の三つの場面を歌に詠んでいる。「海浜に遊で」「東り太陽拝で」などのびやかな感じが好印象であった。
 宮城里子さんの作品では、四首目の「仲良川ぬぶてぃ」が印象に残った。舟を止めたとたんにクカルとサガリバナの鮮やかな風景がぱっとひろがるさまが思い浮かぶ。
 長嶺八重子さんの五首の琉歌のうち、四首目の首里の石畳を行き交う人の「すだすだと」歩くさま、五首目のあちこちに「さびさびと」建つグスクと畳語で表現されているところが面白く感じた。
 源河史都子さんの作品は、沖縄を離れて入院治療をした時の心の動きが5首の連作でうまく表現されている。医者から勧められ沖縄を離れて治療をするかどうか揺れる心を「ゆられ揺る」、療養生活の不安を「白壁の宿」で表現しているところが面白く感じた。
 琉歌を詠まれる方は人生経験を積まれた年配の方が多い。穏やかな暮らしの中で感じる心の動きをうまく琉歌にまとめておられることに感心させられた。また、今回入選とはならなかったが高校生の応募があったことも嬉しいことである。

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