第17回おきなわ文学賞入選作品

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公益財団法人沖縄県文化振興会が主催する「第17回おきなわ文学賞」において、全7部門合計495作品の応募の中から、44作品41名の入賞者が決定しました。
一席6名、二席7名、佳作27名、奨励賞4名です。(2名は2部門で入賞)。
さらに、今回は沖縄県人会を通じて海外在住の県系人から4作品の応募がありました。

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【一般文芸部門】

【しまくとぅば文芸部門】

一般文芸部門

小説部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 なつの思い出 星のひかり 神奈川県
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 小さな骨達が言うんです 仲村渠 ハツ 宜野湾市
佳作 山姥の特等席 翠彩 えのぐ 那覇市
佳作 海風すさぶこの島で 小禄 二太郎 那覇市
佳作 神様のお弁当 宮成 とも 南風原町

〔 選考委員・講評 〕

呉屋 栄治(ごや えいじ)

1959年 宜野湾市喜友名生まれ
1982年 琉球大学卒(法文学部社会学科マスコミ専攻)
1982年~ 合資会社 沖縄時事出版入社
出版社にて小・中・高校教材、絵本、一般書籍の企画・編集に携わる。
現在は編集部長として、各種の編集・企画業務を統括している。
他に、「東アジア出版人会議 沖縄地域事務局長」「沖縄出版協会 事務局長」として沖縄本を東アジアや日本国内へ普及活動に尽力。

 今回は、沖縄の窮状やコロナ感染症等を題材にした作品もあり、興味深く読ませてもらった。その中から佳作を受賞した3作品の講評を書かせていただく。
 まずは、『山姥の特等席』。主人公の與那覇乃子は不動産会社に勤める新入社員。「人の助けになるような仕事がしたい」との動機から、賃貸管理部への配属を希望する。そこで、「首里の山姥」とも呼ばれる独居高齢者、クレーマー植野美千代と関わることにより物語が展開する。
 クレーマー植野は40年前に亡き夫と沖縄を訪れた際に、首里城正殿や首里の街並みに魅せられ老後を沖縄で住むことを決意。しかし、首里城が焼け落ちたその日から周りの人間に当たり散らすようになる。首里城焼失と老婆の心の荒みを結びつける展開は良いと思われたのだが、残念ながら40年前には首里城は再建されていない。この設定ミスがなければ、もっと高い評価を得られた作品だと思うのだが、残念である。作者は20代、今後の活躍を期待したい。
 次に『海風すさぶこの島で』、こちらも20代の書き手。物語としては整理されており、起承転結もきっちり描かれているので読みやすい作品。
 沖縄で仕事をする主人公、新里由香。主人公の同級生で、「一生この島で暮らすのは嫌」と言って県外で生きることを選択した金城沙耶。その沙耶が沖縄に戻ってきたところから物語が始まる。主な登場人物としては他に、由香の恋人の博史と由香が働くガールズバーの客で県外出身の須賀。
 島へ残った主人公が、島から出て行った人や県外から島へやって来た人との感情を絡ませながら、島で生きることの意味を考えていく。島を「海風すさぶ島」と例える作者の意図をどう感じるかによって、読む人の評価も変わるのではないだろうか。
 3作品目が、『神様のお弁当』。沖縄の伝承話「トーカチの由来話」を現代風にアレンジした作品。「見守り隊」として活動している弁当屋の仲村敬史を主人公に、娘の命を守るために寿命を司る神様へ弁当を届けるというストーリー。
 見守り隊として活動する主人公が、独居高齢者の當山を気遣い感情的にも距離を縮めていく場面は、両者の心情変化がよく描かれている。主人公が弁当屋で高齢者の當山が元料理人という設定を活かすことで、物語に深みを持たせることができたのではとも感じた。
 沖縄らしさを意識してなのか、「トーカチの由来話」と結びつけた事で、物語全体に違和感を与えてしまった。

仲原 りつ子(なかはら りつこ)

那覇市生まれ、那覇高校、名古屋瑞穂短期大学を卒業後、栄養士として、務めつつ、保育士の資格をとり、自ら保育園を設立。保育事業に携わる一方、創作活動も行う。第10回琉球新報短編小説賞「イヤリング」佳作、第15回九州芸術祭文学賞「束の間の夏」地区優秀作、そのほか、新聞や業界誌などでコラム、エッセイ等を執筆。沖縄エッセイストクラブ会員。「亜熱帯」同人。
社会福祉法人あおぞら福祉会あおぞら保育園理事長兼園長。

 今年の応募作品は31篇。第一次選考の結果9作品が残り、二次選考で私は「なつの思い出」「山姥の特等席」「小さな骨達が言うんです」の3作品を推した。
 「なつの思い出」(一席)は1960年代後半の北部の集落が舞台。主人公のなつは小学1年生。近所に住む漁師の常おじいとのやりとりを通して当時の暮らしがいきいきと、ときにユーモラスに描かれている。書き出しの3行が良い。人物描写も的確だ。「常おじいは目玉がとび出そうなくらいに大きく、いつも海の匂いがする。耳も遠いし、声も大きい。前歯が一本もない」。その常おじいに泳ぎがうまいばかりに漁の手伝いにむりやりに連れていかれるなつは、「海にとびこんで手足をバタバタやって魚を網に追いこまなくてはいけない。さらにそれを何度もくり返し、魚カゴいっぱいになるまで止めさせてくれない」のだ。なつの家ではおいしい魚のおかずが朝も昼も晩も食卓にのぼるので、なつが漁の手伝いをするのを喜んでいるのだが、なつはもっと遊びたい。幼なじみの和樹と俊哉の手を借りてなんとか常おじいから逃げようとする。が、いつも最後はつかまって3人そろって漁を手伝わされるはめになる。その常おじいが病気になった。いやがるなつを母親が、「今日行かないともう会えなくなるんだよ」と強引に見舞いに連れて行くのだが、これから死んでいく人間を見るのがなつは恐い。「手は握りたくない。きっとあの世に私を連れて行くつもりだ」と、どこまでも二人の気持ちはすれ違ったままだ。しかし、なつが見舞いに行ったおかげで常おじいが元気になった。読み終わったあと、紙面から主人公と常おじいと村の人たちの笑顔がたちあがり、さわやかな気持ちになる作品である。
 「小さな骨達が言うんです」(二席)は主人公のチルミと土砂運搬会社の社長との口論のシーンが迫力がある。「骨はその人ですよね。小さな骨も全部その人ですよね。人も海に埋めるんですか」。そしてラストの2行も効いている。「小さな骨達が言うんです。私を埋めるのか。私を海に埋めるのか」。突きつけられた刃にどうこたえるか、切実である。
他に印象に残った作品として
「神様のお弁当」 地域の独居者に弁当を配布する「見守り隊」のボランティア活動をしている主人公が、当初はぶっきら棒だった独り暮らしの當山(82歳)との出会いを通して、実は當山が凄腕の料理人で、沖縄の行事料理作りで主人公を助ける展開が面白く書けている。
「原始からの便り」 参考文献からの引用による語りに終わっているとの意見があった。実在の人物をモデルにする場合、事実と違うことは書けない。しかし主人公が遺した写真から想像の羽を広げて、もっと自由に表現することはできる。
 選考委員になって2年目。わりあてられた応募作品16篇を読み終わったあとは、たくさんの人生を経験したような気持ちになる。来年はどんな力作に出会えるか楽しみである。

村上 陽子(むらかみ ようこ)

1981年広島県三原市生まれ。沖縄国際大学准教授(沖縄・日本近現代文学)。
2000年~2008年まで琉球大学および琉球大学大学院で学ぶ。東京大学大学院博士課程を経て2016年に沖縄国際大学総合文化学部に着任。
著書に『出来事の残響ー原爆文学と沖縄文学』(インパクト出版会)。

 本年度より選考委員を務めることになり、どのような作品に巡り会うことができるかを楽しみにしていた。今回のおきなわ文学賞に応募された作品には、ほのぼのとした作風のものや、ポジティヴな結末を迎えるものが多かった。そこには作者の人柄や希望が託されていて、優しい読後感に身を浸すこともできた。だが、一方でハッピーエンドを素直に受け入れられない気持ちもある。乗り越えるべき問題が起こって、それが解決され、一応のハッピーエンドを迎えるというストーリーはあまりにわかりやすく、安易な展開とも言える。そうすると、物事や人生の複雑な部分が見逃されているような気になって、落ち着かないのである。
 惜しくも二席となった「小さな骨達が言うんです」は、そのようなわかりやすさに背を向け、複雑さに向き合った作品であった。基地建設のために遺骨が混じった土砂を運ぶという、現在の沖縄が直面している問題に正面から取り組み、多様な立場の人間を描いている。骨の声が聞こえてきて体調を崩す者、生活のためにやむを得ず骨の混じった土砂を運ぶ者、土砂を運ばなくてもすむ生き方を選ぼうとする者−−。すれ違う思いや生き方の果てに選ばれるそれぞれの行動が交錯して、結末を彩っている。
 一席となった「なつの思い出」は、おてんばな少女のなつと、漁の得意な常おじいの交流を描く物語であった。なつをかわいがるおじいの気持ちをよそに、常おじいの干渉を迷惑に感じ、死の気配におびえるなつの姿は、安易なストーリー展開に収束しない活力に満ちていた。
 佳作となった作品にも触れておきたい。「神様のお弁当」は、独居老人とお弁当屋の店主が関係を構築する前半に比べて、神様が登場する後半の完成度が落ちる。人間の命の蝋燭という既存のストーリーに乗っかるのではない、オリジナルな展開がほしかった。
 「海風すさぶこの島で」は、巧みな文章で読ませる作品に仕上がっている。自分らしく生きるとはどういうことか、誰かのために行動するとはどういうことかという問いも重ねられている。しかし、女性登場人物に比べて男性登場人物の印象が薄い。博史の本気の度合いや須賀の狙いなど、もう少し書き込みがほしかった箇所もある。
 「山姥の特等席」は全体として優れた作品であった。惜しまれるのは、歴史上つじつまの合わない描写が見られたことである。本作では、植野さんという高齢女性が首里の高台のアパートに住むことにこだわり続ける理由について、「首里城正殿は、お菓子の城みたいで可愛らしくて、私も旦那も一目で好きになった」と語っている。「昨年の大火」によって首里城正殿が焼失したという記述も作品内にあるため、植野さんが新婚旅行に訪れた「四十年前」は一九八〇年だと特定できるのだが、その頃、首里城正殿はまだ復元されていなかったはずである。現実の首里の風景を踏まえて書かれた作品だけに、このような瑕疵が目立ってしまうことになった。今後の作者の活躍に期待したい。

随筆部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 あの頃の少年達 金城 毅 糸満市
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 思い出の黄色いカローラ 大久 英彦 南風原町
佳作 ※順不同 フィールドオブドリームスin沖縄 野木 シノブ 八重瀬町
佳作 東村の庭 星屑 浦添市
佳作 オルゴール 長嶺 幸子 糸満市
佳作 おひとり様・おふたり様 諸見里 杉子 那覇市
佳作 父ちゃんの思い出 城田 孝 八重瀬町

〔 選考委員・講評 〕

嘉手川 学(かでかわ まなぶ)

沖縄県那覇市生まれ。オキナワふうどライター。泡盛新聞編集委員。沖縄のタウン誌の草分け「月刊おきなわJOHO」の創刊メンバーとして参画。歴史や文化、カルチャー、音楽など、幅広い沖縄ネタを扱う。
「月刊おきなわJOHO」では食べ物コーナーを20年近く担当。沖縄の食堂と沖縄そばと島豆腐と泡盛をこよなく愛す。
編著・著書に「沖縄チャンプルー事典」(山と渓谷社)、「嘉手川学のすばナビデラックス」「嘉手川学の古食堂味巡り」(東洋企画)、共書に「沖縄大衆食堂」、「笑う沖縄ごはん」(双葉社)、「沖縄食堂」(生活情報センター)など。

 随筆部門は41作品の応募がありました。例年は筆者の後悔や自責の念、反省や過去の自分と向き合った作品などが多くみられましたが、今回は後悔や反省だけではなく、今を生きている自分がどう行動を起こすべきか、これからの未来に向かってどう生きるべきか、家族との会話や自分を通して周りの人たちを明るく生き生きと描いた作品が多くみられました。
 しかも、どの作品も面白くて甲乙つけがたいものばかり。選考会前は南先生と評価が分かれ難航するのではと思っていましたが、一席、二席は奇しくも同じ作品を選んでおり、その他の入選作品も評価が重なり、終わってみれば意外とすんなりと決りました。
 一席に選ばれた「あの頃の少年達」は、戦後、しばらくして生まれた筆者が少年時代、山学校の親分だったウーマクー先輩たちに連れられて、遺骨がゴロゴロする山で過ごした話から始まり、それから時を経て、還暦を過ぎて古稀に近づきつつある、かつてのウーマクー先輩たちから「あの山を掃除して草花を植えたい」という願いに付き合う話です。沖縄戦の激戦地跡で山学校を経験したウーマクーワラバーたちは年を重ねたことで、まだ手つかずの草木が伸び放題の荒れた山が気になり、有志を集めて鬱蒼と茂る木を伐り、遺骨や手りゅう弾、ゴミなどを拾いながらきれいに整備していきます。戦争を体験していない自分たちがこの地で亡くなった人たちの声なき声を聞き、子供や孫たちに平和な未来を届けなければという思いが感じられる作品です。
 二席の「思い出の黄色いカローラ」は、この春、大学に入学した娘が押し入れから引っ張り出した1枚の写真から話が始まります。復帰後の春、若かりし筆者は兄と写っている写真を見て過去に戻ります。父が大切にしていたピカピカの黄色いカローラは家族の思い出を作りましたが、父は若くして亡くなります。母は父の跡を継いでそのカローラを乗り継ぎ、家族とともにいくつもの苦労を乗り越えて生きてきたという話です。
 選考のためにいくつかの随筆を読み続け、この作品を読んだときに鬱蒼と茂る木々を抜けて青空が広がる明るい空間に出た、ナゼかそんな感じがしました。文中には描かれていませんが黄色いカローラを巡る思い出を、父が娘に語り継ぐ光景が見えるような気がしました。
 佳作の「おひとり様・おふたり様」は、女性はいつでもいくつでも乙女になれるという話を軽妙なタッチで描いた作品。フムフムと感心しながら読んでいると、突然、「南先生も好きかもしれない」と思ったらやっぱり選んでいました。他に「フィールドオブドリームス in 沖縄」、「東村の庭」、「父ちゃんの思い出」もわかりやすい文章で、父娘の会話、今は亡き家族への思いなど家族の在り方を描いており、それぞれの風景を頭の中で浮かべながら読みました。
 今回はこのような結果になりましたが、どの作品も高い水準でどれもが佳作に選ばれそうなものばかりでした。

南 ふう(みなみ ふう)

1954年那覇市に生まれる。沖縄県立那覇高等学校(27期)卒業、九州芸術工科大学(7期)環境設計学科卒業。設計業務とグラフィックデザイン等を経て趣味で執筆を始める。2003年「第1回祭り街道文学大賞」にて『女人囃子がきこえる』で大賞受賞。2010年「第19回ふくふく童話大賞」にて「クモッチの巣」で大賞受賞。著書に『花水木~四姉妹の影を追って~』など。現在は市井の人々のオーラルヒストリーを聴き取り、個人史として残す仕事に取り組む。
2004年より沖縄エッセイスト・クラブ会員。
2020年10月より同クラブ編集委員長。

 コロナ禍で外出できず屋内で作品を生み出すことにエネルギーが注がれたのか、読み応えのある作品が多かった。勝手に10段階で点数をつけて評価させてもらっているが、8点以上の作品が多くて悩んだ。これだけ優秀作が多いと選考委員の好みでバラツキがでるかもしれないと懸念したが、幸いにも二作品が上位で一致した。それだけこの二つが群を抜いていたともいえる。
 「あの頃の少年達」の導入は、遺骨や手榴弾で遊んでいた少年の頃。時は流れ、命をつないでくれた山への恩返しの気持ちを描く。無垢な少年時代と、年を経て物事を知った後の気持ちのコントラストがよく書けている。悲惨さを語り継ぐだけでない前向きな気持ちが読後感を爽快にさせてくれた。
 「思い出の黄色いカローラ」は映像が目に浮かび、会話の声さえ聞こえてくる。1台の車を通して時代の変遷、家族の温かさ、絆、すべてが自然に描かれていて、展開も非常にうまかった。
 個人的に評価の基準としているものには、「オリジナリティーがあるか(その人らしい、あるいはその人にしか書けないものか)」「読者に思いが伝わるような書き方をしているか(スーっと心に入ってくるか)」などがある。「読者に~」の中には、きちんと浄書されているかも含まれる。パソコン入力という意味ではなく、手書きでも問題ない。ただ殴り書きで下書きのようなものは内容云々の前に読む気が失せてしまう。ほとんど改行がなく長々と紙面を埋め尽くす文章も読みにくい。
 オリジナリティーに関してはさらに細かくなるが、「資料に頼りすぎていないか」「難しい言葉ではなく日常使う言葉で表現されているか」「一般的によく言われていたり、誰もが考えそうなことではないのか」などなど。自身を含め、父母や祖父母の戦中戦後の苦労は、ぜひ書き残してほしいものではあるが、厳しい言い方をすれば印象に残りにくい。なぜならそのような体験談は多数あり、入選するには特に優れた筆力・表現力が求められると思う。とはいえ、あの時代の記録は残すべきで、「戦中戦後の記録」に特化したジャンルに、点数に関係なく多くの作品をまとめて残せればいいのにと個人的には思っている。
 佳作を最大5点に絞ったものの選外の作品も力作揃いだった。些細なミス、たとえば卒業名簿に名前が漏れていただけなのに「父の汚名を払拭する」とか、自分のことなのに「地元で活動」ではなく「地元で活躍」などは、実にもったいない。

詩部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 該当作品なし 該当者なし
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 島バナナ 長嶺 幸子 糸満市
佳作 April かねしろ 茉衣 那覇市
佳作 夢見る染色体 外田 さし うるま市
佳作 竜舌蘭 長嶺 幸子 糸満市
佳作 シャングリラ・ブルース 関谷 朋子 高知県
佳作 上昇する 荒井 青 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

高良 勉(たから べん)

詩人・批評家。沖縄大学客員教授。
元県立高校教諭。
1949年沖縄島南城市玉城生まれ。
日本現代詩人会会員。日本詩人クラブ会員。
詩集『岬』で第7回山之口貘賞受賞。
1985年沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞。
2012年第46回沖縄タイムス芸術選賞 大賞・文学受賞。
著書に、第7詩集『絶対零度の近く』、第8詩集『ガマ』、第10詩集『群島から』、NHK生活人新書。
『ウチナーグチ(沖縄語)練習帖』、岩波新書『沖縄生活誌』、第4評論集『魂振り―琉球文化・芸術論』、第5評論集『言振り―琉球弧からの詩・文学論』など多数。

 第17回おきなわ文学賞の「詩部門」には、93篇の応募作品があった。昨年の40篇の二倍を越えている。嬉しい悲鳴であった。まず、何よりも全作品を読み通すのに時間がかかった。約一週間余で、一回目を読み終わる。これで、百点満点の50点以上の詩を選ぶ。
 これらの作品を、二回目読み込んで、上位12番までの作品を選んだ。さらに、12作品を検討して、一席候補、二席候補、佳作候補の順位付けをやって選考会へ提示した。そして、選考会までこの上位12点を何回も読み返し、当日を迎えた。
 今回の応募作品全体を見て、応募者が多くなったという事は、高く評価していい。何よりも「詩部門」が広く関心を持たれ、発展していることを示している。とりわけ、高校生から65名の応募があった、という報告は喜ばしいことであった。「詩部門」は、確実に若い世代へ継承され拡がりつつある。
 ただし、残念なことに今年は全体的に作品のレベルが低調である結果になった。私は、一席・沖縄県知事賞に長嶺幸子さんの「島バナナ」を提案したのだが、議論の末「今回、一席は該当作品無し」にすると決定した。
 幸い、「島バナナ」は第二席に当選した。そして、特筆すべきは同じ長嶺さんの「竜舌蘭」が佳作に選ばれ、ダブル受賞になったことである。「島バナナ」は、バナナにまつわる思い出を記しながら生命の連続性を詩っている。「竜舌蘭」では、体言止めが多くて効果的であった。そして、長嶺詩では訴えたいテーマが明確であり、詩として安定している。
 佳作の5篇、かねしろ茉衣「April」、外田さし「夢見る染色体」、長嶺幸子「竜舌蘭」、関屋朋子「シャングリラ・ブルース」、荒井青「上昇する」は、テーマも多様で個性的なイメージと比喩の表現が斬新で、読んでいて楽しかった。中には、AI時代、スマホ生活の日常からしか生まれないような感性と比喩の表現があった。ただし、これらの作品のテーマがアイマイで拡散しているという印象もあった。詩は、何を訴えたいのか、常に原点を確認する必要がある。
 言うまでもなく、言語芸術としての詩の生命は、訴えたいテーマや思想と、新しい未知のイメージ、比喩の創造、表出にあると思う。その点、今回総体的にくり返しの多い詩が目立った。くり返しが多いリズムは、それなりに「詩的雰囲気」を作り出す。しかし、それだけでは詩にならない。もっと作品のレベルを上げたいものだ。皆さんの努力を、来年へ期待したい。

西原 裕美(にしはら ゆみ)

1993年生まれ、浦添市出身。詩人。「詩誌1999」同人。文芸誌「滸」同人。
処女詩集「私でないもの」で2013年第36回山之口貘賞受賞。

 事情により今回が最後の選考となった。おきなわ文学賞は様々な詩人の芽に光を当ててきたと思う。私自身もこの場をかりながらたくさん成長させていて頂き、さらに選考委員として豊かな体験をさせて頂けたことに感謝をしたい。
 選考会では応募作者の個人情報は伏せて行われる。今回、長嶺幸子さんの『島バナナ』が二席になり『竜舌蘭』が佳作となった。それは、この書き手が複数の作品で高い評価を受けるほどの力があるということだ。特に『島バナナ』は、島バナナの成長を丁寧に描きつつ、家族の景色や自分自身についても浮き立ってくる。自然の景色と自分自身をこのように重ね合わせながら描き出せることはとても魅力的だと思う。
 また、どちらの選考委員も選んでいた作品にかねしろ茉衣さんの『April』がある。魅力的な言語表現は個性的で読むものを惹きつける。「貴方」に対しての一言では表現し得ない感情をモノレールの景色や、おそらく4月の人生の転機と重ねながら描いているようだった。外田さしさんの『夢見る染色体』は、おそらくセクシャリティへの葛藤だと思われる感情をこんなにも繊細で美しい表現で語れることに驚きと同時に感動を覚えた。「鳳仙花で指先を染めて帰ったあの日」と唐突に始まる書き出しも惹きつけられる。関谷朋子さんの『シャングリラ・ブルース』は、荒削りだが必死に生きている中で海底から呼吸するかのような苦しい詩の息遣いと個性的な比喩表現が良いように思う。荒井青さんの『上昇する』は「カミキリムシ」とさまざまなものが二分される世界で「わたし」と「あなた」が描かれている。それらと重なるスコールの景色の表現が素敵だ。
 今回惜しくも入賞されなかった人もどうか書き続けて欲しい。詩は自由で豊かだからこそ完璧な選考は無いと思っている。4年間おきなわ文学賞で選考委員をさせて頂き、言葉に真摯に向き合い丁寧に作られた作品や、切実な言葉や表現、胸打つ作品は多かった。しかし、複数のそのような作品の中から、さらに賞を受賞するに値する作品を選び取ることは非常に難しい。今回受賞された方も、受賞されなかった方も、自分の作品の限界を諦めずに精進を重ね続けて欲しい。

短歌部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 與那城 政子 浦添市
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 新垣 幸恵 西原町
佳作 瑞慶村 悦子 沖縄市
佳作 安仁屋 升子 那覇市
佳作 宮里 真依 宜野湾市

〔 選考委員・講評 〕

佐藤 モニカ(さとう もにか)

歌人・詩人・小説家
竹柏会「心の花」所属

2010年 「サマータイム」で第21回歌壇賞次席
2011年 「マジックアワー」で第22回歌壇賞受賞
2014年 小説「ミツコさん」で第39回新沖縄文学賞受賞
2015年 小説「カーディガン」で第45回九州芸術祭文学賞最優秀賞受賞
2016年 第50回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞
2017年 詩集『サントス港』で第40回山之口貘賞受賞
2018年 歌集『夏の領域』で第62回現代歌人協会賞および第24回日本歌人クラブ新人賞受賞
2020年 詩集『世界は朝の』で第15回三好達治賞受賞(最年少受賞)
2021年 詩集『一本の樹木のように』で第17回日本詩歌句随筆評論大賞優秀賞受賞
現代歌人協会会員・日本歌人クラブ会員・日本現代詩人会会員

 今年も永吉京子さんと共に一作一作、丁寧に向き合って選んだ。応募数は昨年をぐんと下回り、50作品。応募者の最高年齢は88歳。入賞者の平均年齢は63歳。県内のみならず、遠いボリビアからの応募もあった。一方で、今年は作品に元気がない印象を受けた。これもコロナ禍の影響であろうか。
 一席は與那城政子さん。二首目の「薄暗き土間の奥には冬瓜の主の顔して吾を迎えり」に注目した。嫁いできた者のこまやかな感受性がこの一首にあらわれている。土間に置かれている冬瓜までが自分より偉く見えてしまうのだ。緊張や心細い気持ちがこちらまで伝わってくる。一首目の「嫁ぎ先を報告したる昼餉どき父は黙して箸の止まりぬ」も小津監督の映画を観ているような、しみじみとした味わいのある作である。
 二席の新垣幸恵さんの作品も過去をふり返り、詠まれたものだ。「やんばるのジェームズ・ディーンと呼ばれたり夕陽を浴びる父の横顔」という実に印象的な一首から始まる。歌においては、固有名詞は重要な意味合いを持つが、ジェームズ・ディーンというスターの魅力のおかげで、リアルに浮かんでくる。これはジェームズ・ディーンだから良かった。たとえばこれが勝新太郎だったらどうか。イメージががらりと変わる(もちろん、俳優としてはどちらも素晴らしい)しかもやんばるのというのだから、読者も納得する。ここが沖縄の、となると、とたんハードルが上がってしまう。俺のことだという人が大勢出てきても困る。そういう意味でも、実にバランスよく仕上げている。「籐椅子の父の眺める水平線幾たび越えん荒波の世を」今は穏やかに海の水平線を眺めている父が、戦中から戦後の沖縄を苦労し生きてきたことが伝わってくる。共感される方も多い一首だろう。良い歌は、言葉以上のものを読者の胸へ届けてくれる。娘が在りし日の父をジェームズ・ディーンと素直にたたえるところに、この連作の良さがある。
 佳作の瑞慶村悦子さんは、吉屋チルーを詠んだ。作者の思い入れの分なのか、連作として読むと少々弱くなってしまった。「叶わざる愛恋ありき比謝橋の上を夏雲流れゆきたり」は良い。
 同じく佳作の安仁屋升子さんはオリンピックの喜友名諒選手を詠んだ。喜友名選手の金メダルは沖縄にとってこの上ない喜びとなった。〈コロナ禍の五輪の金にオキナワの沸く〉に言いようもない感動の思いが詰まっている。
 学生で唯一の入賞となった宮里真依さんの連作はフレッシュな風が漂っている。「ペン立てにお守りのようにさしてあるガリガリ君の当たり棒かな」ガリガリ君という固有名詞が効いている。

永吉 京子(ながよし きょうこ)

1988年 比嘉美智子に師事。
1995年 「花ゆうな短歌会」結成に加わる。
1996年 「未来」入会、近藤芳美に師事。
2005年 桜井登世子に師事。
2009年 歌集『若葉萌ゆ』刊。
2016年 日本歌人クラブ九州ブロック沖縄県幹事。
現代歌人協会会員。

 昨年に続くコロナ禍の閉塞感の中で詠まれた作品に思いを馳せ選考させていただいた。
 一席の與那城政子作品は詠い方がなめらかで静かに訴える力がある。作者が長い年月のあいだ大切に温めて来たであろう深き思いの伝わる作品。「嫁ぎ先を報告したる昼餉どき父は黙して箸の止まりぬ」「薄暗き土間の奥には冬瓜の主の顔して吾を迎えり」が特にいい。一首目は県外から沖縄に嫁ぐ(この言葉は今では死語?)娘を思う父親の複雑な思いが端的に表現されている。二首目、嫁家の「薄暗き土間」の実景が昭和のある時代を彷彿させ懐かしくひびく。
 二席の新垣幸恵作品の一首目「やんばるのジェームズ・ディーンと呼ばれたり夕陽を浴びる父の横顔」が圧倒的によく、連作として後に続く四首を引っ張る力があり上手いと思った。四首目の「青々とシークヮーサーは鈴生りに父との日々の数々浮かぶ」も気負いがなくていい。
 佳作の瑞慶村悦子作品は連作としてよく纏まっている、しかし、「吉屋チルー」の史実のみを追うのではなく作者自身をもっと出してほしかった。五首目の「叶わざる愛恋ありき比謝橋の上を夏雲流れゆきたり」は作者の体験を仄かに匂わせ(虚構でも可)魅力的な一首になった。このような歌があと二首でもあれば・・・。
 同じく佳作の安仁屋升子作品は当節の新聞歌壇や他の短歌大会でも頻出している素材。そのため既視感は免れないが一首一首が丁寧に詠われている。「ゆるゆると猖獗やまぬコロナ禍の五輪の金にオキナワの沸く」はまさに今の沖縄(カタカナ表記がいい)の時代を詠む歌として評価されよう。
 続いての佳作、宮里真依作品は四首提出でいずれもよかった。「可愛いと思った物は全部欲しいきっと私は強欲の壺」「幸せの色や形はご自由に決めてください変更可です」など口語短歌がリズミカルで楽しい。短歌をよく勉強している作者だと思う。今回は宜野湾高校の生徒さんが15名も出詠され嬉しかった。ただテレビの影響か原稿用紙の書き方に難あり。短歌は不要にマスを空けず上から下へ、必要があれば次の行へ移る。これを鉄則にしてほしい。短歌はマス一つ空けるにも意味があるから、である。
 今回は応募総数50作品、歌は222首だった。歌は連作として読まれ表記や誤字など細かくチェックされる。ハードルは高いがそれだけに応募のし甲斐があろうかと思う。

俳句部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 翁長 園子 読谷村
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 友利 正 宜野湾市
佳作 葦岑 和子 那覇市
佳作 井本 とき子 豊見城市
佳作 本村 隆信 八重瀬町
佳作 下地 武志 浦添市
佳作 秋沙美 洋 石垣市
奨励賞 花岡 蓮 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

井波 未来(いは みらい)

県『人』副支社長・県俳人協会理事・県俳句協会理事・「第15回俳句in沖縄実行委員長」・著書・句集『禅宣言』・句集『心音』・アンソロジー「がんじゅう俳句でえびる」・共著「沖縄子ども俳句歳時記」。論文「超高齢化社会における生涯学習と図書館」・「超高齢者の生涯学習としての俳句創作と風土」。

◇一席
 
  コロナ鬱蟻に食われる下垂帯
  ウイルスの血脈伸びる世界地図
  ウイルスが食べ散らかした慰霊の日
  孑孑を怖がる妻の自粛期間
  分散登校泡の抜けたソーダ水
 
 五句から地球の現状を直視している不安な世界観がうかがえる。しかし、コロナ感染を防ぐ自粛の妻や分散登校の元気な子の「ソーダ水」に救われる。
 
◇二席
 
  逝く夏の燼となりぬ父の骨
  儘ならぬ戦の余燼島炎ゆる
  雲の峰とじるこの世の柩窓
  生き埋の海の青さよ曼珠沙華
  瞬刻のいのち火編むや冬銀河
 
 肉親との別れの死。火葬の火が島の戦禍の火と重なる。「海の青さ」「冬銀河」の時空を越えた実存に命の深さを直視する真摯な眼の深さがある。
 
◇佳作
 
  慰霊の日平和希求が周波数
  春陰やステイホームの我と猫
  沖縄忌染み入る石は生きてゐる
  青葉木菟 音叉のやうに呻く闇
  蝶眠る手の届かない高さにて
 
 「周波数」「呻く闇」に「現象の奥のエネルギーを感じる感性」(三浦加代子)を重ねる。目に見えないコロナウイルスの本質とは何か。現象の奥にある人類が直面している本質とは何か。
 
◇奨励賞
 
 汗とゆげ錦をかざる初メダル
 
 金メダルの夢と希望が汗とゆげの臨場感でより鮮明に伝わってくる。くもりの無い真っ直ぐな目が捉えた一句。
 
 一席、二席とも五句に貫かれたメッセージがあったと思う。季語のない句もあるが、五句の構成においては、省けない一句となっている。一句の完成度と五句並ぶことによって深まる世界観も見逃せない。

金城 けい(きんじょう けい)

1991年 東京原爆忌俳句大会奨励賞受賞。
1993年 炎天寺青葉まつり記念俳句大会特選受賞。
1995年 沖縄タイムス芸術選賞文学部門(俳句)奨励賞受賞。
NHKラジオ番組「ラジオ深夜便」の「ナイトエッセー」コーナーで
「戦後50年・沖縄のくらし」を語る。
1997年 NHK「BS俳句王国」出演。
2015年 第1回世界俳句協会俳句コンテスト 第1位受賞。
2021年 同人誌「吟遊」夏石番矢賞受賞。
著書 句集「回転ドア」「水の階段」「悲喜の器」
詩集「サガリバナ幻想」「陽炎の記憶」
沖縄タイムス「タイムス俳壇」選者(1997年~2014年)

一席(沖縄県知事賞)翁長園子
 
  コロナ鬱蟻に食われる下垂帯
  ウイルスの血脈伸びる世界地図
  分散登校泡の抜けたソーダ水
 
 一句目、コロナという感染症で自粛を強いられている中、世界中の人々が心身共に疲弊してゆく様子が新聞やテレビに映し出される時、己の心象も然りだと思う。その姿を小さな蟻に食われるという発想が人間の弱点を露呈している。「下垂帯」でまとめていることも注目したい。
 二句目、ウィルスが縦横無尽にはびこる様を、「血脈伸びる」と表現したのは的を得ている。一句目の連句と把握した。
 三句目、勉強したい、友達に会いたいという切実な思いが、なかなか適わず分散登校となったりしたことを、「ソーダ水」で喩えた絶妙な作品。
 
二席(沖縄県文化振興会理事長賞)友利正
 
  瞬刻のいのち火編むや冬銀河
  雲の峰とじるこの世の柩窓
 
 一句目、人間の生命は、そこはかとなく危い。一瞬で閉じた命を惜しんでいる。ふと空を見上げると、星たちがポツポツと顔を出す。「いのち火編むや」が生き生きと伝わってきて灯火のようだと悲しみをも和らげている。
 二句目、柩から空へと飛び立った命、大きな雲の峰が受け取り、残された者たちにまるで安らぎを与えてかのような自然の恩恵に励まれている作者の心持が伝わってくる。
 
佳作
 
葦岑和子 ①慰霊の日平和希求が周波数
井本とき子 ②顳顬こめかみに憂いが宿る花曇り
本村隆信 ③九条やまっすぐに来る沖縄忌
下地武志 ④青葉木菟 音叉のやうに呻く闇
秋沙美洋 ⑤春の蚊を許し土曜の二度寝かな
 ①の句 「周波数」が生きている
 ②の句 「顳顬に」が中下句を深めている
 ③の句 「九条」の大切さを訴えている
 ④「闇」の不気味さを「音叉」で喩えた
 ⑤「土曜の日」のゆったりとした気分を表現
 
奨励賞
 花岡蓮   泥水の中に根をはり蓮の花
 
 泥の中で懸命に生をつむぎ、美しい花を咲かせる蓮の花を注視し、人生と重ね合わせた点に注目した。小学生ながら奥深い感受性に感動した。精進を祈る。
 
 今年度は、数多くの佳品が応募された。年々作句熱の高まる中、嬉しいと同時に来年への期待が大きく膨らんだ。御健闘を祈ります。

しまくとぅば文芸部門

琉歌部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 あさと 愛子 那覇市
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 宮城 朝喜 那覇市
佳作 比嘉 恒夫 豊見城市
佳作 花城 隆 宜野湾市
佳作 上原 仁吉 名護市
佳作 仲宗根 繁 沖縄市
佳作 長嶺 八重子 読谷村
奨励賞 前原 武光 うるま市
奨励賞 真栄里 サマンサ 宜野湾市
奨励賞 外間 啓子 那覇市

〔 選考委員・講評 〕

玉城 倭子(たまき しずこ)

歌人、俳人。語やびら沖縄語(うちなーぐち)の会、御茶屋御殿琉歌の会会員。
さまざまな琉歌の大会や新聞の琉歌欄に応募、精力的に創作活動を行っている。

平成25年 なんみん祭文芸大会」琉歌の部 なんみん祭文芸大賞
平成27年 「琉歌の里おんな」第25回琉歌大賞公募展一般の部 優秀賞
平成29年 「第1回御茶屋御殿文芸大会」琉歌部門 優秀賞
平成30年 「第2回御茶屋御殿文芸大会」琉歌部門 那覇市長賞
平成26年 「浦添八景」文芸作品表彰 琉歌
平成28年 浦添市教育委員会表彰 文化及び学術功労
令和元年 沖縄県しまくとぅば普及功労賞

 今年の東京オリンピックの沖縄人(うちなーんちゅ)の活躍は素晴しい成果をあげ、沖縄にとても明るいイジリ(意気・意気地)を持たせてくれました。
 さて、今回も沖縄の状況や実情をよく捉えウチナーンチュの肝心(ちむぐぐる)あふれる沢山の琉歌の応募がありました。
 応募作品228作品、応募人数54名中10代1名、20代4名、30代1名、40代0名、50代0名、60代4名、70代26名、80代12名、90代2名、不明4名です。
 受賞者は一席1名、二席1名、佳作5名、奨励賞3名の方々です。御目出度ございます。
 応募作品の内容は、しま言葉(くとぅば)、琉歌、沖縄の自然等多岐にわたっています。皆様の応募作品を拝見していると、しま言葉を愛し語り継いでいこうという熱い思いが胸をうちます。また、肝心(ちむぐぐる)あふれる琉歌を沖縄の文化と認識し、しま言葉と共に日々の暮らしを豊かにしたいですね。
 一席のあさと愛子氏の「天境飾る 神ぬ浮き道や 揺げる波清らさ 綾ぬ光て」は、自然の美しさを「神の浮き道」と表現し、景色の広がりを感じさせます。
 二席の宮城朝喜氏の「揃て郷言葉 美花よ咲ち 継じ残す文化 しまぬ宝」は、先祖から受け継いだ郷言葉(しまくとぅば)は沖縄の文化、宝として語り継いでいこうという思いは、沖縄人(うちなーんちゅ)の意気を感じます。まさに同感です。
 佳作は5名で、比嘉恒夫氏は、月見をし共に楽しんできた彼女に先立たれ、その胸内を詠んでおり、つれなさは如何許りかと思われます。
花城隆氏の作品は、去る沖縄戦でわたし達の美しい沖縄が地獄と化した辛い体験を決して忘れてはならないと詠んでいます。まさに平和な沖縄を願うばかりです。上原仁吉氏の作品は、かつて焼き羽地での「しちまんたる魂」は、今もって自分のなかに生きていると、その心意気は素晴しい。「結(ゆい)」の精神をもって皆で頑張ろうという思いに感動しました。仲宗根繁氏の作品は、たとえ国のためとはいえ、遺骨の混じった土砂を海の埋め立てに使うとは許されるものではないと詠んでいます。長嶺八重子氏の作品は、五輪での金メダル受賞と沖縄の喜びを表現していて、嬉しくなりました。
 奨励賞は前原武光氏、真栄里サマンサ氏、外間啓子氏の三名です。前原武光氏の、村人達が日頃から神を崇拝し対峙した暮らしは、まさに「神をたむか」ですね。真栄里サマンサ氏は望郷ハワイを詠んでおり、外間啓子氏はコロナ禍故に自由に出会えぬ切なさを詠んでいます。コロナの収束を願うばかりです。

宮城 茂雄(みやぎ しげお)

琉球舞踊家・組踊立方
琉球舞踊 宮城流 師範 沖縄国際大学・沖縄女子短期大学非常勤講師
幼少より二代目宮城能造氏に師事する。
琉球古典芸能コンクール「最高賞」受賞。
沖縄国際大学大学院 地域文化研究科 南島文化専攻修士課程修了。
2006年3月「第1回宮城茂雄舞踊の会」を国立劇場おきなわにて開催。
2006年4月より1年間京都に留学、琉球古典芸能に関係が深い「能」を学ぶ。
伝統組踊保存会及び琉球舞踊保存会伝承者。

 今年は、昨年に続く新型コロナウイルスの影響、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催など、目まぐるしい社会状況を反映した作品が目立ちました。また基地問題をはじめとした沖縄、そして、日本や世界の「今」を題材にした作品も多くみられました。
 今回も昨年に続き、選考に関わらせていただき、228作品を拝読いたしました。
詠み人は10代から90代と、広い世代の多くの方々に琉歌が親しまれていることを実感し嬉しく思います。
 嬉しいニュースや苦しい悲しいニュースを、しまくとぅばで琉歌に紡ぐ。皆様の創意工夫が随所に感じられ、感服いたしました。また、このような変化の激しい時代においても古来より変わらずに存在する自然やそこから見え隠れする心情を詠んだ琉歌もあり、時代を超えて変わらぬ人の営みを感じることができました。
 琉球舞踊や組踊を通して毎日のように古典の琉歌に私自身は接しています。琉歌は8・8・8・6音などの定型に、その思いを綴ります。しかしながら同じ話題でも、見方や感じ方、視点の置き方によって、さまざまな世界観が湧き上がってくることを今回の選考を通して改めて感じることができ、琉歌そのものの奥深さ、幅広さを学び直すことができました。
 一席、二席、佳作、奨励賞を受賞された皆様、おめでとうございます。
 沖縄の自然を描写した作品、地域の信仰、しまくとぅば、戦争、基地問題、新型コロナウイルス、オリンピック、移民など、「しまくとぅば」で見事に表現された作品が選出されました。
 残念ながら、僅差で入賞が叶わなかった作品が多数ありました。入選されなかった皆さまの更なる発展を期待し、次回のご応募をお待ちしております。また、表記のミスと思われる作品が見受けられました。着眼点の素晴らしい作品であるが故に、惜しまれました。
 幅広い世代、多くの方々に親しまれている「琉歌」のさらなる発展を祈念するとともに、琉球舞踊・組踊から、私自身も琉歌の普及発展に尽力出来るよう精進してまいりたいと思います。

波照間 永吉(はてるま えいきち)

石垣市出身。
琉球大学法文学部国語国文学科卒業。沖縄県立芸術大学付属研究所所長を経て、現在名桜大学大学院特任教授。
琉球文学・文化学を専門分野として、琉球弧の祭祀や文学に関する論文を多数著す。
鎌倉芳太郎資料集の編纂で知られ、著書に『琉球の歴史と文学―おもろさうしの世界―』などがある。

 今年も多くの作品が寄せられた。この賞が次第に認知されてきたことの証であろう。それよりも嬉しいことは、多くの人々が自らの心情を琉歌というしまくとぅばの文芸で表現しようと取り組んでいることである。さて、今年も力作揃いであったが、コロナ禍とオリンピック空手という話題が詠まれていることが一つの特徴ともなっていた。さて、選考は3人の選考委員から推薦された約40首の作品を1首ずつ取り上げ、論評しながら採否を決定していくのであるが、当然3人の評価が割れることもあり、けっして平坦な道程ではなかった。その中で第一席となったあさと愛子さんの「天境飾る 神ぬ浮き道や 揺げる波清らさ 綾ぬ光て」は、海にきらきら輝く一条の光りのゆらめきを捉え、これを「神ぬ浮き道」と表現したところに、古琉球の人々の思いに連なる作者の素直な眼差しが見えて印象的であった。清澄で広がりを感じさせる歌である。第二席 宮城朝喜さんの「揃て郷言葉 美花よ咲ち 継じ残す文化 しまぬ宝」は、しまくとぅばの継承を目指す多くの人々の普遍的な思いを率直に述べたものであるが、「文化」をティガタ(手形)と捉えたところが優れている。文化という抽象的な言葉でなく、ティガタという祖先の肉体の温もりを思わせる言葉を用いたところが良い。佳作の5作品について個々にふれることはできないが、沖縄の歴史が続く限り忘れてはいけないものとしての沖縄戦の経験を「忘んなよ人達 鉄の暴風し わした美ら沖縄が 地獄見ちゃし」と詠んだ花城隆さんの歌、羽地人の気概を「しちまんたる魂」と歌い上げた上原仁吉さんの歌など、印象に強く残る良い歌だと思う。奨励賞は3首選んだ。その内の2首は、今後より一層琉歌に親しんで欲しいという立場からの選考である。真栄里サマンサさんのハワイの肉親を思う歌と、コロナ禍の中で世界中の人々が思った気持ちを素直に謡った外間啓子さんの歌がそうである。なお、前原武光さんの歌は沖縄の伝統的な村の祭祀・信仰を偲ばせ優れている。十分に豊かな力量を感じさせる作品で、今後とも素晴らしい琉歌を読ませて欲しいと思っている。最後に、この賞はしまくとぅば文芸と銘打っている。応募にあたってはしまくとぅばの使用が前提となっていることを改めて確認しておきたい。

しまくとぅば演劇戯曲部門

〔 入賞作品 〕

作品名 作者名 住所
一席 沖縄県知事賞 鬼子 ユガフ 宮國 敏弘 宮古島市
二席 沖縄県文化振興会理事長賞 我達海ぬ島 - 海のファンタジー - 南原 あい 那覇市
佳作 組踊「フチュルイチムシ」 -歌う動物たち- 鈴木 耕太 浦添市

〔 選考委員・講評 〕

大城 貞俊(おおしろ さだとし)

1949年沖縄県大宜味村生まれ。
元琉球大学教授、詩人、作家。
受賞歴に沖縄タイムス芸術選奨(評論)奨励賞、具志川市文学賞、沖縄市戯曲大賞、文の京文芸賞、九州芸術祭文学賞佳作、山之口貘賞、新風舎出版賞優秀賞、沖縄タイムス芸術選奨(小説)大賞、やまなし文学賞佳作、さきがけ文学賞など。

 今年の応募作品は8編。その中でも第一席の作品「鬼子ユガフ」は出色のできだった。賞賛したい。
 「鬼子ユガフ」(宮國敏弘)は宮古方言による戯曲である。作者は2年連続して第二席を受賞している力のある作家だ。作品は起伏に富んだドラマで、演じる者にも観客にも面白い作品になっている。男の子「ユガフ」が奇態な「鬼の子」として生まれ、「神の子」となり、その勇敢さによって村を守る「守護神」へと変貌していく。現代から過去へ、過去から現代へと往還する構成も見事である。山賊と戦い、毒クラゲと戦い、そして「かぐや姫」のように親子の切ない別れがある。水字貝が守護貝になる伝説譚だが、村の神話的世界がよく描かれている。ユガフ(世果報)や天蛇(虹)など土地に根ざした言葉にも着目した作者の目配りは見事である。
 第二席「我達海ぬ島- 海のファンタジー -」)(南原あい)も発想が新鮮でよくできた作品だ。辺野古の海に住むジュゴンを中心とした魚たちの語らいだが、擬人化した魚たちの会話はその特性がよく生かされていて感心した。一六〇九年の薩摩侵攻からの沖縄の歴史も取り込まれ、辺野古の埋め土に混じった戦死者たちの悲鳴をも取り込む。汗水節の替え歌など随所に作者のインテリジェンスを感じる作品だった。
 佳作の「フチュルイチムシ-歌う動物たち-」(鈴木耕太)は唯一、組踊作品での挑戦だった。年老いた与那国馬が首里への奉公を決意して、石垣、宮古島を経由して首里にやって来る。途中でイリオモテヤマネコやサシバなどを仲間にしての道中譚だが、「子ども向けの組踊作品」という意図がよく表れた作品であった。
 入選に至らなかった作品については、選考委員会において次のような指摘がなされた。まず推敲をしっかりして欲しいということ。誤字、脱字が余りにも多かった。途中で主人公の名前が変わったり、ト書きなのかナレーションなのかも曖昧で、演劇・戯曲としてのスタイルを有していない作品もあり残念だった。また「共通語を用いたあらすじ」を付けるなどの応募条件を守らない作品もあった。タイトルの工夫や、方言に漢字を当てる表記にも、もっと細心の注意をはらうべきだろう。これらへの配慮が作者を鍛えていくと思われる。次年度への応募を期待し、楽しみにしたいと思う。

上江洲 朝男(うえず あさお)

1961年那覇市出身。琉球大学教授。役者。
元演劇集団「創造」代表(1997~2019)。 受賞歴に沖縄タイムス教育賞、沖縄タイムス芸術選奨大賞(「創造」が受賞)など。 主な出演作に岸田戯曲賞受賞作「人類館」(調教師役)、オールウチナー口による「でいご村から」(喜助役)、「タンメーたちの春」(吉里吉助役)「椎の川」、ミュージカル「海から豚がやってきた」(山城獣医役)など。昨年度から、大城貞俊作「にんげんだから」の朗読劇にチャレンジ。「沖縄県中学校演劇祭」審査員。

 今回は全体として「読みやすい作品と読みづらい作品に分かれた」という印象を持ちました。その分かれ目について2点を挙げ、講評とします。
 1つ目は、目的を踏まえていたかという点です。募集要項には、「演劇を通してしまくとぅばに関心を高めてもらえるような内容」とあります。つまり、「しまくとぅば」になじみがない方々、特に子どもたちや若年層に興味や関心が持てる素材や場の設定になっているかどうかということです。「しまくとぅば」とどう出会わせ、どう触れさせ、どう親しみを持ってもらうかという視点が重要です。作品の時代や場の設定、ストーリーの展開、魅力的な登場人物のキャラ、それらが「しまくとぅば」を用いて上演することにより、よりその魅力を伝えうるか考え、着想しているかが作品の良し悪しのポイントになっています。地域に残る伝説や民話を素材にしてはいるものの、演劇的な独創性が感じられない作品も目につきました。
 2つ目は、戯曲の書き様についてです。舞台化をイメージしながら読み進めていきましたが、場面のつながりや演者の出入りが舞台上では困難な設定があったり、映像を取り入れる必然性が感じられない場面があったり、構成に工夫がなかったりなど、執筆前の練り直しが必要な作品も見受けられました。上演されることを前提とした開かれたテキストとして戯曲をとらえると、台詞だけでなく、ト書きが重要なのは言うまでもありません。特に、登場人物の第一声前のト書きは重要だと感じました。時代や場の設定、どのような舞台なのかを明確にして、その世界に誘う(いざなう)ために、明かりの様態、舞台上の背景や道具、音響や音楽などはどうするのかきちんと表記しておくことが重要だと感じました。前回も書きましたが、ナレーション処理は最小限にすることも大切です。また、説明的な台詞も極力避け、自然体での対話のやり取りでその内容がわかるように緻密に吟味して記述することも大切だと感じました。書き方としては、台詞とト書きの行頭を区別することが大切です。記号で示している作品もありましたが、かえって煩雑に感じました。さらに、登場人物の動きや様子を事細かに指示することも避けなくてはなりません。演者に委ねるところと指示する必然性があるところを吟味することが肝要です。
 今回選ばれた作品は、上記に記した目的意識や相手意識が感じられ、ストーリー展開や独創性があったことが決め手になったと思います。

波照間 永吉(はてるま えいきち)

石垣市出身。
琉球大学法文学部国語国文学科卒業。沖縄県立芸術大学付属研究所所長を経て、現在名桜大学大学院特任教授。
琉球文学・文化学を専門分野として、琉球弧の祭祀や文学に関する論文を多数著す。
鎌倉芳太郎資料集の編纂で知られ、著書に『琉球の歴史と文学―おもろさうしの世界―』などがある。

 今年度は8作品の応募があった。昨年に引き続いての連続応募の作者が多く見られたのが今年の特徴であろうか。その中で第一席に選ばれた宮國敏弘さんの「鬼子ユガフ」は、内容といい、戯曲作品としての体裁といい、今回応募作品の中では群を抜いていた。宮古語による作品で、民話を背景にしているように受け取られそうだが、作者の創造性が発揮されている。内容は、家や家畜小屋の入り口に水字貝を吊して魔除けにする民俗の起源譚の体裁をとる。鬼と見紛う容貌で誕生した子供が、その成長の段階で度々村を救い、人々に「神の子」と讃えられるようになるが、最後は大津波から村を救うために身を投じて死ぬ、という話である。人に疎まれるような容貌であるが、自らの力でこれを乗り越え、人々の信頼を得、最後は自己を犠牲にして人々を救うという、一つの英雄譚といえるが、これを宮古・沖縄の魔除けの民俗の起源譚とすることによって、いかにも民話風の力ある話に仕上げたところがすぐれている。宮古語による作品であるが、他のしまくとぅばに翻訳しても十分に面白いだろう。第二席には南原あいさんの「我達海ぬ島- 海のファンタジー -」が選ばれた。題材は辺野古の海の埋め立て問題という政治的色彩のある作品であるが、これを海に生きるジュゴン、マンタ、グルクン、タマン、ルリスズメ、ハマクマノミ、アーマンなどを登場させて、ファンタジックな世界の物語としたところが新鮮である。陸上の大人の世界に対して、水中の世界は海の動物たちが智慧を出して生きる世界であり、子供達の想像力で彩られるファンタジックな世界である。その発想が自然の尊さを訴える作品としての性格付けを可能にしてくれている。達者なしまくとぅばによる作品で安心して読めた。佳作には鈴木耕太さんの「フチュルイチムシ」、組踊作品である。与那国馬・琉球犬・イリオモテヤマネコ・サシバなどが主人公で、彼らが海賊を退治し、首里城門前で歌を歌い国王に会い取り立てられる、という話である。これも子供向けの内容で、組踊としたところが新しい。ただ、内容としては「桃太郎」を想像させ、平凡と言わざるを得ない。動物たちの道行きで歌われる地名の列挙が、南から北上する船としては航路を大いに外れるというミスもある。小さな事のようであるが、やはりこのような所にも気を使って欲しい。その他、選から漏れた作品については、しまくとぅばの習熟であるとか、戯曲としての体裁の整えであるとか、人物像の作り方(実在の人物を登場させる場合の取り扱い)とか、問題点が目についた。多くの作品を通して学んで欲しいと思う。

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